ぼくのなつやすみ
04.
じりじりと照りつける太陽に熱を帯びるアスファルトとコンクリート。
せめてもの対策に、と各所に設置したミストファンも氷柱も焼け石に水、飛ぶように売れるかき氷の列に目を細め、オレンジ色のスラックスの青年は額の汗を拭った。
げに恐ろしきは呪いの威力、本当にぽっかりとこの日に合わせたように天候を回復した浜松工場の空を見上げれば、嫌が応にも同僚たちの執念と神仏のご利益の確かさを思い知らされるというものだ。
兄の濃緑色の上着と自分のオレンジ色の上着を事務棟詰めの職員に預け、二人人混みに紛れて工場内を見学して回る。兄のポケットから出たがらなかった二羽だが、置いてきぼりにされるかも知れない、と悟るに至ってようやく自分の両肩、という位置で落ち着いてくれた。……たぶん、兄と視線が近くなるという事実に気付いたからだろうけれど。
此処は兄にとっては見慣れたホームグラウンド、自分にとっては出入りはするけれど兄ほどは縁のない場所、ひよこ二羽に至っては初めて入る場所だ。物珍しいのだろう、先ほどから耳元でぴいぴいと常よりも弾んだ声で囀りを交わしている。
兄もまた瞳を輝かせて白と青の車両を見つめ、楽しげに行き交う子どもたちの姿に厳しくなりがちな表情を緩め、僅かに口元に笑みを浮かべていた。滅多に見ることが出来ないこの横顔はこの場所に居合わせた者たちの特権で、イベントスタッフではない職員たちがすれちがうたびに何処か嬉しそうな表情を浮かべるのを、東海道は我が事のように理解できた。
普段は背負う重責故に渋面を崩さない東海道新幹線が、この場ばかりは子どものように無邪気な表情でイベントを楽しむ子どもたちを見つめている。ビジネス客ばかりを優先してしまうのは経営上止むを得ないとはいえ、それを兄が良しとしていないのは、この横顔を見てしまえば明らかだった。
山陽サンや東日本の上官たちが子ども向けイベントをやるたびに不機嫌になってるのは、たぶん自分はやりたくてもできないってのが悔しいんだろうなあ、と弟ならではの遠慮の無さで兄の深層心理を推測しつつ、だからこそこんな日ばかりは純粋に楽しんで欲しいと願う。
己の両肩でぴいぴいと鳴くひよこたちがエキサイトする余りに転げ落ちそうになるのをそっと片手で元の位置に戻してやりながら、ぐるりと辺りを見回す。熱気と等比例する賑わいの中、けれど此方に気を向ける存在は無い。否、無いわけではないが、JRに所属する職員たちは、このイベント中は東海道や兄に気付いても声をかけない、というのが不文律だった。無論致命的な事故や災害が起こればその限りではないが、出来る限りは心配をかけたくない、と願うのは常の兄が仕事中毒過ぎる事を誰もが知るからこそ。
基本的に自分たち『路線』は同じ『路線』や鉄道会社の職員でない限りは認識する事は出来ない。時折幼い子どもには見えたりもするらしいが、大抵言葉を紡げるようになる頃には見えなくなってしまう。制服を脱いで『路線』としての業務外に在るときは普通に人間として認識されるというのに妙なものだ、と苦笑を浮かべ、傍らをすりぬけてゆく子どもたちにぶつからないように僅かに立ち位置をずらし、兄の肩を引き寄せる。
「……東海道?」
「そこだと人通りが多いから」
もうちょっとこっちの方が日陰だし、と言い訳のように言葉を続ける弟の顔をじっと見つめ、次いできょろりと辺りを見渡した兄はぱちりとひとつ瞬きを落とす。どうやら同じ名を持つ弟の言いたい事を理解したらしい兄は、普段から考えられないくらい素直に促しに応じて僅かに建物側へとその身を寄せた。
――否。そうしようとして、己のスラックスを引く僅かな力に気付いたらしく、視線を下へと向け、すぐさま困ったように眉根を寄せた状態で弟の顔を見上げる。
尋常でない様子に己もまた兄と良く似た表情を浮かべて、東海道は兄が視線で示した場所へと視線を向ける。兄の濃緑色のスラックスの膝下辺り、細身ではあるが兄がそれより細い為に若干余り気味の生地をぎゅっと掴む小さな手と、その主である黄色い帽子の幼児の姿が其処にあった。
「……迷子?」
「ではないかな、とは思うんだが」
じりじりと照りつける太陽の下、途方に暮れたような表情で自分を見上げる兄と、その兄にこれを離したら最後だ、と言わんばかりに縋る幼児と。
やはり平穏無事には終わらないんだな、と夏らしさを滲ませた青空を見上げ、東海道はひとつ溜息を落とした。
2009.12.13.