ぼくのなつやすみ

02.

 目の前に広がるのは、雲ひとつない……とまではいかないものの、確かに夏らしい青い空。照りつける陽光はまるで昨年の今日を彷彿とさせるようで、東海道の名を持つ在来線は思わず目を細めて右手を翳した。
「……すっげえな、神頼み。意外と効力満点」
 ここ数日続いていた重苦しい曇天と、気紛れのように降る雨は鳴りを潜め、少なくとも予定されていたイベントをこなすには問題は無さそうだ。多少気温が上がるかも知れないのでそれに対する備えは必要だが、まあ当初の想定内だ、問題は無いだろう。
 数日前から東海在来線宿舎の窓という窓に吊るされたてるてる坊主とこれでもかと集めまくった寺社仏閣のお札やお守りは、思った以上に効力があったらしい。眩しい光を放つ太陽が肌を焼く夏の感覚に口元は緩み、思わず早足になったとしても誰が己を責められようか。
 打ち合わせがあるから、と同じ名を持つ兄は前日から工場内に詰めていたらしいので、同じ宿舎に居るのは間違いないはずだ。
 浜松を経由する路線は自分と兄の二人だけだが、年間を通せばそこそこに詰めることも多い為に職員宿舎の一角を間借りしている。むしろ自分よりも兄の方が此処には来ることが多いくらいだから、使用頻度は高くは無いのだが。
 それでも長年使ってきた宿舎だ、勝手知ったるなんとやら、の言葉通りに、兄が常に使っている部屋のインターフォンを押した。すぐさま応答する声とばたばたとした足音、がちゃりと開かれるドアの向こうには、身支度も完璧な兄の姿があった。
「東海道!思ったより早かったな」
「兄さんもね。……どう、出られそう?」
「私はいつでも構わないが」
 この日ばかりは喧嘩腰も反発心もなりを潜め、互いにふわりと笑みを浮かべる。革靴を履く兄を誘うようにドアを開いたまま、東海道は抱えてきた毛玉の片割れをポケットから取り出した。
「兄さんはこっちをよろしくな」
「ん……TOICA?」
 ひょい、と兄の手のひらの上に乗せたのは、若干ころころと丸いフォルムをしたひよこの片割れだ。
「連れてきたのか、東海道」
「だって折角だから見せてやりてーじゃん?アンタの車両をじっくり見る機会なんて、こいつらにはあんまねえし」
「……そうだな」
 子どもも喜ぶだろうし、と薄らと柔らかい笑みを浮かべて、兄は慣れた仕草でそのひよこの片割れを己のポケットにひょい、と落とした。もぞもぞと動き回った後に、ひよこは頭だけを器用にポケットから覗かせると、ぴい!とどこか楽しげに一声鳴いた。
「ああ、おまえもな」
 同じようにもう片方のポケットに入れていたもう少し小さいひよこをちょい、と肩の上に乗せると、何も言わずともちょこちょこと東海道の頭の上によじ登る。居場所を定めるようにちょいちょいと動き回った後に、居心地の良い場所を見つけたのかちょこりと座り込んでやはり一声ぴい!と鳴く。
 すっかり定位置だな、とくすくす笑う兄に、アンタだってそうだろ、と苦笑を零す自分。この日ばかりは反発する感情も憎まれ口も薄らいでいて、一日この兄と共に過ごせる、という高揚感の方が勝っていた。

 いい天気になったな、と目を細める兄にそうだなあ、と返事を返しながらも。
 かの在来線宿舎の状況と自分たち彼の部下の暴走気味なあれこれは黙っておくべきだろうと肝心な事は何も言わずににっこりと笑みを浮かべたのだった。


 晴れ渡る朝の光の中、よく似た同じ名前の兄弟の頭の上とポケットの中で、ひよこがぴい、と揃って声を上げる。
 慌ただしくも楽しい二日間の、これが始まりの音だと言わんばかりに。


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2009.12.13.