03.multiplication的paradox



「…死体だな」
「…うん死体だね」
 ぽつり、と呟く鏡写しのようによく似た擬似双子の足元には、何故か転がる変死体。
 さらさらの直毛をこきりと一つ首を傾げて揺らし眉根を寄せる片方と。
 くしゃくしゃの癖毛をその手で掻き回して思わず天井を仰ぐ片方。
 示し合わせたように双方の唇から溜息が零れ落ちる。
「何でこんなトコまで来て死体…」
「めーたんてー、本当に事件ホイホイだったんだねえ…」
 普段ならば、死体=事件、更にそれが変死体とくれば不謹慎とは思いつつウキウキと謎の解明に当たる探偵の姿があった事だろう。
 そう、この場所この時間この同行者と一緒でさえなければ。
 足元でからりころりと歩く度に音を立てるのは下駄。
 ひらひらと裾がまくれる色褪せた浴衣は適当に着崩されており、手にはタオル。
 そして何より、湯気が充満する石敷きの浴場に転がっている、明らかに他殺体です、と玄人の探偵と素人の怪盗が自信を持って断言できる死体。しかも変が付く。
 そう、これは正しく。
「…別に、骨休めに温泉に来てまで殺人事件に関わりあいたいわけじゃねえぞ俺だって。好きで事件引き寄せてるつもりもねーし」
「うん、俺も土曜夜の二時間ドラマを地で行く展開したくないし、こーゆーエンターテイメントは勘弁して欲しいなあ」
 一瞬だけ、脳裏に『湯煙温泉殺人旅情』などというどこかで聞いたような単語が掠めた事は置いといて。そりゃあもうさっくりと忘れて。
 二人はもう一度、深い深い溜息を落としたのだった。



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 事の始まりは些細な言葉。
 GWを狙った展示会ラッシュにお疲れの怪盗と、親戚縁者が集まる事で多発する事件にお疲れな探偵は、二人ぐったりとリビングでへばりつつ呟いた。
『…温泉行きてぇ…』
 GWは既に終了。
 何処もかしこも人で賑わっていた喧騒は余韻を残すのみとなり、大して有名でもない地方の温泉町ならば人波に揉まれるような事にはなるまい。
 思い立ったら吉日。
 無駄に行動力と経済力と思い切りと計画上手な二人がそうと決めてしまえば、それが形になるのはとてつもなく早かった。
 てきぱきと互いのスケジュールを付き合わせ実行日を決定し、すぐさま列車と宿の予約を取り付け、その週末にはきっちりと二人揃って新幹線のホームに立っていた。
 旅行先での計画は立てていない。というより、とにかくだらっとだるっとゆっくりまったり温泉に浸かって過ごすのが目的であるからして、わざわざ疲れる観光の必要性も薄かったというのもあるのだが。
 そうして、列車に揺られて辿り着いた宿の部屋で伸びるのもそこそこに、二人うきうきと向かった露天風呂の脱衣所に、それは転がっていたわけで。
 思わず遠い目をしてしまった自分たちに罪はない。ないはずだ。
 疲れたような溜息ひとつ零して、ロビーのソファに沈み込む浴衣姿の擬似双子。その脱力しきった様子に少し慌てながら、一応の調書を取るべく制服姿の警官は二人へと問いかけた。
「…それで、君たちが第一発見者?」
 はい、と頷く姿は確かに殊勝ではあるが、警官にはどうにも二人の様子は殺人現場に居合わせた憔悴というよりも、またか、とうんざりした様子に見えるのは何故だろう。
 東都から来たという学生二人連れ。若い男の子が二人で温泉、というのも珍妙な気もしたが、こんな状況に巻き込まれて気の毒だ、という意識の方が警官には強い。
 災難だったね、と声を掛けると、いえ、と気丈にも二人揃って首を振る。錯乱するでもなく冷静な少年たちの様子に安堵したのか、じゃあ私は現場に居るからね、と言って去ってゆく警官を見送り、二人揃ってまた溜息。
 善良なる警察官の想像とは大きく異なり、顔を伏せてこめかみを押さえる探偵・工藤新一の心中は複雑だった。
 倒れ伏していたのは中年男性。見た限りでは四十代後半から五十代前半。
 見える場所に目立った外傷は無かったが、死体の足元にも脱衣所の下駄箱にも履物がなかったが、その割には足の裏は汚れていなかった。
 つまりは『殺人』あるいは『死体遺棄』という事だ。
 服装も新一たちと同じ宿の浴衣だったが、探偵と怪盗の目から見てもあまり乱れていなかった。抵抗する事もなく致命傷を与えられたか、或いは死後浴衣を着せられたのか。
 何故そんな事をする必要が犯人にはあったのか。捜査の霍乱が目的か、あるいは。
 …違う違う、そんな事はどうでもいい。『日本警察の救世主』、高校生探偵工藤新一は高校生も探偵も現在休業中だ。警察も鑑識も直ぐ来るのだから、任せてしまえばいい。
 問題は、そうこの時点における問題は。
「…せっかく、快斗と旅行だったのに…」
 がっくりと肩を落として、新一は溜息混じりに呟いた。
 何せ、自他共に認める事件体質。またの名を事件ホイホイ。ある意味捕まえるだけではなく引き寄せてしまうあたりが余計に性質が悪い。
 何時もならば謎解きも事件も大好きな工藤新一だから、嬉々として己に降りかかった事件の解決に当たるのだが。今回ばかりはそうも言いたくない。
 あれだけの短時間で探偵の本能は事件解決に必要な要素を幾つも拾い上げ、整理し、事実を指し示そうとする。けれどそれが決定的なものへと結びつかないのは、恐らく新一自身が今回の事件に深入りしたくないからだ。
 黒羽快斗、またの名を怪盗KIDともいうこの稀有なマジシャン兼怪盗の出来立ての恋人との初めての旅行。
 そうでなくても、律儀で優しい恋人は、新一の家に入り浸りはすれど泊まっていった事は数えるほどしかない。それも、新一がどうしようもなくへたばっていて使い物にならないと判断された場合や隣家の女史に要請を出された場合に限る。
 だから、これは、今回は。
 そんな未だに清い関係な自分たちを『すてっぷあっぷ』させる絶好の機会だったのに。
 なのに、新一の足元にはまたころりと死体が転がって事件に巻き込まれている現状に溜息を落とさずに、落ち込まずにいられようか。
 しかもこの場合、例え新一が自ら首を突っ込まずとも第一発見者である以上そう簡単に現場を離れられない。登校日までに帰れるかな、と少しだけ切ない思いをしながら、新一はそれ以上落ちようがないと思われた肩を更に落として小さくなった。
 耳があったらへにょ、と垂れているだろう新一の形の良い頭にぺふりと手を置いて撫で撫でしてやりながら、快斗は新一の所為じゃないよ、小さく呟く。
 慰めるように頭を撫でる魔術師の優しい手のひらの感触を堪能しつつ、視線を上げた新一の目の前にはぽわりと微笑む快斗の顔。
「温泉入って、ゆっくりしに来たんだから。…ね、本来の目的は達成できるわけだし」
 大浴場の露天風呂、はちょっともう無理そうだけど。
 流石の大怪盗も直で見た初死体に遠い目をしつつ、新一の手を取り立ち上がらせる。情けなく眉を寄せた名探偵らしからぬ表情に苦笑を零して、ぎゅっと手を握ったまま歩き出す。
「部屋に戻ろ?あったかいお茶でも飲んで、何するか考えよう」
「…ん」
 こくり、と幼子のように首を振る探偵のらしからぬ様子にちょっとだけ不安になりながら、快斗は新一の手を引いて自分たちの部屋へと足を向けたのだった。



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 とぽとぽとぽ。
 ことん。
「…ええと、粗茶ですが」
「…いーえ…」
 かくりと肩を落としたまま、冗談交じりに勧めたお茶にも突っ込みを入れずに両手で湯飲みを抱えるように持ってちびちびと舐めるように中身を飲む新一に、快斗は本気でこりゃヤバイな、とポーカーフェイスの裏側でたらり、と冷や汗を流す。
 自信満々で基本的に俺様体質な工藤新一だが、一旦落ち込んでしまうと何処までも底なしに沈みこんでいく。
 快斗が目の当たりにした回数こそ片手に足りる程度だが、それでも心臓に悪いのも事実だ。普段が普段だけに、しゅんとして大人しい工藤新一など痛々しいを通り越して怖い。しかもこの後浮き上がるまでに要する時間と労力を考えると更に気が遠くなる。

 本来、工藤新一はこんな程度でへこたれるか細い神経はしていない。

 ここまで落ち込むなどと、彼にとっては抹消したい記憶No.1に君臨するだろう江戸川コナン時代にも無かった事だ。当時淡い想いを寄せていた幼馴染の少女を『蘭ねーちゃんv』とそりゃあ可愛らしく呼ばねばならない屈辱にもここまで落ちる事は無かった。
 ただし、此処に『黒羽快斗』というファクターが絡むと様相は一変する。
 基本的に、工藤新一は黒羽快斗若しくは怪盗KIDにべたぼれである。
 めろめろのだめだめにすこぶる弱い。我が儘放題言っているように見えて内心は『ああこんな事言っちゃったよ嫌われたらどうしようどうやって謝ろう…!』などと始終ドキドキおろおろしている事は、隣家の女史のみが知るところではあるが、それでも当人にも『あーなんとなく愛されてるなー』とわからせてしまうほどだだ漏れ状態。単なる恋愛感情を超越して、其処にある執着はかなりのものである。
 とにかく、好き好き大好きー、な勢いで脳内ベクトルがとんでもない方向にぶっちぎっている状態にある為、こと快斗が絡むと工藤新一の感情の波も制御不能な状態に陥る。浮かれている時は天井知らずのハイテンション、落ち込む時は奈落の奥底まで沈み込む。
 そうして、何度か工藤新一の激しい浮き沈みを見てきた恋人・黒羽快斗は覚悟を決めるように少し息を吸い込んで、少し潤んだ蒼い双眸を覗き込んだ。
「しん、いち?」
 ふるりと揺れた睫の奥から、縋るような眼差しが露になって快斗は理性がくらりと揺れ動いたのを自覚する。
 頼むからそんな目でそんな顔をしないで下さい…!

 正直、別に新一が落ち込もうとハイテンションだろうと、快斗的には問題ない。
 落ち込めばひたすら慰めてだだ漏れに甘やかして浮上を待つだけだし、上機嫌ならば自分も同じテンションで騒げば良いだけの話だからだ。
 ただ、こうして奈落の奥底まで落ち込んだ工藤新一は…ただでさえ美人さんな上にいつも張り巡らされている『邪魔だ寄るんじゃねえ工藤様を何だと思ってやがる』オーラが消失していて、どうにも庇護欲と嗜虐心をそそる天然人寄せトリモチと化す。
 ふらふらと引き寄せられるアレやコレの駆除を行う快斗としては、二人きりの状況ならいざ知らず不特定多数の眼に触れる場所では出来るだけ早い回復を望みたいわけで。

 しゅん、と借りてきた猫状態になっている新一の頬を優しく撫でると、なるべく静かな優しい声色で俯いたままの彼に言葉をかけた。
「あのね、俺は気にしてないから」
「…でも」
「俺言ったじゃん?『名探偵』のファンだって」
 確かに覚えのある言葉に、新一はようやくゆるゆると顔を上げる。
 ふうわりと優しい笑顔は、かつて確かに見覚えのあるもの。確かに聞いた、その言葉がその場限りの言葉でない事は、新一だって知っている。
 だから。
「ねえ?俺はさ、探偵している新一の事だって好きだよ?」
「かいと…」
「新一は、新一の好きなようにしていいんだよ」
 くしゃり、とさらさらの髪の毛を撫でて、言い聞かせるように囁く。ぽう、と僅かに紅色に頬を染めて、こくりと頷いた蒼い双眸に光が戻りつつあることにほっとしながら、快斗は卓袱台越しに形の良い頭を抱き寄せる。
 あう、とかにゃあ、だとか意味を成さない声が上がったような気もするが、黙殺。腕の隙間から見える頬がどんどん赤みを増し、首筋まで真っ赤になった様子にああもう可愛いなあ、と脂下がりつつぎゅっと頭を抱きこんだまま意図的な艶のある低音…そう、KIDの時のそれに近い声色で耳元に囁く。
「…何があっても、傍に、いるし」
「か、い…」
 ぷしゅう、と沸点臨界ギリギリです、と言わんばかりの勢いでくたりと倒れこむ新一に、この状態で手ェ出せって言われてもねえ、と探偵の隣に住まう小さな科学者の言葉を思い返して、思わず快斗は天井を仰いだ。
 別に、快斗とて健康的な男子高校生であるからして、そういううにゃうにゃに興味が無いわけでもない。むしろ積極的にそうしたい事柄でもある。
 だが、だからといって。
『…このくらいで臨界点越えちゃうヒトにねえ、どうこうしろって言われても』
 困る。そりゃあもう大層困るのだ。
 ソウイウコトをするからには、込められるものは目一杯込めたい人間なのだ、黒羽快斗は。だが、工藤新一のその手の許容量は思いっきり狭い。猫の額程度も有りはしないのではないかと最近思い始めた。
 手を握っただけでもわたわたして、おでこにちゅーしたら失語症に陥り、ぎゅっと抱きしめたら卒倒する。多分、そういうものだと本人の中で割り切りが出来れば相当大胆な事も出来るのだろうが、其処まで割り切れるほど現状の恋愛事情は器用には回らない。
 世間には切れ者で通る高校生探偵だが、いざ恋愛沙汰となれば呆れるほどに不器用だ。
 否、それはこうして彼に触れあぐねている自分も同じなのかも知れないが。
 あくあくと声にならない言葉を発しているらしい新一が落ち着くように背を撫でつつ、快斗は思わず天井を仰いだ。

 …進展の日は、どうにも遠いような気がする。



つづく。

2005.05.15.

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