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「ヒトとヒトとは、混じることが出来ると思うかい?」
揶揄するように言葉の響きだけは軽く、けれども笑みの内に真摯な色を隠したその問いかけに、快斗は小さく息を飲み込んだ。
モニタの向こうには、東の果てに今も独り座し続けることを己に課した老人の姿がある。既に彼の片割れは失われて久しく、けれどその喪失した片翼と交わした約定によって彼はその場から動くことが出来ない。
だからこそ彼は、快斗には想像したくない未来の具現そのものだった。
その老人が、薄っすらと表面だけ刷いた笑みを崩す事無く、快斗に向けて静かに問いかける。
「ヒトは生き続ける限り、永劫の孤独を背負い込んでいる。それを緩和する唯一の手段は、他者と交わり続けること。
…けれども、それは所詮線の中の点でしかない」
「……何が言いたいんだよ」
低く掠れた声でようやく零したその言葉に、喉を鳴らして老人は笑う。
かつて赫剣を掲げ電脳世界を駆け、赤を代名詞としたかの老人は、逃げ場所を探す快斗の言葉を一刀両断に切り捨てる。
それは容赦の一欠けらもなく、その蒼い双眸には常の年少者を見遣る慈しみの欠片も残す事無く、ひたすらに冷たい断言だけが言の葉を成して。
「交わるだけでは刹那の癒しとしかならないというなら、孤独を駆逐する絶対的な手段は、互いに混ざり合ってしまうことしかない。きみは、それが可能だと思うかね?」
「俺は…」
目を、閉じる。
想うのは、たったひとり。
快斗が、心の底から混じりたいと交わりたいと願うのは、その人生の中でたったひとりだけだ。
己の意思とは無関係にヒトには過ぎた力を与えられ、ヒトとは違うのだと告げる強気な態度の中に、ヒトそのものでしかない弱さを抱えた、たったひとりの愛しい人。
怖れと不安と脆い心に嘘を重ねて、快斗の前から姿を消した彼の行方は今も知れない。刻一刻と己の中で磨耗してゆく何かに追い立てられるように日々を過ごす快斗にとっては、老人の言葉はあまりに痛い。
新一と居る間は、『孤独』と言う名の痛みを忘れていられた。
確かに交わることで緩和するものもあるのだと、身を以って知った過去はそう遠くない。
けれど、だからこそ。
「…無理だよ」
「ほう?」
ぽつりと零した快斗の言葉に、興味深げに老人の目が細められる。
それはあるいは絶望であるかも知れない。けれどきっと希望にもなり得る。
そう願うからこそ、快斗はぐっと奥歯を一度だけ強く噛み締めて、己の言葉を待っているのだろう老人に向けて『答え』を静かに告げた。
「無理なんだ、混ざってしまうことなんて。そうなったらもう、その『孤独』は何処にも行けなくなる。他人と自分の境界線を見失ってしまったら、それはもう…」
「…『ヒト』ですら、ない」
言いかけた言葉を補うように、静かな老人の言葉が鼓膜を打つ。
ごくり、と音を立てて息を飲み込んだ快斗の表情ににやりと悪い笑みを零して、老人は低く囁く。
「ああ、そうだとも。たとえ誰と交わろうとも、そこにどのような歓喜を覚えようとも、どうしたって混ざってしまうことは…他者とひとつになることはどうしても出来ない。この場合の1+1は1でしかなく、どうやっても2という絶対数に到達することが不可能な茶番だ」
永遠の孤独を抱えて誰もが生きている。
時折他者と交わることでそれを僅かに忘れ、また痛みを覚える日々の繰り返しの中で生きている。だからこそ。
「…『極東の電脳調律師』でさえも、それには抗えなかった?」
老人にとってのただひとり、既に失われて久しい者の名を口にすれば、困ったようにその眉が顰められる。僅かな苦笑を刻んだ口元の皺がまだ存在が薄かった頃、確かに彼の傍には彼が居たのに。
「そうだな、しかしそれはYesでもありNoでもある。
抗うつもりがなかったからこそ、あれはもう此処に居ない。あれが望んだのはヒトとしての生であって、それ以外は何も欲してなどいなかった。
他の者には貪欲とさえ嘲笑われるその望みの中で、己が、そして周囲が笑えることだけが、あれにとっては重要だったのだろうよ。
…けれども、リトル・ウィズ。
君の、君にとってのただひとりは、あれより更に苦しい道を選んだようだ」
告げる老人の眼差しは、遠い。
失ってしまったものを懐かしむ声色は、彼が老いたからなのか、それともいまだ記憶が鮮明であるからなのか。
けれども老人の言葉は、快斗にとって、同時に新一にとってさえも辛辣に現実を突きつけた。
「君の大切な彼は、孤独よりも拒絶を恐れた。
何よりも彼が恐れたのは、何か。聡明な君ならばもうわかるだろう、リトル・ウィズ」
問いかけの形を取った断定の言葉に、快斗はきつく唇を噛み締める。新一が何を恐れたのか、どうしてあんな別れ方をしなければならなかったのか、それは快斗が極力考えないようにしていた、否、考えるまでもないほど陳腐で滑稽な、一番可能性の低い未来こそを拒絶するためだったに違いない。
普通ならば、それは『裏切り』だ。快斗という一個人に対する侮辱だ。
けれども、快斗はただ困ったように笑い、涙を零すことしか出来なかった。
「…ばか、だよ。アイツ…ほんとうに」
新一が恐れたのは、快斗からの拒絶。
いずれ訪れる別離の時。
傷が浅いうちに、情が移る前に。快斗の中で新一が占める場所が、少しでも少ないうちにと選んだ行動は、まるで考えの足りない幼子のそれにも似て、快斗は諌める必要を覚えても怒る気には到底なれなかった。
あれは大きな子供だから。随分と足りていない快斗に比べても、まだ足りない欠落を抱えた彼は、もっと愛されるべきだと思うのに。
「…ばかだなあ、新一は」
ほろりと零れる涙をぐい、と袖で拭い、快斗はモニタの向こうで年少者を慈しむように見つめる老人に深く頭を垂れる。僅かな忍び笑いの音を残してブラックアウトしたモニタに映る己の不恰好な泣き顔に、ぱん、と勢い良く頬を叩く。
「…しっかりしろよ、『白の魔術師』」
泣くのはやめると誓った。
何をしてでも取り戻すと宣言した。
ならば『白の魔術師』はそれを叶える。対翼を失って羽ばたけるほど、己は器用には出来ていない。
黒羽快斗にとってのたったひとりは、今も昔も変わりはしない。
そして、『白の魔術師』は『蒼の探偵』と並び称されるに足る有能さを、聊かたりとも失っていないと知るべきだ。
極北支部の執務室、その大きく切り取られた硝子窓の向こうには、ぽっかりと浮かぶ黄金色の月。
悠久の時をそうして照らし続けた冷たい光の天体に、恐らくは、『彼』は居る。
彼が何を望むのか、何をしようとしているのか。それは快斗にとってはどうでも良い事で、けれどもそれが己との別離を前提にするというのならぶち壊してやることさえ躊躇うことはないだろう。
今はまだ、38万キロメートルの遠く離れた場所に居る存在を思って、快斗はこつりと硝子に額を押し付けた。
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それは空間を構成する一片。
それは現実を錯覚する一辺。
或いは、最も虚構に近い体験の一篇。
「……[ cube ]?」
「そう。名前なんてどーだっていいが、強いて付けるならそれが一番しっくりくるはずだ」
視線すら向ける事もなく、そう淡々と告げる新一の声に哀はもう一度その単語を口内で反芻する。
目の前で、彼が凄まじい勢いで組み上げてゆくプログラム。それに与えられる名前にしては随分と端的で子供じみた響きに思わず眉根を寄せてしまう。
『レイディ・グレイ』の名を持つ灰原哀は、この月都市においてそれなりに知られた研究者だ。その権限を以って確保した、新一一人が使うには広すぎるほどの研究室はあっという間に資料と機材と、何だか判別が付かない有象無象に埋め尽くされ、今となっては彼の巣、と称するのが相応しい有様だ。
元の広いだけの何もない部屋を知る人間としては、少々複雑な思いを抱かないと言ったら嘘になるが。
新一の手元には特殊ホログラフィの入力コンソールが浮かび上がり、その眼には人間ではありえない金属質の輝きがコンソールの入力に伴って幾度も過ぎる。哀の目には熟練した者としてはさほど奇異でもない速度でホログラムのキーを叩く新一の姿が映っているが、四方八方に設置されたモニタに流れ続ける情報量は彼の入力のそれを遥かに上回る。
……最初にそれを知ったときは、羨望よりも畏怖、ぞっとするような寒気を覚えた。
工藤新一にとって、キーボードやハンドスキャニング・グローブを使用しての入力など副次的な手段に過ぎない。彼は意図せずに意識単体を以ってシステムにアクセスし、情報の出入力を可能とする。それはネットワークへの親和性を極限まで追及したデザイナーズ・チャイルド、黒羽快斗のポテンシャルに匹敵する。
彼を戒めるのは彼自身の意識。しかし同時に彼の可能性でもある。
工藤新一は己を『バケモノ』と認識しているが、それは全く以って正しいものであったのだと、己もまた他者からは『異端』と称されるべきである灰原哀は悟らざるを得なかった。
たとえ、新一自身が平穏を望んでも周囲がそれを許さない。
哀のそれを、かの紫眼の老博士以外が許さなかったように。
「……それが組み上がってしまったら、もう後戻りはできないわよ」
「今更だ。
……それに、それが怖いヤツとはもう別れてきた」
発光ダイオードのパイロットランプにも似て、新一の首筋から背骨へと繋がるナノマシン・コードのラインが静かに発光する。白いシャツから透けるその異質な光こそが、彼に刻まれた原罪そのもの。彼自身の咎ではないはずだが、彼が死ぬまで背負う重い十字架だ。
哀も新一も、神など信じてはいない。
一度たりともそんな存在が救いになったことなどないからだ。
けれど罪だけ背負えとは、随分と傲慢な物言いではないか……この世界は、常に不条理に満ちている。
部屋の中央、一際大きな立体投影機が作り出す仮想の物体。
浮かび上がるものは特に奇異な形状をしているわけではない。蒼い立方体、そうとしか表現ができない単純かつ簡素な虚像だが、其処に込められたものは無論そんな簡単なものではない。
単なる箱。けれど其処に込められたものはとても深く、重く。
それはまるで……
「何と言ったかしら、開けてはいけない禁断の箱。様々な災厄が溢れ、最後に箱の底には希望が残っていた……」
「希望なんて、そんなあやふやなモン入れられるんなら苦労しねーけどな。だけど、俺にとってはコレそのものこそが」
すう、と新一の双眸が細められる。
二の腕から指先にかけての紋様にも似たコードが金属質の光を放ち、こめかみから額の半分程度まで、普段は肌の色に溶け込んでいるそれも薄赤い本来の回路を滲み出す。
ヒトが作り出したヒト。その可能性の希望よりも、ヒトでしかないココロが深く刻み込まれた痛みに悲鳴を上げているように哀には思えた。
「……希望と、呼べるだろうよ」
哀しみを含んだ眼差しで、白い指先が幻想の箱を撫でる。
全てを投げ捨てて選んだものがこれなのだという己を、嘲笑うように。
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最初は、信憑性など欠片もない、アンダーグラウンドの噂話だった。
曰く、ひとつの『ゲーム』が在る、と。
有象無象が塵のように転がっている違法サーバ群にあって、それは一際注目を浴びる存在となった。噂はただのそれでなく、現実にその『ゲーム』は確かに存在したのだ。
誰が配信したのかは不明。否、何時から其処にあったのかもわからない。
オリジナルと呼べるソースは既に無く、在るのはコピーを繰り返した何処まで正しいのかも知れないログインコードただひとつ。その、擦り切れたデータはけれど、ネットワークの中にじわじわと浸透していく。
『cube.』。
それが正式名称なのかどうかは誰も知らない。そもそも誰が、何の目的を持って構築されたものなのかも分からない。
けれども、それは確かに其処にある。
コピーを繰り返されたログインコード。けれども、辿り着くのはたったひとつの場所でしかない。
『楽園』への扉なのだと誰かは言った。
『災厄』への道標なのだと誰かが嘯いた。
或いは『禁断』そのものなのではないかと囁きが零れた。
…けれど、まだ。誰もその真実に至る事無く『cube.』は此処に在り続ける。
そう、今もまだ…黒羽快斗の目の前にも。
「感謝するぜ、紅子。立場上俺には手に入れ辛いシロモノだったからな」
『その言葉に値するほどのものを差し出したつもりはありませんわよ、黒羽君』
通信回線越しに、ころころと鈴を転がすような懐かしい笑みが零れる。
画像は繋いでいないが、その表情も仕草も、その場にあるかのように快斗の脳裏に映し出された。
自分と紅子と白馬。分かたれた可能性であり、元は同じであったもの。
たまたま自分だけがカミサマとやらに呪われたのか愛されたのか異能を授かったものの、それは自分たちのうち誰であってもおかしくはなかった。
だからこそ、自分たちの間には何もなかった。擬似的に発生する家族愛も、友情も、愛情も何も。
けれども、形にならない何かは感情として確かにあって、彼らとの間を繋いでいる。きっとそれはあの二人にとっても同じで、代償を求める事無く望みを叶えてしまうのもそんな甘やかしの一環なのだろう。
「いやいや本当に助かった。当たりは付けられたんだが、肝心の『鍵』がなきゃ話にならねーし」
『ふふ、蛇の道は蛇、私に遠慮は不要でしてよ?』
「いやいや、貸しにしとけよ。いつか返すって思ってるのと完全に借りっぱなしじゃ俺の気分が違うんだよ」
快斗の元を去った不器用な恋人。互いに憎からず思っているのに、それ故に早く離れなければならないと思い詰めている不器用な存在を取り戻すためならば、快斗はなんでもすると心に決めている。
それこそ、借りを作りたくない相手に頼るのも普段ならば絶対にしないような方法を選択するのも躊躇いはない。更に紅子相手ならば借りるも貸すも慣れたもので、多少負債が増えたところで問題は無い。
この手に、またあの温もりが戻るなら、何を犠牲にしても構わないとそう思っている。
『私がこのゲームに関して集められた情報は決して多くはありませんわ。それ以前に、このゲームをきちんとしたゲームとして認識できる人間はとても少ない』
『cube.』はフリーのオンラインゲームの様式を示しながら、その実ゲームとしてのジャンルも到達すべき目標も何も設定されてはいない。否、そこまで辿り着いた人間が誰一人として存在しないのだ。
最初がアングラの噂話であったのだから、其処に関わった人間はそれなりにネットワークに親和性を持った人間であったというのに、彼らは『cube.』の殻を剥ぐことさえ出来ずに扉を閉ざさざるを得なかった。
『コピーを繰り返していてもログインコード自体は有効なまま。けれど、不正アクセスを認識した瞬間から該当人物によるログインを全てシャットアウトする。それは媒体を変えてもどんなに巧みに偽装しても変わらない…ハッカーやクラッカーの悪い癖ね、禁断の扉を裏側から覗こうとして失敗してしまったのよ』
それはそうだろう、と快斗は一人納得する。
少々常識外れの魔法のような仕様だが、その程度の事は快斗にだってできる。ネットワーク上に今もある別意識…『白の魔術師』と黒羽快斗としての権限と技量を以ってすれば、特定サーバにアクセスする人間の判別などさほど難しくはないのだ。
だとすれば、それは『工藤新一』にも可能な方法に違いないのだから。
「ほーほー、正攻法以外でのクリアは不可能ってわけだな。んで、肝心のプレイヤーのログはどーなってるんだ?」
『殆ど役に立たないわね、開始数分で大抵がゲームオーバー。今までの最長記録が1時間27分14秒、到達区域は第三区画まで』
「…それが凄いのかヘッポコなのか、判断に苦しむな」
『まったくだわ。…でも、貴方ならば大丈夫かもしれませんわよ?』
現実(リアル)と仮想現実(サイバースペース)を同一に視る黒羽快斗にならば或いは未踏の地を解き明かす事が可能なのではないか、と暗に示しながら、紅子の通信はふつりと切れた。別れの挨拶のひとつも無い、けれど自分たちらしい遣り取りに苦笑を零しながら、快斗は目の前に散らばる立体画像ウィンドウを指先ひとつで散らして、開けた場所に一際大きなウィンドウを開く。
プログラム言語が羅列する黒い画面の只中に、小さな白いウィンドウがひとつ。
IDとパスワードを要求する、簡素にも程のある小窓へと先ほど紅子から受け取ったログインコードをひとつと違わず入力する。
少し、手が震えたのは恐れからか。或いは歓喜か。
[ --- Welcome to "cube." ---]
収束した言語が紡ぎだしたただひとつの言葉、確かに己を迎え入れるその言葉に、黒羽快斗は口角を上げる。
この『扉』が彼へと繋がる事を、確信するが故に。
2007.11.06.
B A C K * / H O M E * / N E X T *