純情可憐狂想曲 恋愛戦線異状アリ!
乙女の一大決戦日たるバレンタインデー、それから早一ヶ月。
そうして一ヵ月後に訪れる行事が何かと問われれば、それは先月の乙女たちの必死の告白に、今度は男どもが矜持と面子とほんの少しの期待感を込めて答える日。
そして何より、先月少なからず己の財布を削って投資したものの回収を、したたかな女性諸氏が心待ちにしている日。
すなわち、3月14日。ホワイトデーである。
「…って、何やりゃいーんだよ…」
そして、そんなイベントを数日後に控えた週末の昼下がり。
眉間に皺を寄せ、唇をへの字に結んで立ち尽くす少年の目の前には、この時期には先月ほどではないとはいえ、それ相応にどこでも見ることが出来る特設コーナーが広がっている。
白と青を基調としたディスプレイと、どこか可愛らしい菓子や花、アクセサリー。
バレンタインのお返しとして贈られる品々。それらを並べた売り場は確かに男性諸氏の為にある筈ではあるのだが、何処か居心地が悪いのは売り物がどこまでも彼らとは相容れない所為か。
しかし、むろん少年の悩みはそんなところにはなかった。残念ながらこの少年、見かけだけならばそこらの女性アイドルが裸足で逃げ出すような容姿に恵まれており、大抵の場所には相応、否それ以上に馴染めるという特技を持っている。
そして、幼い頃からどちらかと言えば女性陣との付き合いが深かった彼は、こういった売り場にも慣れてしまっている。人に歴史有り、まさしく経験は何よりの宝なのかも知れない。
そんな彼の名前は工藤新一。恐らく芸能人以外で最も顔と名前を知られている現役高校生探偵である。容姿と頭脳と運動神経。大抵のものを有している彼だが、それでもこの悩みばかりはどう解決して良いのか、皆目検討もつかなかった。
そんな彼の悩みとは何かと言えば。
「…あんな、現代日本に生息しているのも不可解なヤツが喜ぶよーなモンって、いったい何だよ…!」
紆余曲折の末に良くわからないながらも『恋人』と言う場所に在るらしい少女に対して、一体何を贈るべきかという、一見簡単そうでその実何より困難な命題。その解決方法が全くわからない事だった。
一月前のバレンタインデー、確かに工藤新一少年は彼女にチョコレートを貰った。
ついでに認めたくなかったことだが恋愛感情らしきものも自覚した。(らしきもの、という辺りが自他共に認める恋愛音痴工藤新一、自信がなかったらしい)
本来ならば此処で晴れて両想い、何を躊躇う事があろう、というところだが。如何せん新一の相手は一筋縄では行かない厄介な相手だった。
月下の奇術師。
平成のアルセーヌ・ルパン。
確保不能、神出鬼没、正体不明の大怪盗。
人呼んで『怪盗KID』、ビッグジュエルと呼ばれる巨大な宝石ばかりを狙う国際手配犯。
それが新一のおしかけ恋人にして微妙な片想いの相手である、黒羽快斗の正体だった。
だからこそ、新一は認められない。認めたくない。
手を伸ばされているうちはいい、けれども、自分から手を伸ばしたならばするりと逃げてしまいそうなあやふやな言葉と心が己を戒めた。否、戒めていた。
けれど気付いてしまった。新一宛の他人からのバレンタインチョコレート、それに悋気も悲哀も欠片も見せず、むしろ彼女の大好物であるらしいそれを頬張って嬉しそうにしている彼女の表情に、この覚えた胸の痛みはもはや無視できる種類のものではなかった。
即ち、彼女にとっては大好物よりも己の存在は軽い、という事。
それはいくら恋愛音痴な新一にも、痛みを覚えずにはいられない悲哀だ。愛を告げられながらその軽さに苦しむような上級者向けの恋愛には、自分はとことん向いていないというのに。
「それでもまあ…貰っちまったモンは返さねーとな」
見据える先は、ホワイトデーの特設売り場。女の子向けの様々な商品が並ぶ其処から、彼女が喜ばないまでも呆れられないものを選び出す。それが現在の工藤新一の最優先課題。
一進一退の恋模様は、多分一筋縄ではいかないものになりそうだけれど。
それでも始まってしまったものは仕方ない。それが互いに一方通行ならば無視もできたけれども、始めてしまった現状ではそうもいかないならば、もう方法はただひとつ。
「…仕方ねえから、進んでやるよ」
呟いた言葉は新一以外の意識に止まる事無く、変装用の薄い色付きグラスの中から再びじっとショーウィンドウに視線を注いだ。
一方その頃。
「あああああっ、お、俺の馬鹿ーっ!!」
黒羽快斗(職業女子高生・副業怪盗)は思い切り苦悩しつつ自室の床を転がり回っていた。
開いたままの雑誌や辞典、幾重にもウィンドウが開きっぱなしのモニタ。そんなお世辞にも綺麗とは言えない部屋は明らかに調べ物の最中です、と主張している。
そして、その調べモノはと言えば。
「ばばば、バレンタインデーってそーゆー日だったのかよ!?つーかアホ子も紅子も、もーちっときちんと説明しとけよ!」
いいえ、快斗さん。ちゃんと二人は説明しましたよ貴女が聞いてなかっただけで。
どこからともなく響く己の中からのツッコミは華麗に無視し、快斗は壁にぶち当たって頭を抱え込む。
これほどまでに黒羽快斗が悩むのは、無論昨月の乙女の一大イベント・バレンタインデーに関してのものだった。17になってもバレンタインを知らなかった快斗であるが、今年ようやくその意味を知るに至った。
けれども、彼女がバレンタインを知ったからと言ってもそこに付随する有象無象をきちんと理解したわけでは、無論なかった。
故に昨日幼馴染の少女と交わした会話において、恐ろしい事を聞かされる事となったわけだが。
『快斗、チョコちゃんと渡せたんなら、彼氏に欲しいもの言った?何せ『コレ』相手だもん、今頃お返しに困ってるかもよ〜』
笑いながらそう告げて快斗の背を叩いた中森青子嬢に、無論のこと悪気はなかった。単純に一筋縄ではいかない、普通の女の子らしさからも程遠いこの幼馴染相手に何を贈るか、など自分でも悩むのだ。恋人と言う関係ならば尚の事だろうと思った故のおせっかいだったのだが。
『…お返しって、何のことだ?』
相変わらず、幼馴染はボケていた。
一瞬、青子は己の聴覚を疑った。ついでに記憶も疑った。
長年彼女が『バレンタインデー』を知らなかった事はわかっている。ついでに今年ようやくそれを知った事も知っている。だが、ならば何故!?
『…なんでバレンタインを覚えたのにホワイトデーを知らないのぉっ!?』
『だから何なんだよお返しとかホワなんたらってのはよ!俺はちゃんとアイツにチョコ渡して食って貰ったんだからそれでいーんだろ!?』
『良くないわよ馬鹿じゃないのアンタ!?バレンタインにチョコ渡して告白したらホワイトデーに返事とお返し貰えるモンなのよ!恋人同士なら告白と返事は省略してもいいでしょうけど、快斗まだアタック中だって言ったじゃない!』
『何ィっ!?』
怒涛のような言い合いの末、ぜえはあと息を切らせた快斗はもう一度現在の会話内容を吟味してみる。
曰く、バレンタインデーはチョコレートを渡して告白する日である。
曰く、バレンタインにチョコを貰った男性は、渡した女性にその場で、若しくはホワイトデーに返事をするものである。
曰く、ホワイトデーには男性から女性へと『お返し』なる贈り物をするものである。
ざあっ、と血の気が引く。
数週間前の出来事が優秀極まりない頭脳の中を駆け巡る。ふるふると拳が震えるのを押さえきれず、快斗は午後の授業を残した学校を脱走して己の部屋に駆け込んだ。
そして、それから数時間。得た結論は、快斗の最悪の予想を覆すどころか肯定する種類のものでしかなかった。
「だ、だって、俺っ…」
じわり、と涙が滲む。ふつーやってはいけない事、をやってしまった己の浅はかさにどうしようもなく落ち込むが、過去はどうしても覆せない。
「もー食っちゃったよ俺どっかの誰かたちのチョコ!それもいっぱい!美味かったよ高価そーだったよ!
つか、あんなにいんのかよ新一狙ってるヤツって!倍率高すぎだ名探偵!!
何より、どー考えても俺って無神経極まりねー女じゃねーかよアレじゃっ!」
あああ、とさめざめと泣き続ける快斗の嘆きは無知故の自業自得だが、無論新一はそんな事は知らない。知らないからこそ恐ろしい。
自分が男だと仮定するなら、どこぞの女の子が告白と共に持ってきたチョコを、一応『恋人』であるところの女が楽しそうに食っていたらドン引きだ。ありえない。
しかも、あの時は気付かなかったが、即ちあのチョコの数=恋敵の数だ。あの、部屋を埋め尽くさんばかりのチョコの量とイコール、というだけで、快斗はふらりと意識が遠のくのを感じた。
「き、嫌われてたらどうしよう、もう家に上げてくんなかったらどうしよっ…!」
黒羽快斗という人間にしては真剣かつ深刻な問題を目の前にして、流石の楽天家もお気楽にはしていられない。しかしながら、この禿げ上がるほど悩みが杞憂であるという事を快斗は知らない。
嫌われる、というなら最初のインパクトが強すぎてマイナスからのスタートだったのだから、今更この程度で工藤新一の『黒羽快斗(怪盗KID)=変人』という認識上での付き合いが揺らぐはずもないのだと本人ばかりが知らぬまま。
波のように打ち寄せる後悔に強烈に落ち込みながら、悲痛な叫びと共に今まで転がったのとは逆方向にのたうち回ったのだった。
「…いってェ!!!」
…あ、机に頭ぶつけた。
ちなみに、その後…ホワイトデー当日はと言えば。
「…やる」
「へ?」
意を決して、とりあえず恥ではあるが真相を全てぶっちゃけて謝っておくべきだろうと工藤邸を訪れた快斗だったが。
「えと…?」
「…いらねーんなら、別にそれでもいいけど?」
心臓をばくばく言わせながら、申し訳なさと不安と『相変わらず名探偵はかわいーなあ…v』という恋心とを絶妙なバランスで混じらせた快斗の目の前に突きつけられたのは、某有名菓子店の小さな紙袋だった。
ぱちり、と瞬きをして、快斗は紙袋を差し出している新一の顔と紙袋とを交互に見遣る。その視線に耐えかねたのか、彼女の想い人は僅かに頬を染めてふい、とそっぽを向く。
「…くれんの?俺に?」
「オメーの目の前に突きつけて他の誰にやるって言うんだよ」
不機嫌そうな声を、僅かに上気した頬が裏切っている。
とくん、と心臓が甘い痛みを訴える。じわじわと湧き上がる喜びと、切ないような苦しいような底のない想い。
知っている、自分はこの感情を知っている。
いつもいつでも何時だって、自分はこの感情の行き先を彼へと定めていたのだから。
「めーたんて、」
「…なんだよ」
かさり、と包装紙が擦れて軽い音を立てる紙袋を受け取る。
中身は…小さな造花をあしらった、透明セロファン越しにも鮮やかな色とりどりのキャンディ。どんな顔をしてこの名探偵がそれを買ったのだろうと、快斗は不覚にも泣き出しそうに嬉しくなる。
「めーたんて、俺、アンタの事がすげー好き」
「…言ってたな、前にも」
「うん、ずーっと言う」
疑われても信じて貰えなくても、黒羽快斗は工藤新一が大好きだ。
それは快斗の中の絶対で、揺るがないからこそ簡単に口にする。その軽さこそが、新一を躊躇わせている事には気付かずに。
「ヘンなヤツ」
くしゃり、と奇妙に新一の表情が歪む。呆れ、戸惑い、嬉しさ、切なさ、ひょっとしたら怒りと絶望さえも。何もかもを含むがゆえに何にもなれない中途半端な表情で、新一はくるりと背を向ける。
「…上がれば?茶ぐらい淹れてやるぜ?」
「…うんっ!」
嬉しそうに靴を脱いで、最早あまり頻繁に通うのでほぼ快斗のMYスリッパと化しているパステルグリーンのそれに履きかえる少女の笑顔は一点の曇りもない。
どうしようもないところで自分たちの心を履き違えたまま、工藤新一と黒羽快斗は、今日も共に過ごすことになりそうだった。
2005.03.07.
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