純情可憐狂想曲 乙女の一大決戦日
2月14日。バレンタインデー。
元々はキリスト教の聖人が発端というこの日も、現代日本に至っては乙女たちと男の歓喜と悲劇が交差する、恋人たちの祭典と言えた。
昨今幼稚園児でもその存在を知らぬ者は居ないだろうというこのイベントを、けれどもまったく欠片も理解していない、という稀有な人間は居るところには居るものである。
「なー青子ー、「ばれんたいん」って、何だ?」
「…なんて恐ろしい事今更言い出すのよう、快斗…っ」
雑誌をぱらりぱらりと捲りながら、ぽそりと出された問いに教室の空気は瞬時に凍りつく。
その問いの出所は、流石に男子学生服こそ着なくなったが、未だにセーラー服に着られた格好で毎日『工藤新一に恋する乙女』を追及する現役女子高生・黒羽快斗である。
江古田高校に進学してから既に二年近く。故にクラスメイトたちも、彼女が『バレンタイン』の何たるかを知らなかった事は知っていた。知っていたが面白そうなので誰も真実を教えようとはせず、女子生徒揃って甘党の彼女にチョコをあげたりもしていた。
が、しかし。
自分たちの認識が正しければ、彼女は今年、恋する相手が居るのではなかったか。
その相手の為に今まで頑なに着ようとしなかったセーラー服を身に纏い、日々相手に振り向いて貰うべく自身の研磨に余念がなかったはずだ。
尚且つ、彼女は何処まで本当なのかは分からないが、IQ400という非常識な頭脳をしているのではなかったろうか。
「…なんでまだ知らないわけ?」
異様に冷たい青子からの視線に少々ひるみつつ、しかして開き直りの極致へと己を向かえ、快斗は空元気で胸を張った。
「知らねーモンは知らねーんだからしょうがねえだろっ。オマエが知ってるんなら教えてくれても…」
「バレンタインデー。海外では花や本が主流のようですけれど、日本では女性から男性に、それも好きな方に告白と共にチョコレートを贈る日とされていますわね。
イベントにかこつけて告白のチャンスを得る、という意味では、女の子の特別な日、と言う言い方も出来ますわね」
さらり、と横から流れるように告げるのは、長い黒髪の美少女。
しかしその中身はとてもそんな一言では括れない魔女であり、底の知れない存在でも、ある。
にこにこと笑う女神の微笑みは、周りの男性諸氏が見惚れるほどに美しかったが、その裏に棘がある事も熟知する快斗は、ごくりと息を飲み込んで彼女へと振り返った。
「…こく、はく…?」
「そうよ、黒羽君」
「チョコレート、渡して…?」
「そうよー、快斗」
「…」
いつでも無駄に自信満々な黒羽快斗には似合わず、力なく繰り返される言葉。
どうやら何か思うところがあったらしく、顎に手を当ててしばし考え込む。その仕草は意図せざるところで彼女の想い人にそっくりではあったが、それに気付くような余裕もなく。
ことり、と首を傾げ、くるりと親友兼共犯者たる青子と紅子を振り返った。
「ソレは…アレだよな?俺からアイツにチョコレート、というのもアリだよな…?」
「寧ろ渡さない方がどうかって話よね」
「好きな人がいるのに渡さない、という方が誤解を招くわね」
問いに返るのは、好意的なのか脅迫なのか良く分からない回答ではあったが。
兎にも角にも、恋する乙女というのは、バレンタインに恋する相手にチョコレートを渡すものらしい。雑誌から鑑みるに、手作りとか高価なものだったりすると尚更に良いらしい。
幸いにして、手先は器用だ。チョコレート関連は激烈甘党の己の為に自身で製作したこともあるからして、時間が余りない現在でもどうにかなるかも知れない。
「よっしゃあ待ってやがれ名探偵!今度こそ俺にメロメロにさせてやるぜーっ!!」
心意気はともかく、その叫びは乙女としてはどうよ、と思う紅子と。
快斗のお菓子作りはとても乙女らしいものとは程遠い事を知る青子は、そっと目を見合わせ。
この友人の乙女道はまだまだ先が遠い事に、深い深い溜息を落としたのだった。
「めーたんてーっ、はっぴーばれんたいーんっ!」
「…相変わらず無駄にテンション高いな、オメー」
にこにこと満面の笑みで、綺麗にラッピングされた大きな箱を抱えて工藤邸を強襲した女子高生怪盗に、工藤新一は思わずこめかみを引き攣らせた。出来ることならこのままドアを閉めてさようなら、としたかったところだが、この怪盗相手ではすぐさま開錠されて乗り込まれるのが目に見えている。
ただでさえ本日、様々な場所で無理矢理押し付けられるチョコレート攻勢にげんなりしていた新一である。元々あまり甘いものが得意でない人間にとって、大量に襲い来るチョコレートはそれがどんなに心のこもったものであっても、高価なものであっても、正直量が量だけに最初から逃亡したいほどの圧迫感を与える。
バレンタインがあってもなくてもどうでもいいが、チョコレートってのはどうにかならねーかな、と毎年こぼす新一は、確かにもてない男どもの敵かも知れなかった。それも本人はどうでもいいのだろうが。
現状としては、送り付けられたり押し付けられたりしたチョコレートに居間を占拠された新一は、この上なくブルーだった。更に来襲した現状悪友・しかし彼女的には恋人になりたいらしい快斗の手の中にあるでかい箱、そこに更に憂鬱な気分になる。
「新一新一、俺チョコ作って来たからさー、一緒に食べよ〜v」
「あー…そんなことだろーなーとは思ってたけどな…」
肩が落ちた新一ががちゃりとリビングへのドアを開け。
そこに露になった光景に、ウキウキと上がりこんだ快斗の足がぴたりと止まる。よくよく見ると、ふるふると肩が震えている気がする。
それを見て、流石の新一も不味い事をしたか、という気分にはなった。鈍い鈍いと言われてはいる工藤新一だが、いくらなんでもやっていい事と不味い事の区別くらいはつく。既にそういう意味での関係性はなくなった、現状単なる幼馴染である毛利蘭やその親友鈴木園子辺りから、口を酸っぱくして『せめても好意にはそれなりの態度を返しなさい』と言われているという世知辛い理由があったりもしたが。
ふるふると背を震わせ、俯いてしまった黒羽快斗。傷つけてしまったなら謝らないと、と思った新一がそっと手を伸ばすが、それが彼女の背に触れる前に、がばりと起き上がりきらきらした眼差しを新一へと向ける。
「すっげー!!新一新一、何あの部屋いっぱいのチョコ!全部新一のか!?」
「あ、ああ…つっても俺一人じゃ消費しきれねーから、大部分は処分することになるけど…」
予想していたような事は微塵もなく、きらきらと期待に満ち満ちた快斗の声に気圧されるように新一は歯切れの悪い口調で問いに答える。その、今迄にないほどの嬉しそうで楽しそうで期待に満ちた表情は、不覚にも朴念仁新一にもちょびっと可愛らしいと思えるほどに輝いている。
「じゃあさじゃあさ!その前に俺がちょびっとくらい食ってもへーき?つーか食ってもいいよな!?」
「…オメー、ひょっとして…甘いもの好き?」
「大好きっv」
その時二人の脳裏に走った思考は、敢えて語るまいが。
互いに互いの利害の一致を見た怪盗と探偵は、にへら、と笑顔を交わした。
かくして探偵は家の中を占拠する大量のチョコレート消費員を確保し。怪盗は大好物の供給源をゲットしたわけであった。
嬉しそうにうまうまとチョコレートを貪り食う快斗は、物凄くシアワセそうだ。その向かいで意外と甘ったるくもなく美味だった快斗お手製のガトーショコラをつつきながら、新一はぼんやりと彼女を見つめる。
ちくり、と胸の奥に刺さる棘がある。
いつもいつも、ソレは確かに存在していた。気付かなかった…否、気付きたくなかっただけなのかも知れない。
楽しそうなのは良い事だけど。
それが、自分と居る時よりもずっとずっと楽しそうで。
こんな取るに足らない甘いものひとつが、彼女をより幸せにする事実が、痛い。
好きだと言われた。信じてもいなかった。
だけど、今、心の奥を刺す何かを見なかったふりは、多分出来ない。
複雑な気分で目の前の少女を見つめながら、新一はまた一欠けら、ガトーショコラを口に運ぶ。
甘いはずのそれが、今はほんの少しだけ、苦かった。
2005.02.14.
H O M E * / N E X T *