純情可憐狂想曲 魔法の言葉




 夢じゃなかろーか。

 ぱちぱちと瞬きを繰り返し、快斗は目の前の端正な容貌の思い人を見つめる。
 青い双眸は真っ直ぐに己を見据え、若干紅潮した頬と相俟って彼の真剣さを伝えてくる。

「えと…その…、めーたんて?」
「…何度もこんな事言わすな」

 頬を染めて、ぷい、とその眼差しを背ける名探偵は可愛い。すこぶる可愛い。
 思わずぎゅーっと抱き締めて頬を摺り寄せて頂きます…じゃないじゃない、快斗の大好きで大好きな名探偵は今、なんと言った?

 ほぼ、死刑執行を言い渡されるような気分で工藤邸を訪れたのは数分前。
 チャイムを鳴らす指先が不恰好に震えていたなんて、怪盗KIDの名前が逃げ出すほど不恰好で、それでも逃げ出す事も出来ずに快斗は此処を訪れた。
 大好きな人の生まれた日。誰が彼を祝うとしても、きっと自分以上にそれを待ち望んでいた人間は居ない筈だと、そう己に言い聞かせて。
 着慣れなかったスカートも、女の子らしいヒールのある靴も、もう随分と慣れた。
 ただ彼の隣で笑っていられるなら、彼が笑い返してくれるんなら、それまでの自分なんか放り投げてしまえばいい。プライドなんてクソ食らえ、卑怯な真似も今更。他の誰かの手に落ちるくらいなら、それくらいどうってことない。

 だって自分が好きなのは彼だけだ。
 他の誰でもない『工藤新一』ただ一人が好きで、欲しくて、足掻いている。
 それが。

『…好きだ』

 真剣に向けられた言葉と眼差し。紅潮した頬。
 常人をはるかに上回るIQ400の頭脳は、その記憶さえ鮮明に脳裏に焼き付けて薄れさせることはない。
 少し低く掠れた声の告白を何度も何度もリピートする頭の中は珍しくもオーバーヒート寸前、くらり、と意識の欠片が砕かれてどこかに流れてゆく。

「好きって…めーたんてーが…」
「…おい、快斗?」
「め、めーたんてーが…俺の事好きって…っ」

 ふらり、と玄関で固まっていた快斗が後ろずさる様子に、いっぱいいっぱいだった新一も流石に動揺を覚えて手を伸ばす。
 けれども玄関の上と下、という隔たりにそれは間に合わず、快斗は白いレースのワンピース姿のままぺたりと玄関タイルに座り込んだ。
 汚れる、とか冷たいだろう、とかぐるぐると思考が回ったのは一瞬、慌てて手を引き立ち上がらせようとして、その揺らいだ眼差しに気付きはっとする。
 まるで、迷子の子供のような。
 何処に行くべきか分からない、と顔に書いてあるような頼りない表情に、伸ばした腕は強引に彼女の身体を抱きこんで、きつく抱き締めていた。

 好きだ、と言われた。けれど相手が本気だとは思えなかった。
 だけどいつの間にか自分は本気になっていて、だからこそあるかも知れない…否確実に存在するだろう温度差が腹立たしかった。
 彼女の『好き』と、自分の『好き』と。其処にある隔たりを測ることができないから、何時までも返せない想いが胸の中で軋みをあげ痛みを訴える。
 耐えかねた自分のやけっぱちの行動は、どうやら間違ってはいなかったらしい。

『…蘭、オメーの言った通りだったな』
 どうしようもなくなって、半ば自棄になりつつ幼馴染に持ちかけた相談。
 自分を好きだという相手がいて、それの真偽を確かめるにはどうしたらいいかと、工藤新一にしては馬鹿みたいな相談内容に彼女は一瞬目を見開き、次いで晴れやかに笑って告げた。
『言えばいいじゃない、新一も』
 好きだと告げ返してみればいい、と彼女は言う。その相手の反応を見落とさなければ、想いの真実なんていとも簡単にわかってしまうだろう、と。
 半信半疑な新一は、それでも他に縋るものなどなくて。次の約束だった己の誕生日を待った。
 そして玄関にやや緊張に強張ったその顔を見た瞬間、もう駄目だと覚悟せざるを得なかった。

 そうだよ、俺は君が好きだ。
 最初がどんなに唐突でも、経過がどんなに破天荒でも。
 それでも出会ってしまったならもう駄目だ。君以外に目は行かないし、君の行動言動ひとつに一喜一憂する。
 これが『恋』でなくて、なんだというのだろう?

「…かいと」

 君の中にあるものが軽い気持ちの悪戯だったとしても、構うもんか。
 君がしたように強引に、もう一度今度は俺から始めればいい。
 …君が告げた言葉の何もかもを、もう嘘にはしてやれないから。

「信じられなきゃ何度でも言う。…好きだ、快斗」

 抱き締める腕を離してなんてやらない。
 揺れた肩が何を理由とするかなんて、考えてやらない。
 この腕がこの胸が要らないのなら、力ずくでも抜け出せばいい。それが出来ないなんて、俺は君だけには言わせない。

「…快斗、」
「っ…!」

 だらりと垂れたままだった快斗の腕がゆるりと持ち上がる。その手はきつく己の身体を拘束する新一のそれに抗うでもなく、逆にもっときつく新一の首筋へと絡みついた。
 互いの体温しか感じ取れないほど近くで、煩いほどにがなりたてる心臓の音がどちらのものかなんて、もう誰にも分からない。
 告げた、告げられた言葉の意味を噛み締めることは出来ても咀嚼することは出来ずに、ただただ互いの身体を抱き締める。
 玄関先で何をやっているんだろう、とか、何を喋ればいいんだろう、とか。
 そんな疑問が浮かぶ端から泡になって消えてゆくような永遠のような刹那の時間を過ごし、快斗はようやくのことで引き結んでいた唇を解いた。

「…ゆめ、みてえ…」
「夢じゃねーよ」
「…じゃあまぼろしとか?」
「感触に温度まであるなんて大層な幻だな」
「しんいち、俺の事、好き?」
「ああ」

 何を告げても直ぐに返る言葉は、今まで欲しくて欲しくてたまらなかったものばかりだ。いつかそうなればいい、と願ったものが惜しげもなく並べられた現実に、快斗はくらくらするような甘い酩酊を覚える。
 ぎゅっと抱きついても、強くなりこそすれ離れようとはしない新一の腕の感触に、半ば夢見心地で小さく呟いた。

「俺、新一が好きだよ」
「…そーだな、ずっと言ってた」
「他の誰よりも新一のこと好きな自信あるし、誰にも新一のことやりたくねー」
「やらなきゃいいじゃねーか」
「俺怪盗だし」
「知ってる」
「名探偵曰く『変なヤツ』だし」
「今更だ」
「…あんま女の子らしくねーし」
「それも今更だろうが」
「ええと…それと」
「…もう黙れよ」

 慌てたように言い募る快斗の背から新一の腕が離れ、唐突に消えた体温に不安を覚える間も無く両手で頬を包まれる。真正面から向けられる真青の瞳に数度瞬きを繰り返し、けれど逸らされないそれに、快斗はふわりと笑みを浮かべた。
 己も首筋に回していた腕を解き、新一のそれと同じように新一の頬にそっと指先を沿わせる。男にしては綺麗な肌は、予想通りのさらりとした感触を快斗の手に伝えた。
 ああ、自分は相手の事が好きなのだと、思ったのはどちらだったか。

 そっと重ねた唇は、どこか甘いように思えてならなかった。 



2006.06.21.


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