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自律可動式AIと人格模擬体の差異は、ネットワーク上での自由度に他ならない。自分の身体を動かすのと、ネットワーク上で模擬体を動かすのでは要領は同じでも手順が違う。それを緩和するための手段としてインターフェース・ユニット、あるいはシステムが開発されてはいるが、それらは問題の根本的な解決には至っておらず今も研究が続けられている。
たったひとつ、もう数十年も前に当時のNP首脳部が提唱したとあるシステムを除いては。
『SCS』と呼ばれるそのシステムは、ノータイム・インターフェース・システムの異名が示す通り脳内の電気信号を直接解析・出力することでほぼタイムラグなしの行動を取る事が可能となる。
但し、このシステムはユーザーを選ぶ上に、その扱いには厳重な注意が必要となる。取り扱いをひとつ間違えれば、その場で廃人をひとつ生み出すような危険なシステムだったからだ。
故に、一部専門機関とNP上層部にしか定着しなかった幻のシステムだが、快斗が使用するとなると、このシステムはまた別の意味を持つ。
快斗が…すなわち『デザイナーズ・コーディネイト・チャイルド』が使用する意味。
既に過去発見された特殊能力を発揮する事を期待され、アーキテクト・サンプルを基準として構築された新一と似て非なるもの。最初から人体と同一素材を使用しながら、独自の塩基配列を組み立て設計された遺伝子を所有するアウトサイド・コーディネイター。
快斗も、そして紅子もまたそういった非合法の研究をしていたとある研究室の実験体であり、その場にいた子供たちの誰よりも重要な研究対象だったのが快斗だった。
デジタル・ネットワークとの無意識における完全なリンク。
それはすなわち、高度な能力を有するものを生み出す事が非常に困難を極める自律可動式AIを、人為的に量産できる可能性の示唆でもあった。
快斗、という実例がここにある以上、その主要意識体まで育てる必要はない。器としてのDNAデザインは完成されているのだから、それを培養して主要人格は彼等にとって都合の良い量産されたAIをリンクさせれば良いだけの話。ベースがある以上、その書き換えはさほど難しい事ではないのだから。
事実、快斗も現在の養い親に引き取られるまではその人格の優先権を上書きされたAIに乗っ取られ、快斗としての主要人格はほぼまっさらな状態だったと言っていい。
あまりに人権を蔑ろにした研究内容に激怒した養い親が、それまで快斗にリンクしていた無味乾燥なAIを引き剥がすまで、確かに『快斗』は『快斗』ですらなかった。
けれど、その行動によってヴァーチャル、リアル双方共『独り』になった事のない快斗は著しく混乱した。自己が認識できず、狂ったように暴れてリアルとネットワークを主人格が行き来する現状に憔悴した快斗の前に、ふわりとある日降り立った白い影のことは、今でも忘れていない。
白いクラシカルな燕尾服に、シックなパターンのシャツと黒のタイ。青灰色の髪は嫌味にならぬ長さできちんとセットされており、スーツと同じく白いエナメルローファーの爪先まできりりとした意思が通う、電脳の奇術師が快斗を見下ろす。
唯一片眼鏡越しにも鮮やかなのは、その双眸。
『魔術師の赤』の名を与えられるに足る、宝玉のように血のように赤い瞳。その真紅の眼差しが、人工生命とは思えぬ確かさで快斗を見据えていた。
誰、と舌っ足らずの口調で問うた快斗に向けて、白い影は大仰なほどに恭しく腰を折り、嫌味な程に落ち着いた、丁寧な口調でこう告げた。
『はじめまして、リトル・マスタ。
今日この時から、私がもうひとりの貴方になりましょう。貴方の望むがままに、全てを成す腕と足となりましょう。
さあ、この手を取りなさい。
それが貴方と私のたったひとつの契約だ』
凛、と通る声に導かれるように、ぎゅっと握りこんでいた手で快斗は『魔術師の赤』の手を取った。
その瞬間から、『彼』は自分で自分は『彼』になった。
『魔術師の赤』はその色を白に染め替えても、もう一人の自分として今も此処にある。それは無論、かつて保有していた情報や能力ごと、すべて余す事なく。
消えたように見える人格でさえ、快斗の真っ白なそれと交じり合って今はもうどちらがどちらなのかもわからないけれど、確かに此処にある。
見事な手際で目的の管理システムにアクセス、内部プログラムを書き換えて容易く入り込む。セキュリティシステムに感知すらさせない圧倒的な技量を以って、『白の魔術師』は名を馳せ、今も尚正体不明で在り続ける。
「…INP極北支部謹製・最強無敵のクラッカーAIは健在、ってね。魔術師の名前を継いだ以上、無様になんて出来るもんか」
己の事をマスタと呼びながら、自分とほぼ同一化しているかのAIは酷く自己主張が強い。無様な真似でもしようものなら、あっという間に主導権を取り返されるのは間違いない。
こんなアクの強い自律稼動式AIを組んだ養い親を少々怨みながら、快斗はばらばらと収集した情報を辺りにばら撒いて必要なものだけを拾い上げる。
「ふうん…『ゲーム』、ねえ」
工藤新一が居住していた部屋の監視カメラと集音マイク。それらを統括する監視システムのログを拾い上げ、冷ややかに微笑う名探偵の瞳の凄まじい蒼にぞくぞくする自分に苦笑する。
『ゲーム』と彼は言った。
勝利条件も、敗北条件も明らかでないそれは、彼があの場所を出るまでがリミット。誰一人ゲームのルールを知らず、彼一人だけがそれに沿って動いている。
「なるほど、コレは俺を…『怪盗KID』を誘ってらっしゃる?」
少々自意識過剰な答えだったが、多分正解だろう。
彼は、彼と同等以上にやりあえる存在が炙り出されるのを待っている。この盛大な家出劇ですら余興に過ぎない。情報関連の研究機関、その関係各所にリンクする巨大なネットワークと強固なバックボーンを一時的とはいえ乗っ取って、ワールドワイドウェブに花火を打ち上げるつもりなのだろう。
それが笑い飛ばせる世迷言ならば良かった。けれども、彼の能力と人格は容易くそれらを成すだろうから性質が悪い。
次いでビル全体の管理システムから、新一のアクセスログを高速で辿っていた快斗は、同時に脳内で構築されてゆく現状予測にざあっと血の気を引かせて身を翻す。
「やっべぇ…!!何やらかす気なんだよあの『名探偵』は!?」
名探偵。
言いえて妙だ。彼は司法を網羅し、犯罪を知り尽くし、犯罪者を誰よりもよく理解する。
それを直結して犯罪へと繋げないのは、図らずともそれが決して合理的な手段ではない事を知るが故だ。
それはつまり、必要だと思えば手段が合法か違法かといった些細な事など、全く彼のストッパーにならない事を示唆していた。
慌ててネットワーク上のKIDから、リアルのエアバスの座席で寝こける快斗へと意識をシフトする。がばり、といきなり起き上がった乗客にアテンダントがびっくりしたようにこちらを見たがそんな事は知った事か。
着陸を告げるアナウンスが暢気に響く中、早く地上に着けばいいと快斗は苛々と唇を噛み締めた。
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ビル内のオートセキュリティ・システムを無効化してだいぶたつというのに、保安部員を気休め程度に寄越すだけでこれといって的確な妨害をしてこない仮想敵に白けつつ、新一は厳重にロックされた扉の前に立って、それを見上げた。
この研究施設の中枢たる、メインコントロールルーム。
あらゆる施設のシステムを統括するメインユニットが鎮座するこの場所こそを第一に守らねばならないだろうに、この程度の抵抗で到達されて、尚且つ追って来る者もいないようでは危機管理能力を問われるのではなかろうか。
「ふーん、ここのプロテクトが俺には破れないと思われてるってことか?」
そりゃ俺に対する侮辱だよなー、と独りごちて、新一はぺたりと右手をドアに押し付ける。表層組織に集中させた解析用ナノマシンが物理強度を、脳内に構築された特殊演算機能を有する部分がシステムのプロテクトを推し量る。
物質劣化はやってやれない事はないが、内部にあるのがメインシステムである以上無理はしない方がよさそうだ。どこまで伝播するのか、細かいコントロールには自信はない。
と、すると、クラッキングが妥当というところだが。
ふむ、とひとつ首を傾げ、ドアを見つめる目を細める。タイムスケジュールに遅延は今のところない。立てた行動計画に変更点は皆無。ならばすべき事はただひとつ。
「…ユーザー認証開始。CODE:OOAK−09『the most deep blue』」
ひぃん、と空気が耳鳴りのような音を立てる。
ざわざわと皮下で自分以外の組織が唸りを上げる音を聞いたような気がした。
堅牢なドア?
強固なプロテクト?
何もかもが意味がない。少なくともこの『最深の蒼』の前では意味がない。
この日の為に、被り倒した無害な仮面は既に欠片も残ってはいない。鮮やかなまでの蒼い双眸が見つめる先で、音もなくドアは開く。己の主を迎え入れる為に。
此処で過ごした十七年を、工藤新一が無駄にしたなどという事があるはずもない。全ては、この日の為の雌伏の期間。
「さあ…始めようか。『ゲーム』はむしろ、これからだぜ?」
すたすたと、正面に位置するメインコンソールの上に持参したPCをかたりと置いた。それを立ち上げるでも電源を入れるでもなく、ただ付属のケーブルのみをコネクタに接続し、目立たぬ場所に据えただけで満足したように唇を吊り上げて、新一は軽やかに踵を返した。
これでフラグは全て揃った、あとはただ、結果を待つのみ。
目指す出口は、屋上に程近い43階にある緑化テラス。そこの外壁ガラスをぶち割れば、隣のビルの屋上まで数メートル。飛び越えられない距離じゃない。そのビルの屋上に設置された大型排気ダクト、そこに到達できればあとは埃っぽい数分の匍匐前進を我慢するだけで、『工藤新一』は晴れて自由の身となる。
我ながら完璧な出来栄えの計画にやや浮かれ気味になりながら、メインコントロールから直通の脱出用エレベータに乗り込み、何の躊躇いもなく屋上へのボタンを押す。くん、と軽い重力を感じる動作音の後、すばらしい勢いで上階へと上るエレベータ。
機能優先の為よくあるガラス張りの観覧要素など存在しない為に外の様子を見ることは残念ながら叶わなかったが、それでも浮かれる新一の心を止めることなど出来ない。
満面の笑みを浮かべて屋上へと到達したエレベータのドアが開くのを待っていた新一だが、いざそのスライドドアが開いた瞬間顔を強張らせた。
「…なんで」
誰かが其処に立っている。
既に日は暮れ、太陽に代わって月がコンクリートを照らしている。圧倒的に足りない光量にはっきりとしない視界に苛立ちながら、新一はその慧眼を以ってそれを見極めようと人影を凝視する。
誰も居るはずのないこの場所に、立っているのはどうやら少年。黒のパーカーにブラックジーンズ、履き古したスニーカーという出で立ちは、新一が知るはずのない人間だというのに、新一はどこか脳内にこびりついた残像を消しきれないでいた。
「…誰、だ?」
「ヒドイなぁ、名探偵。俺はちゃんと此処に来たのに」
間に合ってよかった、と告げる声にも覚えは…いや、この声はどこかで聞いた。
奔放に跳ねる癖毛は黒、月夜にも鮮やかな双眸は深い藍。造作的には整っている部類に入るのだろうが、他人の美醜に疎い新一にそんな事は些細なもの。覚えているとしたら、きっとそんな印象ではなく。
そうだ、俺はコイツを知っている。
「怪盗…KID?」
言葉にして、それこそが真実だと新一は悟る。
ああそうだコイツだ。コイツにこそ俺は会いたかった。
高層ビルの屋上だけあって強風が吹き荒れているにも関わらず、互いの声だけしか聞こえない現状に二人揃って違和感すら覚えぬまま、一歩、また一歩と距離を詰める。
あんな一瞬の出会いじゃ足りない。
言葉も思いも何もかも、交わすには時間が足りなさ過ぎる。
「…会いたかったぜ?」
「こっちこそ」
ようやく、互いに触れえる距離まで到達した事に安堵するように、快斗の腕が新一の腰に回り、新一の腕が快斗の首へと回る。引き寄せた身体が暖かい事に、ようやく己と相手が生きている事を実感する。
言いたい事もやりたい事もたくさんたくさんあったはずなのに、触れた端からそれが霧散する。じわじわと染み込むようなこの想いに付ける名前は、もう前から決まっているのだから。
温もりを惜しみながらもカウントダウンを思い出した快斗が、ゆっくりと腕を放してこちらを見る新一の双眸を真っ直ぐに見つめて囁いた。
「時間がない、名探偵。こんなとこはさっさとおさらばするよ」
その言葉にぱちぱちと瞬きをする新一に、この人目的忘れてるんじゃ、と一瞬走った快斗の危惧は、そうだな、と彼が告げた事で一旦は取り消された。
けれども、この少年が似ても焼いても食えない非常識な存在なのだと、次の一言で痛感する事にもなる。
「じか、ん…?そっか、あー、忘れてた。
俺コントロールルームに時限式のトラップ仕掛けて来たんだった」
「…は!?」
しれっと告げられる言葉に、思わず快斗は名残惜しげに距離を詰めていた新一を引き剥がして目で訴えると、さらりと告げられた次の言葉に目を剥いた。
「このまま逃げるのもムカついたから、ちょっと仕込んだ奴を接続して置いて来た。あと…何分だろ、タイマー式で仕込んだ偽指令に従って各報道機関に情報を撒き散らして、その後メインシステムが最上級警告宣言を発令する」
「…ええと、全部ゲロって自爆するって意味?」
「そうとも言うな」
確かに此方の望む情報の拡散と都合の悪い証拠の隠滅には一番手っ取り早い、手っ取り早いけどね?!
本当にこの人危険人物だ、放っておけないよ、と自分の事を棚に上げて快斗は思わず溜息を落とした。それにむっとした様子の新一の手を引き、屋上に放置したままのヘリを指差す。
「そういう事なら余計にさっさと逃げなきゃ。
…なあ、『新一』?」
「…?」
此方を真剣に見つめ、己の腕を引く少年が呼ぶ己の名にざわりと新一の心が揺らめく。
何を問われるのか、と一瞬身構えた新一だったが、直ぐに向けられた問いに口元を綻ばせ、彼と繋いだ手を強く握り締めた。
『俺と来てくれるか』なんて問われても。
俺が答えられる選択肢は、もうYESしか残ってないだろう?
ヘリに乗り込み空へと逃れたその数分後。
窓から見える件のビルの明かりが一瞬にして消え去るのを、一瞬だけ振り返る。
十七年を過ごした場所。感慨はあると思っていたのにどうやら欠片もないようだ。
むしろ感慨と言うのなら、きっと。
繋いだままの手のひらから伝わる体温にくすくすと笑みを零して、新一は二度目の邂逅を終えたばかりの相手の肩に頭を預けた。
つづく。
2005.04.21.
B A C K * / H O M E * / N E X T *