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 第八次アーキテクト・サンプリングコードにより構築されたコーディネイト・ヒューマン。
 現在十四次までナンバリングされているアーキテクト・サンプリングの中でもその数字は特別な意味を持っている。
 史上最大の規模で行われた『才能の収集』。
 絢爛豪華に過ぎる歴々を揃えたアーキテクト・サンプルと、その収集結果であるそのサンプリング・コード。
 あらゆる人類の叡智の結晶を使用して構築された『強化人間』は、確かにあらゆる意味で『ヒト』の可能性のひとつを知らしめた。
 但し、現実というのはいつでも砂糖菓子のように甘い妄想を打ち砕く非情さを併せ持つものだが。
「…かくて、世界は『カミサマ』の手から逃れえぬままだってわけだ」
 ぱさり、と一読して興味と実益を失った書類を部屋の床に投げ捨てて、工藤新一はその蒼の双眸で白い天井を睨みつける。
 『蒼の探偵』、『最深の青』、『日本警察の救世主』…彼を称する言葉は多かったが、そのどれひとつとして彼自身を誉めそやすに足る言葉ではなかった。
 むしろ、新一にとってはそれらは全てスパイスの効いた皮肉でしか在り得ない。求めるべき真実はいつでも容易く手が届くのに、新一自身はこの場所に戒められて身動き一つとれやしない。
 自由など失うどころか手にした事もないのに、その境遇と原因と結果がはっきりとし過ぎた才能を妬む輩が存在する事は言い様のない脱力感を伴う。
 先ほどまで煮え切らない会話を繰り広げていた関西エリアの探偵だという少年も、そうだ。
 少しばかり恵まれた境遇と、少々秀でた才能。彼はそれに自身の適性も合わさって極東地区の西エリアでは学生でありながらそれなりに探偵として名を広めているらしい。
 それで満足しておけばいいのに、何を思ったか新一の場所まで駆け上がろうと、彼はもがいている。それ自体は冷めた目で見ざるを得なかったが、彼に対して特別な好意を持った事はなかったが悪意も持った事はない。
 ただ、空しい事を知っている。
 それだけだ。
「…わざわざ、好き好んで籠の鳥をやることもねーだろーに」
 冷たく部屋を照らす蛍光灯に、日に焼ける事もない腕を晒す。白いその肌の上に縦横無尽に這い回るのは、幾重にも重ねられたナノマシン・コードの黒い幾何学模様と数式。
 『工藤新一』を構築する全てが記載されているそれは、腕だけでなくほぼ全身に広がっている。そしてそれは、此処で生きている限り増えることはあれど減りはしない刻印のようなものだ。
 新一自体には、出来る事はそう多くない。
 警察組織に手を貸しているのも、ネットワーク上で探偵紛いの行動を取るのも全て彼に許された『娯楽』でしかない。
 定期的に片付けられる部屋と、何も残らない白い壁紙と天井。明るいが、冷たい蛍光灯の光。
 繰り返し繰り返し訪れる退屈と同意義の日常を、鮮やかに切り裂いて見せたのは後にも先にも。
「…アイツ、だけだったからな」
 ぎゅっ、と白い、血管が透ける手で拳を握る。不思議と、己の事ながら病弱という印象は無い。
 白い影。
 『魔術師』の名を冠する、名うてのハッカーの笑みは消えずに鮮やかなまま此処にある。
 背後に見え隠れしていたINPの存在すら霞ませる、見事な手腕に覚えた戦慄を、歓喜を忘れない。否、忘れられない。
 見据える天井と己の腕の白さ。そして、この現状の無力さに歯噛みする。きっと、もう一度相見えたとしてそれでもまた自分は彼に辿りつけないだろう。
 それがわかっているのに尚、遭いたいと願うのはどこから来る願望なのだろう。
「…そうだな」
 唇を舐める。
 優秀すぎる頭脳に放り込んだ情報は、いつでもそれが現実に適用される日を待っている。
 そう、あとは決断一つ。
 この鳥籠の鉄格子に手をかけるか否か、その選択肢。

 再び閉じた瞼の裏に、行き交うものは等しく冷たく。
 次に青く光る双眸が天井を見据えた時、それは決意を秘めて輝きを増した。


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 『工藤新一』が居住している部屋の鍵は、居住者の意図によらず常に施錠されている状態だと言っても過言ではない。
 何せ、この部屋はあくまで『居住している』部屋であって『所有している』部屋ではない。定期的に清掃という名のチェックが入り、内装まで管理されたそれはもはや巨大な実験ケージのようなものだから、住人が居ない状態の時は開錠されるという、全く持って世間の逆の様相を呈する。
 とはいえ、それも常に監視…というよりは観察を受けている状態では仕方あるまい。この現状は新一からすれば自我が芽生えてからずっと続いてきた『日常』だ。今更どうこう自分が言って変えられるようなことならばとっくにしているし、現在までどうしても我慢ならない、というところまでは至ってはいなかった。
 そう、『現在』までは。
 既に新一は自分がどうするかを決めている。その為に何が必要なのか、何をすべきなのかも把握は出来ている。
 慣れた無表情の下でめまぐるしく思考を組み立てながら、それを此方を観察する人間に悟らせないようにする事はもう幼児期には確立された技能だった。
 となれば、あとはそれを磨くだけ。
 十数年に渡る真性猫かぶりのキャリアは煮ても焼いても食えない人格を形成し、今以て研究者たちを騙し続けているわけだが…代わり映えのしないそれも、もうだいぶ飽きた。
「…そろそろ、潮時だよな」
 口元に薄っすらと笑みを浮かべ、かたりと無機質なOAチェアから立ち上がり、今まで決して気付いているそぶりを見せはしなかったが場所くらいとっくに知っていた監視カメラに向けてにっこりと満面の笑みを形作る。
 相応に秀麗なこの顔がもたらす効果を十二分に熟知した上で、おそらくは監視モニタの前で固まっているだろう研究員を煽るように、その人畜無害な笑みをあたかも魔王のそれと見紛うばかりの凶悪なものへとすりかえる。
「…ゲームをしようぜ」
 かたり、僅かな音を立てて唯一新一に与えられた『玩具』であるところの標準以上でも以下でもないノートパソコンを右手に抱える。バッテリー残量はフルゲージ、あと6時間は余裕で稼動できる。
 準備は万端、頭の中に叩き込んだ行動スケジュールにも矛盾は無し。
 としたら、後はこの足を進めるだけだ。
「俺は逃げる、アンタ等は捕まえる。単純だろ?」
 すたすたと新一が足を向けた先は、厳重に施錠された部屋の外へと繋がる唯一のドア。常に二重三重の時間でランダムに切り替わる16桁の暗証番号と厳重な電子錠によって施錠された、『工藤新一』をここに留めるためだけの檻の最たるもの。その厳重に過ぎる扉を開ける唯一の端末である入力プレート部分にひたりと手を当て、目を細める。
 宣言から23秒が経過、それでも何もアクションがないのは、これが大言妄想の類だと嘲笑っているからか。
 まあいい、慌てふためいて貰うのは今からでも遅くはないわけだし。
 額の左端、髪の生え際から耳の裏側にかけてが熱を持つ。 工藤新一の全身には、研究過程であらゆるナノマシンが組み込まれている。無論、新一の意思ではないが積極的に拒否もしていない。どう考えても倫理的に許されざる実験ではあったように思うが、これらが何を己に何をもたらすのか興味があったのも事実だからだ。
 だが、生身の人間に臨床実験はおろか動物実験も満足にしていない未知の技術を組み込んだ史上初の試みは、今の今まで研究者たちに満足な結果を与えはしなかった。発現したのは少しばかり強化された身体組織と治癒能力くらいで、それは元々コーディネイト・ヒューマンである新一の特性をやや伸ばす程度のものでしかなかったからだ。
 だが、彼等は知らない。
 パールブルーで刻印されたナノマシン・コードは今まで自分を調べた研究者たちがひとりの例外もなく『発動の兆しなし、失敗作』と断言したものだ。
 けれど、それを有する新一は知っている。
 この身体に刻まれ埋め込まれた全てが、今となっては新一の手足であり第二の脳であり、それら全てと乖離した全く別個の組織として健在であることを。
 ちりり、と熱を持った部分から人間の思考言語とは全く異なるパターンの電気信号が脳を、脊髄を巡る。全身至るところに印字されたコードパターンが稼動を始める。

 誰が呼び始めたか、ネットワーク上で囁かれる『最深の蒼』。
 その名前の意味を、只今からとくと知るといい。

 薄く閉じていた瞼を持ち上げる。
 その奥で常人にはあらざる光を持つ蒼い双眸が挑戦的にひかり、手をかざしていただけの端末機が軋むような音を立てる。
「…さあ、『ゲーム』のはじまりだ!」
 告げる言葉と、檻の崩壊はほぼ同時。
 己の意思で部屋を出る新一の足を妨げるはずの堅牢強固なドアは、畏れを抱いたかのように従順にその責務を果たす事無く彼の前に身体を開き、外界への道を切り開く。
 思い出したように鳴り響くエマージェンシー・コールが、新一には愉快かつ滑稽でならなかった。



つづく。

2005.04.14.

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