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「『蒼の探偵』?」
 快斗が告げたその名前を反芻して、ボイスチャット中の相手は画面の中で片眉を跳ね上げた。明らかな否定感情で苦いものでも噛み潰したような表情を崩さないまま、低い声で関わるな、と呟いた。
「やめておけ、深入りはしない方がいい。
俺もアンタも、いやおそらく『ハッカー』と呼ばれる連中は皆相応に気侭で自由主義だが、あの『蒼の探偵』は少しばかり相手が悪い」
 どうして、と快斗が問う前に相手はふう、と溜息を落とした。同時に別窓で開いていたメールソフトに、数通のメールが届く。
「まあ、オマエの事だ、俺が言っても聞きゃあしないだろ。ソイツをじっくり拝んで、それから考えな。
…かの、『最深の蒼』に本気で関わるかどうかをな」
 最後の忠告だ、とぶっきらぼうに告げて、地球の反対側の知人はログアウトする。友人と言うほど親しくはないが、それでも快斗にとっては信頼の置ける存在だ。
 彼の情報は確実で、快斗の知るうちでも五指に入る正確さを誇る。ネットワーク上に存在している情報屋の中でも良識のある彼のような存在を、快斗は尊敬する事にしている。
 にしても。
「『最深の蒼』ね…アレって名探偵と同一人物だったんだ」
 怪盗KID…『kid the phantom thief』とほぼ同時期に、語られるようになった凄腕ハッカー『the most deep blue』、通称『D』。
 ただ、KIDと異なり彼の人は常に司法や政府の側にある存在だった。自由主義といえば聞こえはいいが、従うものは自身の意思だけ、という気侭なネットワーカーが多いなか、常に正義と司法の下に己の存在を置く存在は、あまりに浮いているが故にすぐさま広まった。
 なるほど、それが『蒼の探偵』と同一存在ならば、それも頷ける。基本的に彼への依頼は警察からのものが圧倒的に多いと聞くし。
「…相手に取って、不足なし?」
 にやり、と快斗は唇を吊り上げる。
 画面上に広がるのは、彼の写し身であり彼自身でもある『模擬体』…白衣の奇術師『怪盗KID』。
 彼を取り囲むのは、とても一個人でそろえたとは思えぬ最新機器の山であり、今もモニタやPCデスクの周りには書き散らしたメモやら何処に何が入っているのか本人以外は判別すら付かないディスクやMOで足の踏み場もない。
 悪戯っぽく眼を輝かせ、今までチャットに使用していたPCとは別のノート型をガラクタの山から引きずり出すと、にんまりと笑って電源を入れる。すばらしい速さで立ち上がるOSは、無論既存のものとは異なる。
「手加減無用の相手には、本気で行くのが筋ってもんだよな?」
 呟いた言葉は物騒で、けれど相反するように表情は子供みたいに楽しげで。
 快斗はまだ見ぬ同業者に、心の中で宣戦布告を開始する。
 今度は、イーブンなんかで終わらせない。
 請けた仕事とは別の楽しみに、くすくすと笑みを零しながら。
 放り出したままだったヘッドセット・バイザーをコードごと引き寄せた。



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 きしり、と使い込んだアームレスト・チェアに体重をかけるようにして工藤新一は無機質な天井を見上げた。
 かなりの頻度でクリーニング業者が入るこの部屋は、端から自分が散らかしてはいるものの基本的には無機質で味もそっけもない。生活感など生まれようはずもなく、ただただ『そこにある』だけの部屋だ。
 新一とて、ここに『居住空間』としての快適性など求めてはいない。食べて寝て適度に健康に過ごすのには最低限の要素は揃っている。
 手の届く範囲に積み上げられた雑誌の一冊を引き抜くと盛大に崩れて山を形成したが、それも見ないふりで視線を逸らす。どうせ、一週間後には綺麗に片付けられてゴミ処理場行きになるシロモノだ。
「…つまんねえ」
 あんなに、あの時はドキドキしたのに。
 あの、白い怪盗の姿を追っている間はワクワクできるのに。
 現実はこんなにもつまらない。世間が勝手に与えた『蒼の探偵』の名前さえ邪魔で、どうでもいいものだ。馴染みの警部には相応の借りと同量の貸しがあるが、それすら新一にとってはいつでも投げ捨てられる類のものでしかない。
 いつだって飽いている。
 だからこそ、あのネットワーク上に在った白い模擬体、その正体と謎にこれほどまでに焦がれるのかも知れない。
 かしり、とペンの端を噛んで、構築された推論の整合を整え、目を閉じる。
 『最深の蒼』の情報ネットワークと、類稀なる頭脳を以ってしても尻尾を捕まえる事もできなかった、KID。
 力量不足と言うよりは、むしろ。
「…バックボーンの差、だな」
 新一に与えられた環境は、あまりに脆弱に過ぎる。
 それでも十分すぎると『彼ら』は嘯くだろうし、これ以上を要求できる立場にない事は新一自身が一番良く理解している。しかし。
「足りねえ。アイツと渡り合うには、こんなんじゃ足りねえよ」
 情報。
 環境。
 そして何より、新一自身に嵌められた枷が多すぎる。
 今まで逃げ出そうなどとは思ったことは一度たりともなかったというのに、あの白い奇術師の影が全てを塗り替える。
 雑誌を掴んだままの右手を見遣り、そこにある『業』に薄く苦笑を零す。何もかもが手遅れかも知れないのに。
 それでもじりじりとこの胸を焦がす感情が何なのか。

 真っ白い天井と窓のない部屋をぼんやりと見据えながら、新一はかしりともう一度ペンの端を噛んだ。



つづく。

2005.03.15.

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