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「…ふうん」
 かつん、と僅かに甲高い音を立てて爪先から無限に広がるグリッドラインの果てに舞い降りる。
 ふわりとさばいたマントの端が、まるで羽根のように仮想重力に従って散るかのごとくゆらめく。片眼鏡越しの光景はひそやかに、けれど唇に浮かぶ笑みを止められないほど愉快な現実。
「やってくれるじゃないか、『名探偵』」
 綿密に練り上げたプログラム。一秒たりとも無駄なく積み上げたタイムテーブル。リアルとヴァーチャルの双方から構築した芸術とさえ呼べるそれを、あっけなく壊して尚且つ己の意図を理解するかの存在を畏怖と敬意を以ってそう呼ばわる。
「…だけど」
 にぃ、と唇を吊り上げた表情は、おそるらくは人の悪いものとなっていることだろう。その二つ名は確かに真実であり、子供のような好奇心と無鉄砲なまでの行動力は、自身の能力に裏打ちされて代え様のない武器となる。
 そしてそれは、自覚のあるなしに関わらず、あの『蒼の探偵』も同様なのだと思い知らされた。
 何もかもを見通す青い慧眼と、事態を嗅ぎ分ける感覚と、犯罪者を捕らえる腕と。全てを備えたかの『名探偵』は、だからこそ目の前にいつか立ち塞がるだろう。
「…『KID the phantom thief』の名前は、伊達じゃない…ってね」
 白一色の装束は戦闘服。
 作り上げた模擬体が成すのは、けれどあくまで自身の影。
 目深に被ったシルクハットの作り出した意図的な影の下、露にはならない視線と対照的に薄く笑う唇。
 ゆらめく世界…その名を仮想現実[ヴァーチャル・リアリティ]。
 まるでオーケストラを相手にする指揮者のような優雅な手付きで以って右腕を揮う。開いては閉じるホログラム・ウィンドウと明滅する稼動ステータス。奇跡のような動きで指先がアプリケーション・プログラムを検索し実行処理を行ってゆく。
 無限に広がるグリッドラインが撓み、変形し、ネットワークを構築する。先ほどまで煩いほど纏わり付いていた『名探偵』の『眼』を霍乱するそれらの行動は、確かな技量と正確無比な実行能力によって成し遂げられてゆく。
「お仕事、完了…ってな」
 今回の『仕事』は多少のイレギュラーを含んではいたが、まずまずの結果と言えるだろう。
 INP[インターナショナル・ネットワーク・ポリス]から持ち込まれたにしては少々危ない綱渡りを繰り返すことになったが、結果よければ全てよし、だ。
「残念だったな、『名探偵』。
…俺は、『警察』なんぞに捕まるほど甘くないよ」
 どれほどに『名探偵』が優秀だろうと。
 今回バックに付いたのが『INP』である以上、『KID』の優位は最初から見えていた。歯噛みする警察のお歴々の顔を思い出して再び口元に笑みを零すと、再び『KID』の白いエナメルローファーがグリッドラインを蹴った。
 ふわり、広がる白いマント。
 やはり羽根のように見えるそれをはためかせ、ログアウトのノイズが世界を彩る。
 おっとり刀で警察の手が伸びる頃には既に遅く。
 『KID the phantom thief』…『怪盗KID』の名に恥じぬ神出鬼没さで、かの『白い魔術師』の姿は何処にも見つける事は出来なかった。


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「…くそっ!!」
 汗にべったりと塗れた重苦しいヘッドセットバイザーを乱暴に己の頭部から毟り取り、少年は端正な造作に似合わぬ乱暴な所作でそれを傍らのソファへと投げつけた。
 艶やかな黒髪を二度三度と頭を振って掻き毟ると、苛立ちを押さえきれぬ様子で、その真青の瞳でブラックアウトしたモニタを睨みつける。
「あんにゃろう…あともう少しだったのに」
 口から滑り落としてみて、その言葉に現実味がない事に自分で余計に怒りが増す。するりとこの手から見事に逃げおおせた『怪盗KID』の手腕を考えるだに、もはや痕跡ひとつ辿ることは不可能だろう。
 あの時点で、『蒼の探偵』の『眼』を誤魔化しえたそれだけで、いっそ賞賛には値するのだが。
「…警部になんて言い訳すっかな…」
 馴染みの警部から持ち込まれた、今回の依頼は元より工藤新一の探偵としてのフィールドからすると曖昧なものではあったのだ。
 本来、ネットワーク犯罪を取り締まりセキュリティを統括しているのは国家に従属している警察機構ではなく国際的独立組織『インターナショナル・セキュリティ・ポリス』の領分だ。
 半警察、半研究組織と言われるかの組織の判断基準からすれば『KID』は確かに検挙対象にはない。『白の魔術師』はハッカーであってクラッカーでもクラッシャーでもないのだから。
 そして、それでも警察が『KID』を追ったのは、現在検挙を控えている大規模犯罪組織の情報が警察に流れる度に、ちらつく影が彼のものではないかという推測。
 それが此方に彼が情報を流しているという見方も出来たし、彼がある程度警察へと流れる情報をコントロールしているのではという危惧もあった。
 だからこそ、非公式である事を承知で『蒼の探偵』に依頼さえした。それが敵であれ味方であれ、不確定要素を排除する意味も込めて。
 しかし事態は警察の予想をはるかに上回り、警察組織の仕組んだ茶番に恐らくはわざと乗ったのだろう『KID』は、探知システムの全てを無力化、綿密に構築されていた筈のセキュリティブロックをあっさりと突破して主要パイプである積層情報回線へと逃げ込んだ。それを見越して『蒼の探偵』が独自に配置した追跡システムすら霍乱、此方に痕跡ひとつ辿らせずネットワーク上から完全にログアウト。
 それこそ噂でしかないNP上層部が開発したと言われる、自律式AIレベルの演算能力と高度かつ冷静な判断力、どちらが欠けても不可能な神業だ。
 これまでの『KID』の履歴からコミュニティ、或いはグループである事を疑った工藤新一も、今回の『眼』からの情報でその認識を改めざるを得なくなった。
「単独行動…だな。バックアップユーザーが居るにしても、アイツの行動等に干渉出来るほどの近さじゃねえ」
 冷静に判断を下す探偵としての推理能力は、けれど何処までも奇跡のような魔術師を賞賛するものにしかなり得ないことに唇を噛む。
 警察が一番恐れていたような、『彼』が敵側である事はまずないだろう。それは確信だ。
 けれど、逆に味方かと言われれば違う気もする。彼は彼自身の価値観でしか動く事はないだろう。しがらみがないのなら、尚の事。
「ああくっそ、面倒くせえ!」
 『眼』のひとつにリンクしていた工藤の記憶野に焼き付いたのは、あの瞬間の微笑み。
 それが『模擬体』でしかない事は承知している。
 ただの錯覚と言う可能性だってある。
 けれど。

「微笑ったんだ、アイツ…」
 目深に被ったシルクハットの影と、絶妙に光を反射したモノクルが表情を隠していたのに、その瞬間。
 確かにこちらの『眼』を認識した『KID』は、笑った。
 尤も、次の瞬間に『眼』ごと盛大にリンクを引き千切られた為にそれ以上の情報は工藤にはないのだが。
 …離れない。

「絶対、見つけてやる…!!」
 ソファに放り投げたままになっていたヘッドセットを手に取ると、先ほどまでは使用していなかった拡張コードを乱暴に差し込んでゆく。
 ばらばらと棚から撒き散らされたファイル類を蹴り飛ばして作ったスペースにサブユニットを据え置いて、今度こそ、と工藤は椅子を軋ませ起動パスを打ち込む。。
 また徹夜か、と自身の冷静な部分が溜息を落とすのを、再び光を点したモニタを見据える事で誤魔化しながら。



つづく。

2005.01.29.

H O M E * / N E X T *