比佐のオフ友、多岐小桜様より頂きましたv
怪盗紳士と女子高生探偵 〜月と夜桜〜
トントンと、ガラスが鳴った。
今日も今日とて、自室でまったりと読書中だった探偵はベッドに足を投げ出したまま、視線だけを窓に向ける。また来たのかと嘆息し、今度は何の用かと首を傾げていると、小さく軋むような音を立てて窓が外側から開かれた。
「ご機嫌よう、名探偵。…月がきれいですよ。私と共に月見などは如何ですか?」
そう言って上品な笑みを口元に浮かべ、背後に月を従えた怪盗は優雅に挨拶する。
「…なぁ、KID。オメーさぁ…」
「はい、何でしょう。名探偵?」
挨拶こそ返して貰えなかったが、挨拶するなり帰れと宣った前回の訪問とは違って、とりあえず探偵に相手をして貰えた怪盗は、上機嫌で返事をする。
「そんなに暇なのか?」
ぴしり。
探偵の一言に、鉄壁のはずのポーカーフェイスが硬直した。
暇…?そんなワケないでしょう私を誰だと思ってるんです名探偵。自分で言うのもなんですが正体不明、確保不能の大怪盗、月下の魔術師、平成のアルセーヌ・ルパン、シークレットナンバー付きの国際指名手配犯、怪盗KIDですよ?!そりゃぁもう忙しいですよ、忙しいですとも高校生の身空でうっかり過労死の心配をするくらい忙しいです。それでも、どうにかこうにか遣り繰りして練り出した時間を使って名探偵に会いに来てるんですよ!!
…という怪盗の心の声が探偵に届くはずもなく。怪盗の恋心の存在に、はっきりきっぱりさっぱり全くもってうっすらとさえ気付いていない探偵は、もしかして…なんて想像する事すらない。はっきり言って、あり得ない。
「…はい?」
表情筋を硬直させたまま怪盗が聞き返せば、探偵は苛立たしげに眉根を寄せる。
「この間の予告状、明日が予告日なのにこんな所で油売ってて良いのかって言ってんだよ。」
それは、探偵が怪盗を心配していると言っているも同然の言葉。思いも掛けなかった探偵のそれに、怪盗の表情がふわりと緩む。
「…お気遣い有り難う御座います、名探偵。準備はもう整っておりますから問題はありませんよ。今宵は是非に名探偵へお渡ししたい物がありまして…。先程は月見と申しましたが、本当は花見をお勧めしに伺ったのですよ。」
いつもの魔法のような手際で探偵の眼前に掲げられたのは、見事な花を付けた一枝の桜。
花と葉を共に付ける山桜の枝は七分咲きといった頃合いで、薄紅色の花と蕾を零れんばかりに纏い、柔らかい若葉が彩りを添える枝が月明かりを受けて、艶めかしい風情を醸し出す。
「KID…これ…」
「なかなか見事でしょう?」
軽く目を見張って驚く探偵に、怪盗は悦に入って笑みを深めた。
「バーロ、オメーは『桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿』って言葉を知らねーのかよ?」
桜は樹に咲き誇る姿が、梅は枝ごとに咲く姿を愛でるのがより風情があって良い、という有名な言葉を口にした探偵は、差し出された枝を受取りながら白い目で怪盗を見遣った。白眼視を受けた怪盗は一瞬、ふ…っと遠い目をする。言われるだろうなと予想はしていたが、それでもやっぱり物悲しい気持ちになるのは否めない。
KIDの隠れ家の一つ、その傍で見つけた一本の山桜が、それは見事で。なんとしても探偵に見せたいと思った。出来る事なら一緒にそこまで出向きたかったけれど、探偵と自分の関係や自分の抱える事情を考えれば、その願いの実現は到底不可能だったから。我ながら馬鹿な事をしていると思いながらも手折ってしまった、その枝を思えば尚更だ。
「存じておりますよ、もちろん。ですが、名探偵。貴女は私が誘ったところで、一緒に外出などして下さいませんでしょう。」
「まぁ、そりゃそーか。あ、ちょっと待ってろよ。」
怪盗の言い様に納得し、自分の事を良く理解していると失笑した探偵は、何を思い付いたのか、受け取った山桜の枝を再び怪盗へと押し付けて、ぱたぱたとスリッパを鳴らして部屋を出て行く。どうしたのかと、そこに取り残された怪盗はベランダにぽつんと立ち尽くした。束の間とは言え、探偵の手にあった山桜の枝にそっと唇を寄せて、ぽつりと零す。
「そーだよなぁ、俺と一緒に出掛けてなんかくれねーよなー…」
分かってたけどさと、KIDの仮面を落っことした怪盗の呟きには哀愁が漂っていた。
実際に頷かれたって困るくせに、手を伸ばせば触れられるほどに近寄ってしまえば、どうしたって欲が出る。以前は例え短い時間でも会えれば、それだけで満足出来た。けれど、まだ二度目とはいえ名探偵のテリトリーに入り込んで許容されてしまえば、少しでも長く探偵の傍に居たいと思う。探偵に自分のした事で笑って貰えたら、どうしようもなく嬉しい。だから逆に、仮定の話でも誘いを掛けて断られたら、切なかった。
もっとも、事件となればどんな遠方にも喜んで出掛けていく探偵は、そうでなければとんでもない出無精なのも理解している。
誘いを掛けたのが探偵の大事にしている可愛い幼馴染と、彼女と探偵の親友であるお嬢様ならどれだけ渋ったところで最終的には受け入れるかも知れないが(どちらかというと拉致られるというのが正しい)、それ以外…例えば憎らしい事にそこそこ名探偵と親しい西の探偵が相手の場合は、自分と同じく断られるのが関の山だろう。…と、そこまで考えた怪盗は、自分の思考の後ろ向き加減に情けなくなった。下を見て安心する志の低さに危機感を感じる。
とんとんとん…と、階段を上がってくる足音に気付いて、物思いに耽っていた怪盗は我に返った。
「悪りぃ、適当なのが見つからなくてよー。」
小走り気味に怪盗の傍に戻ってきた探偵の手には、水の入った五百ミリリットルサイズのペットボトル。改めて山桜の枝を差し出せば、探偵はそれをペットボトルへ躊躇なく、挿すと言うより突っ込んだ。
「よし。…KID。悪りぃけど、またコイツ持っててくれ。」
「あ、はい…」
何やら満足げに頷いた探偵から胸元に突き付けられたペットボトルを手にした怪盗は、慌ただしく再び部屋を出て行く後ろ姿を見送る。
いくらなんでもペットボトルはどうよ?と思ったが、当人の言ったとおり、他に見つからなかったのだろう。流石にラベルをそのままにするのは憚られたのか、きちんと剥がしてあった。
そして、待つ事しばし。
「KID〜開けてくれ〜」
依頼形ではあっても間違いなく命令なんだろうなと思いつつ、怪盗は恐る恐る靴を脱いで探偵の部屋へと足を踏み入れる。そのまま室内を横切ってドアノブに手を掛けた。
「お待たせしました、名探偵。」
「おう。それ何時までも持ってねーで、机の上にでも置いとけよ。」
貴女が持ってろと仰ったんでしょうとは、怪盗は言わなかった。コーヒーの入ったマグカップを両手に一つずつ持った探偵を見て、怪盗がそんな事を言えるはずもなく。ペットボトルを持っていろと言って、そうとは告げずに二人分のコーヒーを淹れてくれた。その意図も分からないほど怪盗は鈍くない。言われた通り、桜を机上に設置する為に探偵に背を向けた怪盗は、彼女に見られないように破顔した。
KIDと居るのは別に嫌じゃないと、探偵は思う。むしろ、他の誰と過ごすよりも気が楽なくらいだ。
前回は予告状を渡すと、用は済ませたとばかりに怪盗は自分の誘いを断って、すぐ帰って行った。今日だって、わざわざ桜の枝まで持って来て花見に誘っておきながら、枝を寄越したらさっさと帰るつもりだったに違いない。その証拠に、怪盗は二つ持ってきたマグカップを見て、ちょっと驚いていた。
「ほら。…花見、するんだろ?」
いつもムカつくほど悠然とした態度を崩さない怪盗が戸惑っている姿を見せるのは珍しくて面白かったが、同時に少し焦れったい。ペットボトルが倒れないように枝の角度を調整して、そっとそこから手を離した怪盗へ、探偵がマグカップを差し出す。
「そうでしたね。…いただきます。」
マグカップを受け取った怪盗は、そのままベランダへ戻って靴を履いた。それを見た探偵は、酷く胡乱な眼差しを怪盗に向ける。
「おい。オメーはオレと同じ部屋に居るのが嫌なのかよ?」
「いいえ、そんな事はありませんよ?嫌なら、わざわざ名探偵に会いに来たりは致しませんし。」
どうしてだか急に不機嫌な様子でされた探偵の質問を、怪盗は即答で否定した。にも関わらず、探偵の目には猜疑の色が増していく。
「それが本当なら、なんだって部屋の中にいたのにオレが戻ってきた途端に、わざわざベランダに出るんだよ?」
心底疑わしげに探偵から飛び出した疑問に、怪盗は撃沈したくなった。名探偵の前では無様な姿を断じて晒すものかと自身に誓っていなければ、怪盗はその場に蹲って立ち直れなかったかも知れない。理由なら、前回の訪問時にきちんと伝えておいたはずなのに。
「名探偵…先日、私がなんと申し上げたか、憶えておいでですか?」
「暗号をオレ用に作るのと、お前が部屋に入らない事にどんな関係があるんだよ。」
いつもは女の子呼ばわりしたり女の子扱いしたりすると怒るから、知っていてやった怪盗に対しては絶対に根に持っているはずで…だから忘れる事などないと怪盗は考えた。この名探偵を怒らせ、なおかつ根に持たれるような恐ろしい手段を用いるのは今後の自分の為にも避けたかったが、他に上手い手を思い付かなかった怪盗は腹を括って実行したのだ。
まぁ、名探偵に触れられるという利点に目が眩んだというのもある。正直、その為だけに実行したと言っても過言じゃないかも知れない。…それなのに、怪盗の予測では怒っているはずの名探偵は真顔であっさり素っ頓狂な事を仰った。
そこじゃねぇよ、名探偵(泣)!
うっかり素に戻って、怪盗はそう叫びそうになる。それを堪えて、怪盗は気持ちを落ち着ける為にコーヒーを口に含んだ。流石に無類のコーヒー党だけあって、探偵の淹れてくれたコーヒーは美味しい。お陰で天然な探偵に立ち向かう気力が湧いてきた。
「そうではなくてですね…。こんな時間に、女性が軽々しく男を部屋に招き入れるものではありませんよ。似たような事を、先日も申し上げたんですが…。本当に忘れてしまわれたんですね…。」
懇々と諭す怪盗の言葉に、探偵の首がどんどん傾いていく。探偵の中で今回、それは瑣末事として処理されたらしい。最早、記憶をどう探ってみても片鱗すら浮かんでこないようだ。どうやら探偵の気を引く為の、KID特製暗号名探偵仕様が失策の原因だった。
「とにかく、そう言うわけで私はこちらで充分ですから。名探偵はお気になさらないで下さい。」
視界に名探偵と山桜の両方を収めて、怪盗は満足だった。眼福である。特に名探偵が。まだむくれているが、それがまた可愛らしい。
「ふーん…」
探偵は半眼で、彼女からは涼しい顔でコーヒーを飲んでいるようにしか見えない怪盗を一瞥した。どうしても怪盗の言い分に納得出来ない。
本当に納得いかないのは、いつもだったら気に障る女の子扱いを怪盗にされたのに、それに抵抗を感じていない自分自身だと、どこかで自覚していながら追求はしなかった。
季節を告げる花と、地上の月と。
その両方を、同時に自室でゆっくり眺める機会など滅多にない。
偶にはこんなのも良いかと、探偵は月明かりを受けて佇む怪盗へ聞こえないようにマグカップで口元を隠して、こっそり御礼の言葉を呟いた。
2005.03.29.