03.multiplication的paradox



「『日本警察の救世主』は、アンタの思惑に乗ってやったぜ?」
 わざと突き放すような声色を作って、快斗は駅前のロータリーで待ち構えていた男に向けてぶっきらぼうに告げる。
 何処か困ったような微苦笑を浮かべた、人の良さそうな男性。間違える事無く快斗の名を呼び、新一の名を出した彼の意図と望みを、少なくとも探偵と怪盗は寸分違わず理解している。
「そうだね、君たちは私の願いを叶えてくれたよ。これで山科さんの無念は晴れる…社長と、僕を裁くのと引き換えに」
「それが、アンタの願いだったからな」
 促されるままに、快斗は清水の車の助手席へと乗り込む。無個性な車に反してふわりと香ったミント系の芳香剤の香りに、ほう、と小さく息を吐いてシートに背を預けると、それを見計らったように動き出す。
 ロータリーから駅前の大通りへと抜け、市外へのルートを危なげなく運転し始めた清水の横顔に、快斗は僅かに目を伏せる。
 少し調べれば、死体遺棄と自殺とその要因、全てが独立した事件である事は知れる。関連性を追い求めれば、更に糸で繋がれているかのように真相は理解出来た。
 被害者の勤める会社の社長は、被害者が邪魔だった。
 被害者は体調を崩していた。
 死体は、悪意を以って遺棄されてはいなかった。
 全ての事柄を繋ぐものは、被害者の勤務する会社にこそあるべきだ。ならば。
「傾いた会社がまがりなりにもやっていけたのは被害者の手腕あってのことだった。その被害者が邪魔になる事態とは、何か?
つまり、社長は会社に存続されては困るんだ」
 良く通るエンターティナーの美声を、無理に押し殺したような響き。
 それを惜しいと思ったのか、それとも別の要因か。僅かに清水の視線が惑う。
「少し経営状態を覗いたらすぐにわかったよ。無理な投資と借り入れ、どう考えても割に合わない取引、すべてここ数年に集中している。
…意図的な倒産を目論んでいたとしか思えない」
「流石は東の名探偵、感謝しますよ。…貴方がたと遭遇し得た偶然に」
「こっちは酷く迷惑だけどな」
 几帳面なハンドル操作で郊外への幹線道路へと進路を向け、しばらくは単調な防風壁が続くのをぼんやりと眺める。やがて途切れたそれの向こうに見えるのは、遠くなった市街地と眼下の田園風景。
「社長名義の資産が秘密裏に別名義の口座に移動してる。それに山科さんも、そしてアンタも気付いていた。だからこそ山科さんは思惑通りに進まぬように不眠不休で仕事へと没頭し、アンタもそれを助けていた。
山科さんの自殺の後、わざわざ俺と新一が宿泊していた宿に放り込むような真似をしてまで真実を歪めたのは、会社に残る社員たちの為だ。真実はいずれ新一が明らかにする、その前に社員たちの決断を促した。大量の辞表がそれを証明している。
…小さな町だ、名探偵・工藤新一の名前での宿泊も直ぐに知れる。従業員に知り合いでもいたとか、まあその辺りはどうだっていいさ。
アンタがしたかった事は、山科さんの名誉を守ることだけだ。他はもう、今となってはどうだって良かった」
「…正解ですよ」
 幹線道路を降りて、山道のような細い道を曲がりくねる。どんどんと山の中へと入ってゆくのを相変わらずぼんやりとした眼差しで眺めたまま、もう快斗は一言も口をきかない。緩やかにブレーキがかけられ、促されるままに車を降りた先には、今も警察が捜索しているだろう被害者の車があった。
 そして、その砂利の上に広がる、多量の血痕。
「…ここが現場か?」
「ええ。この場であの人は首を切った。私の目の前で」
 遠くを見るような眼差しに映るのは血の色か、それとも。
 錆び付いたような色を染み込ませたそこへそっとしゃがみこみ、ぐっと唇を噛み締めてきつく目を閉じる。
 其処にあるのは痛みだ。替えようのない苦痛だ。
「最初は…私の家に山科さんは来たのです。言っている事はもう、支離滅裂で理解出来なかった。行かなくては、とただそれだけを繰り返す眼は濁っていて、ああもうこの人は駄目なのだと絶望すら覚えた」
 じゃり、と僅かな音を立ててしゃがみ込んだ場所から立ち上がる。浮かんだ微苦笑は変わらず優しげで気弱で、そんな男の何処にこれだけの意思があったのだろう、と快斗はぼんやりと考える。
 夢見るような眼差しで空を見上げた清水の見ている景色は、何色をしているだろう。ひょっとしたらあの日の赤が拭えぬままなのかも知れない。
「私は言われるままに彼を車に乗せ、この場所まで来た。ふらふらと車を降りた山科さんは意味のわからない言葉を呟きながら、隠し持っていた包丁で自分の首を切ったのです。
…何が起こったのか、一瞬わからなかった」
「DDVPの主な中毒症状…自律神経の失調の上に、麻薬物質系の急性中毒まで起こしてりゃ仕方ねえよ。アンタの所為じゃない」
 呆然としながら己の両手を見つめる清水。
 けれど快斗の告げた一言に、その眼が凍りつき、愕然とした表情へとすり替わる。
「ま…やく、ですって…!?」
「モルヒネ系薬物による急性中毒、検死結果が出れば明らかになる。アンタ等が思っていた以上に、アンタ等の会社の社長は被害者が邪魔だったんだ」
 淡々と告げる快斗の眼差しに嘘が無い事を知り、清水は目を見開いてかくりと膝を折る。洩れる嗚咽は、出来るだけ見ないふりをして。
 なあ、名探偵。これがオマエの痛みなんだろうか?
 震えるほど強く握り締めた拳を出来るだけゆっくりと解きながら、快斗はその手で清水の背に触れる。
 伝わる震えは己のものか、清水のものか。
 促すように車へ向けた視線に、緑と青と錆びた赤が、痛かった。



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 かたんかたん、と心地よく揺れるローカル路線の車内で、二人向かい合った席に座り無言のまま車窓から景色を眺めていた。
 結局、警察に出頭する清水に付き合った快斗と事情聴取と状況説明に追われた新一が一息ついたのはその日の夕方。申し訳程度に温泉に入り、言葉少なに夕飯を終えた後は二人揃って布団で轟沈してしまい、結局事件に関わりあったまま旅行は終わってしまっていた。
 事件自体は、被害者の秘書であった清水氏の証言によって急速に解決へと向かっている。
 社長の横領と背任行為は明らかになり、DDVPの撒布剤をオフィスに設置したのも栄養剤と偽ってリン酸コデイン配合の咳止薬を服用させたのも社長の小田島氏の指示である事が明らかになった。
 ちなみにリン酸コデインは主に鎮痛剤や咳止薬に配合される成分であり、体内でモルヒネ系物質へと変化する。市販薬でも規定量以上摂取することで、麻薬に相当する効果をもたらすことは意外に広く知られている。
 これらの薬剤に関する知識は、小田島氏が個人的にアンダーグラウンドサイトを巡って集めたものであり。相応の罪状を掻き集めるべく、水谷刑事辺りは奮闘する事になりそうだ。
「快斗…ありがとな、あのレポート」
「ん?ああ、いいよ。大したもんじゃない」
 警察に参考書類として提出したもののうち数枚は、快斗が有り余る頭脳に放り込んだ薬剤知識によって書かれたものである。PCでも持ち込めば新一にも書けたろうが、流石に構造式をフリーハンドで一発書きするような器用な真似はこの現役怪盗くらいにしか出来ない。
「新一君の役に立ったならそれでいいよ。清水さんも大した罪にはならないらしいし」
「死体遺棄と、捜査の霍乱程度だからな。状況が状況だ、情状酌量の余地はあるさ。被害者の自殺も薬物投与によるものである以上事件性がないとも言えないし」
 後は検察の仕事だ、と薄く苦笑を刷いて、車窓の外の光景を眺める。
 東都とは比べるべくもない長閑な風景。こんな場所でまで事件を引き寄せてしまった事は、流石に今でも落ち込むわけだけれど。
「…ありがとな」
「何?改まって」
 きょとん、と此方を見る快斗の眼差しには『意味がわからない』と貼り付けてあるようで余計に苦笑する。
 知らなくていい、こんな事。
 探偵の俺も何もかも、受け入れてくれた事が嬉しくてたまらなかったことなんて、知らなくていい。
 …其処に痛みがあるのなら、尚更に。
「なんでもない。…でも、ありがと」
 車窓の枠に置かれた快斗の手の上にこつりと額を預けて、上目遣いに恋人を見上げる。
 仕方ないなあ、と呟いた声に滲む優しさが、嬉しくて。この優しさを向けるのが自分だけなら尚更嬉しい。
「しんいち。…また、旅行、しような?」
 うとうとしかけたところにかけられた声に嬉しそうに笑って肯定の返事を返して。
 車掌の声が新幹線の駅への到着を告げるまで、この温もりを堪能すべくそっと目を閉じた。



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after

 隣家の探偵からウッカリ遭遇してしまった事件の話と共に『旅行土産だ』と渡された温泉饅頭の箱を抱えた哀は、まじまじとその探偵を見上げる。
「…?なんだ?」
 その、探るような視線の居心地の悪さに及び腰になった探偵には、旅行に出かける前と変わったものがあるようには思えない。
 旅行前に、散々哀に対して決意を語ってくれた探偵の頭の中から消失してしまったらしい『ある事』を思い出させてやるべく、工藤新一が唯一拘る美味なコーヒーを含みながら問い掛けた。
「ところで、工藤君?」
「だから、何だよ」
 ことり、とコーヒーカップをリビングのテーブルへと戻し、わざわざ座ったソファの横に温泉饅頭の箱を置いて。
 疑問符を貼り付けて不機嫌そうに此方を見る探偵に向けて、哀はこれでもか!という可愛らしい笑顔を作ってその一言を投げかけた。
「…貴方が出かける前に散々私に叫んでいった目標とやらは、完遂できたのかしら?」
「もくひょ…?!!」
 きょとん、と何の事かわからないとでも言いたげに首を傾げた探偵だったが、すぐさま思い出したらしい。
 染め上げるように真っ赤になったかと思うと、直ぐにさああ、と血の気を引かせた真っ青な顔になってソファへと撃沈した。
「工藤君?」
「わ…忘れ、てた…」
 二日間も同じ部屋で寝泊りしたのに。
 折角工藤邸じゃない別の場所だったのに。
 最初の事件に関わった時点で、すっぱりさっぱり頭の中から『黒羽快斗とうにゃうにゃして進展する計画』を放り投げてた…!
 ソファの上で自己嫌悪に転がりまわる探偵の額に向けて、抱えなおした温泉饅頭の角で手痛い一撃を食らわせ。
 哀は深く深く、それはもう盛大な溜息を落とした。



つづく。

2005.06.10.

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