04.divisionかもしれないinsidegame



 そしてその頃、毛利蘭曰く『内緒にしたい事がある』…まあぶっちゃけ、快斗には悟られぬまま彼に言い寄ろうとしている目障りな輩を排除したい名探偵・工藤新一は滅多に人前には晒さない良い子の名探偵の裏側、冷徹且つ凶悪極まりない表情で唇を吊り上げた。
 目の前のFAXは、相変わらず大量の無駄紙を吐き出しつつ悪口雑言を綴っている。
メールでも電話でもなく、FAX。
一発で視覚的に訴えうるこの手段は、確かに精神的ダメージを与えるには十二分に効果のある方法だったろう。
 そう、相手にしたのが工藤新一でさえなかったなら。
 発信元は国内であるから、きっと指示を受けた奴の部下の仕業なのだろう。筆跡鑑定にかけるまでもない無理矢理崩した文字には新一は見覚えがあったから、別の誰かの仕業だと思うことすらしなかった。むしろ出来なかった。
 大体、『君は黒羽君に相応しくない』なんて言葉、あの男以外の誰の口から出てくるというのだ。大方、原稿を渡された白馬家の忠実な黒服たちが、日本でせせこましく工藤さん家への嫌がらせを決行しているに違いない。
 そんな黒服部下さんたちの事を考えると流石に新一もちょっぴりしょっぱいものを感じないでもなかったので、彼らに報復の刃を向けるのはやめておくことにした。
「…だいたい、5パターン無限ループFAX送信なんて、いまさら使い古された手を…」
 無限ループFAX。原始的でありながら、ダメージは大きい古典的な手である。
 やり方は至って簡単、びろびろびろ、と送ったFAXの原稿が排紙された端を、まだ送っていない部分の原稿の端にセロテープでびたーっとくっつけるだけ。
 すると、永遠に繋げられた原稿を読み取り続け送信し続けるという…悪戯にしては手間はともかく金のかかるものではあるが、あんな都心の一等地に豪邸を構える白馬家にとっては大した額でもないのだろう。
 手段自体はどうしようもなくこすっからいが。
 はふり、と溜息を落とし、新一はFAXに繋いだPCを立ち上げる。黒羽快斗謹製・市販品を大改造済のそれには、幾つか違法すれすれの機能が搭載されている。電話機を兼ねているそれに与えられた機能は、問答無用の逆探知機能。そして。

「この工藤新一がやられっぱなしでいるわけないっつーの」

 そう、この数日間の沈黙は相手に油断を誘う為。
 今頃ロンドンの曇った空の下で、相手は精神的に疲労している自分を期待しているに違いない。その隙をついて黒羽快斗との仲を引き裂き、あわよくば傷心の快斗を慰めて云々を考えていると思っただけで怒りがこみ上げる。
 まあそうでなくても邪魔する輩には最初からフルゲージで怒り心頭よね、とは隣家の科学者の言葉だったが。
 軽やかな指使いでキーボードを叩き、微かなハードディスクの稼動音と共にウィンドウに明滅するステータス。
 この分野でも一級品の実力を持つ快斗から手ほどきを受けた新一は、いまや本職に負けずとも劣らぬ腕前を有している。この介入が相手に察知されるとしたら、それこそ奇跡のような確率だろう。
 かしゃん、と殊更ゆっくりとエンターキーを押して、新一は快斗が作り置きしているお気に入りのナッツ入りクッキーとわざわざ専門店で仕入れた豆から淹れたコーヒーで一息入れるべく、相変わらず気の抜けたペンギンスリッパのぺたぺたとした足音を廊下に響かせ、調子っぱずれの鼻歌を口ずさみつつキッチンへと向かったのだった。



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 工藤新一には、黒羽快斗に内緒にしたい事があるらしい。

 帝丹の親友同士二人と江古田の幼馴染二人の計4人が出した結論だ。
 けれども腐っても名探偵、そう簡単に真意が分かるはずもなく(哀辺りは『知らないって…幸せな事よね…』と斜め下を見るだろうが)快斗は首を捻りつつ帰宅する事となった。
 何故か新一には『数日間はちょっと都合が悪いから来るな』と言われてしまったので、仕方なく自宅で手持ち無沙汰に怪盗業の道具類をメンテしてみたり、新しい暗号を作ってみたりしていたが、どうにも落ち着かない。
「新一の事だから…あの態度で俺と別れたい、とかではないと思うんだよな…」
 自信はないけど。
 はふ、と落とす溜息は大概力ないもので、快斗は我ながら弱いなあと心底思う。名探偵の幼馴染とその親友は『それだけはあり得ない』と力説するものだから、少しは救いになっているのだろうけれども。
 でも、新一に対して自信なんていつでもない。不安で、動揺して、必死でしがみ付く事くらいしか出来ないのだ、怪盗KIDともあろうものが。
 くしゃり、と書きかけの出来の悪い暗号を綴ったルーズリーフを丸め、屑篭に放り込む。綺麗な放物線を描いてことりと音を立てたのを目を閉じながら聞いていた快斗は、軽く唇を噛んでぱちりと目を開け天井を睨む。
 らしくない。いつだってあの名探偵が絡んでしまえば自分は自分らしくない。
 けれどもそれを許容するのは、らしくない己を卑下する以上に、あの存在を愛しているからに他ならない。
 快斗の、大切で大好きな名探偵。綺麗な眼差しと決して綺麗なだけでない過去と、泥臭くあるほどに必死に未来を追う背中と。どれもに焦がれたから、理由なんて要らないくらいに快斗は彼を愛している。

「…百聞は一見にしかず、って言うし」

 嫌がられるかも知れない。怒られるかも知れない。
 けれど嫌われる事はないって自惚れさせてくれるなら、快斗はそれを躊躇わない。
 とん、とベッドから下りて財布と携帯だけポケットに捻じ込むと、台所の母親に外出を告げて玄関を飛び出した。

 目指すは、米花町・工藤邸。
 最愛の人の真意を確かめるべく、快斗はぎゅっと拳を握り締めたのだった。


 こと対人における情報操作と心理統制は、名探偵・工藤新一の得意分野だ。

 言葉の意味、表情、抑揚と韻、周囲を含む雰囲気の掌握。それらは幾度も新一が推理を披露することで確立してきた技法であり、現在ではほぼ無意識に行う事が可能な特技とも言える。
 そして、お綺麗な外面を駆使して築き上げた人脈は、あらゆる方面へとそれらを伝播させる事が可能だ。
 この名探偵を名探偵たらしめるのは、犯罪を熟知し、犯罪を理解し、故に誰よりも優秀な犯罪者たり得る能力を、犯罪を暴く事に費やすからに他ならない。
 だからこそ、やろうと思いさえすればこの平成のホームズは、不可能とも言える完全犯罪をも可能とするだろう。本人は面倒臭いから絶対にやらないだろうが。
 そんな完全無欠の名探偵が己の領域を侵した愚かな輩に下した鉄槌は、その能力に見合わず大概しょーもないものだった。


「…っ、ど、どうして…っ!」
 はあはあと息を切らして、白馬探は額に手を当てる。
 汗がじっとりと嫌な感じに滲んだ額と、ばくばくとすさまじい勢いで鼓動を刻む心臓。全力疾走とその前の事柄によって精神的にも身体的にも大ダメージを食らった現在ではあるが、こんな状況をもたらす原因はひとつしか思い当たらなかった。
 けれども、現状に波及している要因として何処までの比重を持つのか、それとも白馬の思い過ごしで全くの無関係なのか。
 冷静な判断を、と必死で己に言い聞かせる白馬の脳裏にその度に蘇る、彼の表情。
 うっすらと、笑みを刷いた唇。
 まるで嘲るように吊り上げられた口角と、それとは裏腹に鋭い敵意を滲ませた蒼の双眸。
 非常に良く似た双子のようなクラスメイトの傍らで、一瞬ではあったが向けられたものが敵意だとは認識できた。
 快斗には見せた事がないのだろう、不敵で冷徹な悪意を滲ませた表情。微かな嘲りさえ含まれたそれに冷えた背筋の感覚は今でも忘れる事はできない。
 だからこそ、白馬は再三快斗に通告してきた。君は騙されている、彼とは関わりあいになるべきではない、と。無論、快斗を…すなわち白い月下の怪盗を追う唯一の存在でありたい、といった願望がなかったといえば嘘になるのだが。
 けれども、快斗の騙され方は半端ではなかったようで、白馬の熱心な忠告は決して受け入れられる事はなかった。だからこそ、白馬はとうとう実力行使に打って出る事にしたのだ。
 まずは工藤新一に対して再三の抗議を打診したが無視をされ、次いで強硬手段として現状の警告文を繰り返し送付する事にした。国内ではこれらの手段は父親の監視が厳しかった為、自身は英国に居る状態で部下に任せるしかなかったのが歯痒かったが、それでも優秀且つ忠実な部下たちだ、必ずや白馬の求める結果を出してくれているに違いない。

 けれど。
 この現状の自身の追い詰められた状況に、思い当たるのは彼の眼差し。その、容赦なくあらゆる真実を暴く、蒼。
 唇を焼くような感触に思わず強く歯を立て、白馬は追い縋る追っ手を振り切るべく、しばし止めていた足を再び動かし始めたのだった。



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「…相変わらずの手腕は賞賛に値するわね、工藤君」
 国際的犯罪組織ひとつを壊滅へと追いやり、今なおあらゆる犯罪者を震え上がらせる慧眼の名探偵。
 その手腕は決して錆付いてはおらぬどころか私怨もあって更に冴え渡り、けれども実際に実行された内容はどうしようもなくくだらないものだった。
「精神的外傷の利用と、同一事項を反復することによって得られる恐怖感情の増幅…実行する人間は好意から行う為に無下に拒否もできず、対象の心的負担を増大させる。
…流石ね、見事な計画だわ」
 哀が呟いた内容は一見凄い事のように見えるが、何と言うことはない。工藤新一が報復として選択した手段は、悪戯には悪戯で返してやれというレベルを超えるものではなかった。
 白馬が用意した地味な攻撃手段『無限ループFAX送信』に対して工藤新一が周到に用意した罠の名は、通称『ハバネロ様危機一髪大作戦』。
 要は、工藤邸にFAXが一枚特定対象から送信されると自動的に、一見関係なさそうな白馬の交友関係に『白馬君はハバネロが大好物です。実物を見せるだけでも凄く喜びます』という情報をさりげなく、けれど真実味を十二分に加付して流布するというシステムの構築であった。
 かつて、不機嫌な快斗に騒音対象として認識された白馬への報復措置として非情にも実行されたハバネロ粉末強制摂取事件。『赤い霧』のコードネームで今も江古田高校に語り継がれる悲惨且つ抱腹絶倒の大事件だった。快斗のクラスメートは今も昏倒した白馬と片付けの大変さを忘れてはいない。
 アレ以来もはやトラウマの領域でハバネロ…というか辛いもの全般への拒否反応を示すようになった白馬への、ある意味妥当な報復手段だったと言えよう。
このこっぱずかしいニュースソースを先方が明らかにできない以上、それは犯罪としての立件は事実上不可能だ。なにしろ、白馬のしでかした無限ループFAXを表沙汰にしなければ、それらの状況を工藤新一と結びつける手段がない。
 この慈悲の欠片もない仕返しを驚くべき短時間で成し遂げた名探偵は、ひどく満足そうな様子でソファに収まって淹れたてのコーヒーをちびちびと啜りながらえへん、と胸を張る。
「ふふん、これでもー俺の快斗にちょっかい出す気にはなんねーだろ」
「そうね…」
 そうして、ようやく訪れるだろう平穏を思い、二人は揃って共犯者の笑みでコーヒーカップを傾けた。しかしその矢先、静かなリビングにその声は響いた。

「…しん、いち」

 普段良く通る声からは考えられないほど掠れた声。
 今は聞こえるはずのないその声に思わず振り返った二人の視線の先には、呆然とした表情で立ち尽くす渦中の人、黒羽快斗の姿があった。
「かっ、かいと!?」
 いつからそこに!?と慌てる新一の様子に、ひどく悲しそうな表情で目を伏せて、静かに歩み寄る。
「今さっき、来たとこ。何が悪いのか分からないから、ちゃんと新一に聞こうと思って…だけど」
「かい、と…」
 何かを堪えるように眉間に皺を寄せ、そっと伸ばした指先で新一の頬を包み込む。それが僅かに震えている事に気付いて、新一は思わず真っ直ぐにその表情を見返した。

 こんな顔の快斗は、知らない。

 ざあっ、と血の気が引くのを感じて、新一が搾り出すように告げた言葉と快斗の苦しそうに呻くような言葉とが、交差する。
「俺の所為で…ごめんね、新一」
「ご、ごめっ…でも俺、快斗がっ…」

 …ん?

 二人揃って、互いの言葉の違和感に首を傾げる。
 はて、何か食い違ってはいないだろうか?

「「…怒ってない?」」

 今度は完全にハモる声に、いよいよ己の予想とは相手の言動の理由が違うだろう事に気付いた二人は、それぞれに己の予想を叫ぶ事となった。
「え?え?新一、白馬の奴が俺の事KIDだって連呼するから何かしてくれたんじゃ…」
「お、おまえこそ俺が勝手に白い馬に報復措置したから怒ってるんじゃ…」
「…思いっきりすれ違ってるわよ、あなたたち」
 鏡写しのように同じ表情で逆方向に首を傾げる二人に、呆れたような哀の声が被る。
 そもそも、これは根本定義が誤ってはいないだろうか。
 つまり、新一は快斗に懸想し己に嫌がらせを寄越したコスプレ探偵に対する報復を知られ、勝手にやらかしたそれらを怒っているのではないかと推測し。
 快斗は快斗で、何処でも何時でも人の事をKIDだと言ってはばからない(まあ事実だが証拠がないうちはただの妄言と同じ)白馬を快斗の為にわざわざ排除してくれたのだと申し訳なく思っていたわけだが。
「…怒って、ないのか…?」
 呆然と呟く新一に、快斗も思わず呆然として首を横に振り、新一の目を覗き込む。
「新一こそ、怒ってるんじゃないの…?」
 ぽかん、と二人揃って固まった擬似双子を目の前にして、傍観者である哀は溜息を落とさざるを得なかったのだった。


「ええと…新一は、何かと俺に構おうとする白馬がどーにも気に入らなかったところに、あのアホが不相応にもちょっかいかけやがったんで、それに対しての報復処置だった、と?」
「まあつまりは、そういうことね」
 こくり、と香りの良い紅茶を口に含みながら、灰原哀は目の前でホールのチーズケーキを嬉しそうに切り分けている怪盗に向けて呟いた。無論これは黒羽快斗のお手製・甘さ控えめ名探偵仕様である。
 肝心の名探偵は、何時もどおり事件に呼ばれてしまってまだ帰って来ないが。
「なんというか…俺って愛されてる?」
 どうにも複雑そうな表情で呟かれた言葉が疑問系なのは、その手段と感情に大いに間違いがあるような気がするからに他ならない。
かちゃり、と切り終えたナイフをトレイに置いて、アプリコットソースがかかった一切れを哀の元へ、その三切れ分はありそうな一切れを己の手元に引き寄せてフォークを突き刺す。
「そうね、方法がちょっとばかり間違っている気はするけれど、そう納得しておいた方がいいんじゃない?」
 その方が嬉しいでしょ、黒羽君?
「…なんか自棄になってない哀ちゃん」
「そう?それなりに楽しませて貰ったけれど」
 久々に見た工藤君の手腕は相変わらず鮮やかだったし、と皮肉気に笑う少女の様子に『本音はどの辺りなんだろう…?』とちょっぴりどきどきする怪盗。本音もなにも、工藤新一と関わっていく上でこの怪盗の存在を失くしたくない哀にとっては本心から協力体制を取っていただけなのだが。
「大丈夫よ、貴方が工藤君に愛想を尽かすことはあっても、その逆はないもの」
「いや俺が愛想尽かすのもないって哀ちゃん…」
 なんだかんだと仲が良い工藤邸の通い恋人兼家政夫と主治医である隣家の科学者は、揃ってチーズケーキを口に運びつつこの家のどこまでも俺様な主に思いを馳せたのだった。






2005.09.25.

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