01.additionすなわちentropy
工藤新一という人間は、全てに於いて常識では計測できない。
まず、普通の高校生は『探偵』など目指さない。
よしんばそういう司法関係を志したとしても、わざわざ警察の領域に頭を突っ
込んで尚且つ『日本警察の救世主』などという大仰な二つ名を戴いたりはしない
。
更に言うならその有り余る好奇心故に闇組織絡みの事件に首を突っ込んでちび
っ子にされた挙句に数ヶ月間も周りを騙くらかし、結果組織を壊滅させて再び日
常へと舞い戻るなどと言うことは更にありえない。ありえないがここまではまあ
、『工藤新一』が特別『有能な』『探偵』であるという一言でけりが付く。
が、しかし。
それを踏まえても首を傾げるのは、大抵の事は理解し知識として詰め込まれて
いる優秀な頭脳と、それを実践できる身体的器用さを併せ持つにも関わらず、常
人以下の生活を送り続けることを余儀なくされているという事実だ。
「…よくいままで生きてたよね、このヒト」
「ええ、本当にね」
散らかす、というのとは厳密には異なる、ヒトが住んでいるような生活感の欠
片もないお化け屋敷こと米花の工藤邸を振り仰いで、黒羽快斗と灰原哀は二人揃
って溜息を落とした。
こと、この名探偵はそういうところに疎い。
こんな大きな家に住んでいても、四畳半一間の安アパートに潜伏していても(
この辺りは快斗が本人から聞き、哀に確かめたので事実なのは間違いない)彼の
生活には全く支障がないらしい。
食べて、寝る。そのスペースが確保できれば何処でも生きていけるらしいある
意味サイバビリティの高い存在ではあるが、今は立派な文明人なわけで。
「…別に、料理が出来ないとか掃除が出来ないとかいうわけじゃないってのに、
ねえ」
「やる気がなければ出来ないのと大差ないわ。
あの人の部屋が思いのほか綺麗なのは、散らかして汚くなれば後できちんと掃除
するのが面倒だから、それだけよ」
故に、だだっぴろい工藤邸でも名探偵の生活区域は驚くほどに狭い。
リビングを使うのは客が来た時だけ。
キッチンなど足を踏み入れた事がどのくらいあるのか。
バスやトイレタリーはそれでも定期的にハウス・クリーニングのお世話にはな
っているようだが、それ以外は書斎と自室、そして玄関からそこまでの廊下程度
が彼の行動区域の全てだ。
その書斎も、独り暮らしを続けた数年の間に脳内蔵書一覧を作成しているらし
く無駄な場所には足を踏み入れることさえ稀。
自室であっても使用頻度が高い机とベッド、制服がかけてあるクローゼット以
外は見向きもしない。
使ったものを片付ける事はするが、それすら蓄積した場合が面倒だという理由
からであって整理整頓を好むからではない。
そうして彼にしか通じない行動理念に基づいて構築されてしまった工藤新一の
自宅での生活パターンに、ようやく『恋人』になれた黒羽快斗とそのつもりがな
いのに『保護者』になってしまった灰原哀は二人揃って心の底からの溜息を落と
した。
灰原哀と黒羽快斗がこうして顔を合わせ、共通項である生活不能者…というよ
りは、生活不適格者である探偵の存在によって一種同盟のような関係を築くには
時間はそう大してかからなかった。
元より黒羽快斗=怪盗KIDはこの江戸川コナンと同様の逆行現象を体現した少女
の存在を、突っ走りがちな探偵の最も優秀なストッパーだと認識しており、なお
かつそれを真摯に受け止めていた。
そして灰原哀は、希代の怪盗であり名探偵がほのかな想いを寄せていたこの存
在が予想以上にお人よしで小市民でべらぼうに優しいという事実によって相応の
信頼を寄せていた。
だからこそ、二人は揃って溜息を落とす。
彼らの大切な大切な探偵が、今日も今日とてやらかしてくれる非常識な日常に
。
「…俺さあ、ちゃんと食べなよ、って言ったんだよ」
「一応守られてはいるわよね。どうにもその過程が抜けてる気がするけど」
快斗が最後に工藤邸を訪れたのは一週間前。
哀が最後に工藤新一を見かけたのは3日前。
そして、本日二人が悲壮な覚悟で足を踏み入れた工藤邸は何時もどおり殺風景
で綺麗だったが…やはり相変わらず生活臭は欠落していた。
何も、冷蔵庫に食材をきちんと管理し、三食自炊し、掃除洗濯を怠らないとい
う理想的独り暮らしを実行せよと言っているわけではない。
食事を作るのが面倒ならばコンビニ弁当でもスーパーの惣菜でもいいと思うの
だ。ゴミ箱にゴミが溢れ返っていようとも、それを掃除する意思がある人間が最
低でも一週間に一度は顔を見せるとわかっているなら駄目人間のレッテルは貼ら
れるだろうがまだマシだ。
何せ、この名探偵君ときた日には。
「中身をゴミ袋に移して指定日に廃棄場所に持っていくのが面倒だって言うのよ
あの人。少なくとも現代社会で生活する以上どうやったってゴミは出るでしょう
に」
「エコロジーと言えば究極のエコロジーだけどさ。…なんか、違うよね?」
二人が覗き込んだ探偵の部屋のゴミ箱は、空っぽだった。
キッチンのそれには、先ほど二人が黄昏た要因でもある某栄養補助食品のパッ
ケージ(きちんと分別済かつ箱は解体されている)と、何時捨てたのかも不明な
何かの包装材だったと思しきラップが『折り畳まれて』底にちょんと鎮座してい
た。
その付属物だったと思われる白いスチロールトレイは、一応回収物だという認
識が働いたのか、綺麗に洗われてキッチンの片隅に積み重ねられていた。
なんでこういうマメさを他の用途に使えないのか。
二人は何度目かわからないほどに首を傾げた。
「…畳まないよね、普通」
「普通じゃないからでしょ。ああ、それと洗ってるのは放置して異臭を発するよ
うな事態になった方が彼としては面倒だからよ」
「…よくあの人のこと理解してるね、哀ちゃん」
どうも、よく回る頭の使い方を、間違っているとしか思えない。
快斗のそれも大概間違っているが、工藤新一のそれは更に歪んだ方向に間違っ
ている。
だいたい工藤新一というのは、見かけの華麗さとは裏腹にやろうと思えば相応
に店で出せるような料理も作れるが、三食カップめん…否、毎日某栄養補助食品
のスティック+サプリメント類でも生きていける男である。
下手に医学知識があって、食事の有用性は理解しつつも必須ではない事を知っ
ているから性質が悪い。
「私、あの人に嫌がらせも込めて液状栄養剤作った事があるの。薬効は最高だっ
たけど、味は…思い出したくないほど最悪だったわ」
「…へえ」
斜め下を見ながら呟かれた哀の言葉に、快斗は思わず斜め上を見上げる。なる
べくなら聞かない方がいいのかも、と思いつつ、それでも哀と共有する感情がそ
れを許さない。
「でもね、あの人…それ、今でも普通に使ってるのよ?信じられる?
希釈しても○○○(ちょっと言えないような物品)や×××(とても言えないよ
うな物品)の数倍濃縮みたいな味がするのよ?」
「ごめん哀ちゃんそれ聞かなかったことにしていいかないや思わず想像しちゃっ
たけど想像が追いつかなくて処理しきれないというかなんというかごめんなさい
僕が悪かったです」
思わず動揺のあまりに句読点を吹っ飛ばした快斗の微妙に青ざめた表情での早
口な物言いに、良かった私はやっぱり正常だったのよ、と呟く哀の声が零れ落ち
る。
「味覚がおかしいわけでも、常識の認識能力がおかしいわけでもないのよ。
…強いて言えば、その認識する範囲が広すぎるのだわ」
「それって要約すると『変人』って言わない」
「…せっかくストレートには言わないでいてあげたのに」
「でもさ…。事実から逃避してもここにある現実は変わらないわけだしさ」
異次元空間、工藤邸。
哀と出会い、また黒羽快斗と出会う前にあの探偵はどうやってこの邸宅で独り
暮らしをしていたのだろうと。
二人は揃って、深く深く溜息を落とした。
つづく。
2005.01.29.
N E X T *