4.視線の先には


 はあ、と月下では怪盗、昼間は高校生な黒羽快斗は溜息を落とした。
 あの映画館での偶然の邂逅から早一週間が過ぎようとしている。結局何も言えずに、何も告げられずに別れてしまったという事実は少なからず快斗を打ちのめしていた。
 だからこそ、何時もならばそれなりの仏心を以って手加減されていた鬱陶しいクラスメイトの探偵に対する反撃も容赦の二文字がさっくりと削除されていた。
 それを証明するかのように快斗の足元には口にハバネロ(粉末状に破砕済みのもの)を閉じられなくなるまで突っ込まれた白馬の魂が抜けた亡骸が転がっている。
 あんまりにも『先日の事件では…』だの、『気障な泥棒が…』だのと耳元で煩かったので、何時もなら適当に付き合う快斗の導火線が通常比7.8倍は短かった本日とうとう本気の制裁を食らう事となったわけだ。
 実際に突っ込まれた一瞬は何が起こったのかわからず呆然としていたようだが、次の瞬間顔を真っ赤に染め、次いですぐさま真っ青になって倒れ伏した。
 それが口いっぱいに詰め込まれた赤い粉末を呼気と共に噴出しながらだったので猟奇殺人ぽいなー、などと快斗はだるそうな表情を一ミリも動かさずに呟き、その斜め前の席の魔女はあらまあ、と頬に手をやり首を傾げ、隣に立ちだるそうな快斗を小突いていた青子は『白馬君、後で掃除しなきゃだめだよー』と告げたのみであっけなく事態は収束した。
 他のクラスメイトは何時もの事、と傍観を決め込んでおり、快斗の成した報復が何時もよりも数段非常なものであった事は知る由もなかった。というより、知っていても関り合いになりたくなかったのかも知れない。
 はあ、と再び溜息を落とした快斗に赤魔法を操る魔女と怪盗の天然な幼馴染は顔を見合わせ、机に突っ伏している快斗を見やる。
「鬱陶しいよー快斗」
「まったくだわ。しゃんとなさいな黒羽君」
 口々に好き勝手な事を言う女性二人に、快斗は仕方なくのっそりと顔を上げた。
「うっせえなあ…なんでもないって言ってるだろ」
 ふてくされた口調で吐き捨てる、らしいといえばらしいらしくないと言えばらしくない快斗の様子に青子は目を見開き、紅子は片眉を吊り上げる。
 そして、あまりの機嫌の悪さに快斗は忘れているようだが、この幼馴染と魔女はそんな言葉で引き下がってくれるような容易い相手ではない。
「…黒羽君、私にそんな口を叩いて…いいのね?」
 何が、と問い直そうとして、相応に懸命な快斗は口を噤んだ。にっこりとそれは美しく笑う小泉紅子の笑顔の中で、目がちっとも笑っていない事に気づいたから。
「あ、紅子さん?」
「ええいいのよ私は別に。貴方が想い人に振られようとけなされようとなんだろうと一向に構わないのですもの」
 ほほほ、と笑うその声すら怖い。綺麗だが怖い。へー快斗好きな人いたんだねーと状況を知ってか知らずか、のほほんと告げる青子の声ですら何の緩衝材にもならないほどに。
「さぞかしお似合いだったのでしょうね、『彼』と『彼女』。
それに一言も声をかけられなかったからといって、自己嫌悪の余り不機嫌になって私たちに当たり散らすのもまあ許してさし上げるわ。気の毒ですものね?」
 気の毒、という言葉に盛大な皮肉が入っていた気がするのは気のせいだろうか。そうと言ってくれ、と何処かの誰かにすがりながら、快斗はようやく己の踏んだ地雷に気付いた。気付くだけ足元のハバネロ塗れの半死体よりは良識があったという事だが、比べられるのもどうかと思う。
 それに、そんなどうでもいい事よりも、紅子の言葉は予想以上に心を抉っていた。
 確かにあの時映画館で、傍らに居た幼馴染の少女の二人揃った様子はとてもしっくりときてお似合いで、自分如きの想いがそれを引き離す事など到底困難に思えて。
 結局ろくに会話も出来ぬまま(あれなら事件現場で遭遇した時の方がよっぽど会話らしい会話をしている)顔を見ただけで別れた。名探偵の方は、あれが怪盗キッドだったことすら知らないだろう。
 次に会った機会があればそれを足がかりに時間をかけさえすれば友人くらいの仲にはなれるかも知れないが、多分それよりも心が悲鳴を上げる方が早いと自覚させられた。
 顔を見れば痛みが強くなる。声を聞けばもっと。一挙手一投足に痛みは増える一方で、それを鎮める方法も知らずに良く回るはずの頭すら空回り。
 それは今も続いていて、こんなよけられる地雷すらすれすれまで気付かない有様だ。ぜったいにおかしい。
 だからこそ、快斗は己が選択できる最も有効な手段を躊躇いなく実行に移す事にした。
「ごめんなさい紅子さん、僕が悪かったです…」
「ほほほ、あら嫌だ何のこと?」
 がっくりと項垂れてぼそぼそと謝辞を述べる黒羽快斗に小泉紅子はにっこりと笑って見せながらひらひらと手を振った。
 どうやら地雷を踏みつける事からは回避したらしいが油断は禁物ではある。
 かたずを飲んで次の紅子の言葉を待つ快斗に、赤の魔女はその名と同じく赤い唇を綺麗に笑みの形に作ったまま告げた。
「…次の満月。
光と夜の交錯点になるわ。月の魔力が満ちて、あらゆる境界が曖昧になろうとしている」
「へえ」
 ぴくん、と快斗の肩が揺れた事に気づいたのだろう、紅子がにっこりと笑みを深くする。
 次の満月。すなわち、怪盗キッドの次の予告日。
 その日が、ラストチャンス?
「貴方の加護が最も協力になる日よ。その日ならあるいは、光の強さを霞ませられるかも知れないわね」
 夜の月光の中に、と紅子は微笑む。既にだれきっていた高校生黒羽快斗の姿はなく、月下で怪盗紳士と呼ばれる白い姿そのままの眼光を深い夜色の双眸に宿した存在がほんの一瞬だけ明らかになる。
「まあ、聞くだけ聞いとくよ」
 すぐにへらりとしたただの高校生の顔に戻った少年。
 けれど其処にある変えがたい何かは去る事はなくて。
 にやり、と普段の彼らしい不敵な笑みを唇に浮かべるのを、幼馴染と魔女は満足そうに見届け顔を合わせて微笑みを浮かべた。


つづく




2004.12.19.

H O M E *