2.ささやかな言葉を
耳の奥から消えない声。
今日も殺人事件の解決に協力した帰りの日本警察の救世主、工藤新一探偵は無言のまま家路を辿っていた。些かならず疲労が蓄積した足取りは軽いとは言えないもので、警視庁を出た後に緩めた制服のネクタイもそのままだ。ひとつふたつ外されたシャツの釦に、容赦なく最近めっきり冷え込むようになった夕暮れの空気が入り込んでもそれを直す気力もない。
なのに、この声だけがはっきりとしていて、消えないのはどうしてか。
声質そのものは自分のそれに酷似していると思う。ただ、相手は声帯模写までこなす希代の大怪盗故にどこまで信用していいかは甚だ疑問ではあるが。
今日解決した事件は些細なすれ違いから互いを憎むようになった人たちの悲しい事件だった。ほんの少し心が通じないだけで人は人を本気で殺そうとさえ思えるのだと、知ってはいたが再度思い知らされた事実にあの声が蘇って、消えない。
「…くそっ、俺らしくねえ」
零れる声にすら力がない。じわじわと指先から冷えてゆく冬の空気は澄んでいるのに、それを吸い込む己の中身は何処までも不透明。その最たるものこそ、あの時からポケットに入りっぱなしになっているかの怪盗の予告状だ。
真っ白な封筒に銀のエンボス。それと揃いの白いカードに流暢な文字で記された暗号はいつでも探偵の心を躍らせるに十分なものばかり。そして、つい先日届いたそれは何時もより数割増でとびきり難解で遊び心と言う名のスパイスが効いた一品だった。
だからこそ、寝食を忘れ事件すらも上の空で、探偵はそれを解き明かす事に躍起になった。かの怪盗が此方に寄越す謎はいつでも極上のものだったし、そこに血の匂いがする事はない事を確信できていたから。この信頼が何を示すものなのか、工藤新一は気付いているけれど意図的に見ないふりをしている。
漸く解き明かした予告状の内容を、誰にも言う気になれなかったのはきっとその感情の所為だ。
「イカレてるよな…絶対」
中継地点への階段を上がりながら漸く気付いた己の状況に困惑し、足を出したり皮肉を言ったりしてしまった事には流石に後悔した。尤もその後どうにも晴れない気分は唐突に工藤邸を強襲した黒い関西人を言葉巧みに誘導し、納得させた上で隣のドクターに実験体を進呈する事で相応に晴らさせて頂いたが。今頃アイツどうしてるんだろ、と以前灰原女史の研究室で拝見した新作薬のデータを思い出して思わず身震いする。これで当分あの関西人も東都の土を踏めまい。
何はともあれ、いつもいつもこんな調子でマトモにKIDと会話を交わす事が出来ない。彼の現場くらいしか機会がないのに、何時も警察だとか組織だとかあの勘違いコスプレ探偵だのに邪魔をされて、尚且つ自分はどうしようもない天邪鬼。
せめて、現場でなければ少しは素直になれるだろうか。
Q.工藤新一が現場以外で怪盗キッドに不自然なく会うためにはどうすべきか?
A.怪盗と探偵という相反する立場を解消する、または関係ない状況で遭遇し尚且つ相応の関係を相互の間に築く事。
となると。
「アイツと、ふつーに知り合いになればいいんだよな」
くすり、と唇に不敵な笑みを浮かべる。
吹き付ける冷風と耳の奥に残る声を心地よくすら抱えて、工藤新一は再び真っ直ぐ前を見つめ自宅へと歩みを速めた。何をしても目立つ有名人であるところの高校生探偵がどうやって見知らぬ同世代と知り合いになるか、という一番肝心な命題については忘れていない。…はず、多分、きっと…ちょっと自信がないが。
思わず上機嫌になった名探偵から零れるちょっとどころでない調子っ外れの鼻歌に、通り過ぎた庭先の飼い犬が情けない声でわうんと吠え立てた。
つづく。
2004.12.08.
H O M E *