1.拭えない痛みが



 いつだってここにあるのは慣れきった痛み。
 ひゅおお、と音を立てて耳元を吹きすさぶ都会のビル風が、纏った戦闘服とマントをひらめかせる。月に掲げた今宵の獲物を取り落とすような失態は在り得ないが、それでもここに在る、消える事のない痛みはじくじくと胸の奥を膿ませてゆく。
 ビッグジュエルと呼ばれている宝石のひとつ。けれどこの怪盗の手のひらに納まるほど小さなそれに与えられた価値の欠片も理解は出来ず、また確保不能の大怪盗にとっての唯一の価値も月光の中に見出せなくなった今、それは単なる石でしかない。
 それを溜息と共に翻した手のひらから消して、月下の奇術師はぽつりと呟いた。
「…今夜も、あの方はいらして下さらない」
 怪盗KIDが望むのは、KIDが認めた唯一の名探偵。
 その蒼い瞳を真っ直ぐに己へと向けさせる為なら手段を選ばない程には、怪盗は彼を望んでいるというのに。
 例えば、予告状。
 一ヶ月前の時には通常の5,6倍近い時間をかけて練りに練り上げた傑作の暗号仕様予告状を作り上げ、わざわざ警視庁のみならず探偵の自宅へも送った。
 かの探偵は流石に通常よりは時間をかけたようだが完璧に解き明かした。その含む意味の欠片も怪盗の意図したものと違わない答えに、この胸に満ちた満足感はとても言い表せるものではなかった。今も思い出すだけでじんわりと浮かぶ歓びだ。
 しかし、だからといってそれが本来警備に当たるべき警察諸氏に解けたかと言えば答えは否。それも完璧に解き明かした名探偵がその答えを問われていないという理由で誰にも告げずに居たために、観衆が誰も居ない寂しいショーを行う羽目には陥ったがそれも些細な事。
 予告状に記した地点に、わざわざ面倒くさい事を俺に押し付けるな、俺は殺人事件専門なんだ、と激怒していた探偵に殺傷力抜群の右足を繰り出されるとしても面と向かって会えるならばこれもまた些細な事。
 まあ、流石に白馬で我慢しておけと言われたのは少々悲しいものがあったが。
 あのロンドン帰りの勘違いコスプレ探偵と、真実を見通す唯一の名探偵を比べるなど、怪盗にとっては冒涜に等しい事だ。それを理解して欲しいとまでは言わないが、こちらの想いくらいは相応に理解してくれても良いではないか。
 ちなみにこの時の微妙な鬱憤はクラスメイトのコスプレ探偵の連れている鷹をまだらな孔雀色に染めてやる事で発散した。鷹には悪い事をしたがちゃんと洗えば落ちる水性塗料を使った事で許して頂きたい。あの時の白馬の情けない顔はこっそり写真に撮ったので今後のネタにしてやろうと…おっと話がズレた。
 なにはともあれ、あの手この手で麗しの名探偵に会おうとする涙ぐましい努力だったが、どれもこれも単発性であり決め手に欠けるものであった事は否めない。
 月下の奇術師、怪盗キッドとしては少々宜しくない手だ。
 会えない、ならば会えるようにしてしまえば良い。
 Q.怪盗キッドが名探偵工藤新一に会えないのは何故か?
 A.怪盗と探偵という相反する立場によるものであり、また双方には顔見知り程度の認識しかない為。
 と、すれば。
「…新一君と、素でお知り合いになればいーんだよな」
 にやり、と唇に浮かべるのは不敵な笑い。
 冷たい風と胸に在るままの痛みすら抱えて、怪盗キッドは夜空へと飛び立った。そのポケットの宝石を返す事はいくらなんでも忘れていない。…はず、多分、きっと…ちょっと自信がないが。
 これでもか、という程自らテンションを上げて何らかの計画を立て始めた主人を心配してか、彼の懐に仕込まれた鳩が一声くるっぽー、と鳴いた。


つづく




2004.12.08.

H O M E *