純情可憐狂想曲




 今夜、それまですんでのところでひらりひらりと逃げられ続けていた怪盗を捕まえた。


「あーあー、つーかまっちゃったー」

 月の下でチェシャ猫のように笑う怪盗の腕をぎりりと戒めて、探偵、工藤新一は己が捕らえた獲物を睨みつける。
 飄々として捉えどころのない、今こうして捕まえていてさえ一瞬後には煙のように消え去ってしまいそうな存在。
 月下の奇術師・怪盗KIDは、己を捕らえる探偵の射殺さんばかりに強い眼差しにチェシャ猫のような笑みを浮かべる。
「コワい顔〜、せっかくの美人さんが台無しじゃん?」
「…うっせーよこのこそ泥。今日こそ年貢の納め時だ」
 じりじりと胃の底を焼くような不快感に、新一は思わず右眉を跳ね上げる。
 さっさと警察に通報して、こんな茶番は終わりにしようと思ったその思考を読んだかのように、怪盗はくすくすと楽しそうに笑みを零す。
「駄ぁ目だよ、めーたんてー?
警察なんかに私を引き渡しても、あいつらの手錠も牢獄も何の役にも立たないんだからさぁ」
「…う」
 怪盗の言うことは至極尤もだ。
 神出鬼没の大怪盗、誰でもなく、また誰でもあると言われるほどの変装の名手にして錠前破りとシステムクラックの達人。どんな不可能と言われる場所にでも潜入と脱出を用意にやってのけるこの存在にとって、警察の頼りとする手錠も強固な牢獄も、まるで紙のように頼りないものに思えた。

 むう、と思わずあさっての方向に思考を巡らす新一には見えない角度で、怪盗がにやりと笑う。
 まるで、獲物を捕らえた肉食獣のような物騒な表情で。

「…なあ、だからさ」

 だから、新一は気付かなかった。
 確かな艶を眼差しに刷いて、毒を零すように言葉を紡ぐ怪盗に。
 その言葉に嘘はなくとも、真実でもないのだということに。

「だから、名探偵」
「なに…?」

 にい、と歪む唇。
 掴んだ腕から伝わる体温が、熱い。
 ぐい、と掴んだ腕ごと引き寄せられる。思わず見開いた目の直ぐ横をすり抜けて、するりと首に回ったもう片方の腕。少し冷たい上質なスーツの布地と、それよりはやや暖かいしなやかな指先の感触が首筋を掠めた。
 そうして、これ以上ないほどに密着した互いの身体と。
「…捕まえるなら、アンタ自身がすりゃいーんだよ」
 吐息がかかるほど近い唇が重なるのは、当然至極の成り行きだった。
 思い切りよく混乱する新一の力が緩んだ瞬間を見計らうように、怪盗の腕が新一の拘束を解いて、己の自由を取り戻す。しまった、と思い舌打ちする暇も惜しんで再び怪盗を捕らえようと伸ばした新一の手が。

 むにゅ。

 何か、柔らかいものに触れた。つーか、掴んだ。

「…!!!??!っ!!」
「いやぁん、めーたんてーのえっちーv」

 言葉面だけでちっとも恥らっていない怪盗のにやついた顔と。
 勢いでその胸に置かれてしまった新一の手のひらに残る、柔らかい感触。
「お、お、おま、おまえっ…!」
「やーんキッドお嫁に行けない〜」
 異様に可愛らしくへにゃっと笑ってみせる怪盗は、そう言われれば男にしては線が細いような気がする。なんとなく。
 そして腐っても工藤新一は名探偵、シリコンパッドと生胸を間違うような事は断じてない。どっちも知っているのかという突っ込みには黙秘権行使は必須だが。
「…女だったのかよ!」
「はぁい〜、怪盗KIDこと黒羽快斗ちゃんはぴちぴちのじょしこーせーですよ〜。んで」

 ちう。

「今日からめーたんてーの許嫁ねv」
「はあ!?」

 いきなり頬にキスをされ、更にとんでもない事を言われ、何でそういう事に!?と混乱する新一にじゃあ恋人からでいいよ、と的の外れた答えを返す怪盗、もとい本人申告によるところの黒羽快斗・職業女子高生。
 冗談じゃない、とやけに嬉しそうに抱きついてくる怪盗を振り払おうとすると、真下から涙に潤んだ眼差しと声で縋るように見つめてくる。
「ヒドイ…名探偵は、乙女の胸触っておいて逃げちゃうの…?」
「う…っ」
「そうよ、わかってたはずじゃない快斗…所詮私は怪盗という世間の日陰者、慰み者にされるのは覚悟してたはずよ…」
 さめざめと泣き崩れる(無論嘘泣きだが動揺した新一には無論看破できなかった)女の子の姿、というものに、そりゃあ男というのは弱い。すこぶる弱い。
 アレは怪盗で、油断のならない相手なんだ、とわかりきっていた新一の心臓をちくちく罪悪感で痛ませる程度には。
「じゃ、じゃあ、よ…俺、オメーの事何も知らねーしよ」
 怪盗としての犯罪履歴は知っているが、ソレはこの目の前に居る女の子を知っている、というのとは違う気がする。
 だとしたら、目の前の人物について新一は外側以外何も知らない事になる。というか、事実知らない。
 やってしまった事は、不可抗力とはいえ女性に対しては償うべき事柄である。
 流石にここでとっ捕まえて警察に引き渡す、というのはもう選択肢にはない。かといって、簡単に開放したり許嫁だの恋人だのというのは早計過ぎる。
 だとすれば、双方が妥協した中間地点で、ギリギリの意思の疎通を図りつつ、今後の対応を練るべきだ。きっとそうだ。
 だからこそ、新一は息を深く吸って、叫ぶようにその『妥協案』を怪盗に告げる。

「と、とりあえず『友達』からって事でどうだ!?」
「…ともだち?」

 普通、そんな台詞は体のいいお断りの言葉以外の何物でもない。だから無論、怪盗も『ここにきてそんな態度かよああん?』と少しカチンときていたのだが。
 目の前にあるのは、何故か真っ赤になった工藤新一の異様に可愛らしい照れ顔。落ち着かないのか何度も指を組み替えている辺りが微笑ましい。というかむしろ。
『…やっべえ超オイシそー…!今すぐ押し倒したいっ…!!』
 本日、緻密な計算と姑息な程の手段でもって手に入れたチャンスである。目の前の極上の獲物を逃す事だけは避けたい怪盗は、自身が自覚する最高の笑顔を素っ頓狂な事を言い出した探偵へと向ける。

「…ん、いいよ。じゃあ友達からな?」
「お、おう…トモダチ、な」

 目の前の怪盗が直ぐにでも喰っちゃいたいと思っている事実など知らない探偵はほっとしたように肩の力を抜き、どこか無防備な微笑をこちらへと向ける。
 そんなくぐった修羅場の割りにどこか抜けていて可愛らしい探偵・工藤新一を目の前にして。
 怪盗KIDこと黒羽快斗(17歳・女子高生)は、最愛の鈍い探偵君を陥落すべく、改めて決意を固めたのだった。



2005.04.14.


H O M E * / N E X T *