おてんきのゆくえ



 床に散らかしたままの新聞。開きっぱなしの折癖が付いた雑誌。
 リビングのテーブルの上ではノートPCがスクリーンセーバーを絶好調稼動中、工藤邸の広大なリビングダイニングに相応しい大画面の液晶プラズマテレビはつけっ放しで、その内容はプロ野球の結果にいつの間にか変わっていたらしい。
「…何してんの?」
「……。」
 そして、散らかした当人はむっすりとふてくされたまま、此方に背を向けてソファに転がっている。小さく丸くなって寝転んでいる様子はかわいいと言えばかわいいが、果たしてどう会話の糸口を掴んだものやら。
 途方に暮れた心境で、黒羽快斗は恋人と彼が作り出した惨状を見やった。
 よくもまあここまで散らかしたものだと思うリビングに散乱する物品の中には、レジャーシートだの麦藁帽子だの虫除けスプレーだのという典型的行楽用品が混じっていたりするので、正直なんとなく彼がふてくされている理由はわかっていたりもするのだけれど。
「…しんいちー。仕方ないじゃん、コレばっかりはさ。いくら調べたってあの天気図じゃ雨は避けられないって」
「……っ、だってっ!!」
 我慢しきれなくなったのか、がばり、と起き上がって此方を睨む青い双眸は涙目。きゅ、とかみ締めた唇と、全身から悔しさを滲ませた彼の様子からは、事件現場等の凛とした命探偵の面影は欠片も見受けられず、まるでだだをこねる子供のようだ。
 …いや、ひょっとしたらそのものなのかも知れない。
 そう遠くない過去に覚えのある、目の前の恋人をそのままミニマムサイズにした小学一年生の駄々っ子の演技を思い出し、快斗は内心ため息を落とした。あの時は真実を知るが故に笑いを堪えるのに必死だったが、今は別の理由でため息を堪えるのに必死だったりする。
『つか、正直新一はあの頃より今の方が可愛い気がするんだけどな…俺は』
 脳裏に今も鮮やかな、小さな体躯の名探偵。けれどその頭脳は何より誰より優秀な探偵のそれで、怪盗KIDが好敵手と認めた唯一の存在だった。
 己が子供であるという事実さえ十二分に利用し尽くし、その手腕はえげつなく苛烈を極める。あんな存在を無視することなどできる筈もなく、気づいたら絡めとられている自分に気づいた快斗である。
 邂逅と別離を繰り返し、やがて怪盗と探偵は恋人同士になった。高校生探偵と高校生怪盗は揃って大学生探偵と大学生怪盗になって、探偵は少しだけ未来を修正し、怪盗はほんの少しだけ目的に近づいている。
 そんな日々の中、夏の盛りに重なった一日だけのオフを利用して、滅多に行かない行楽の予定を立てていた新一と快斗だったが、明日の現地の天気予報は生憎の雨模様。混み合うテーマパークやレジャー施設を避けて、まるで小学生の遠足のような自然公園で半キャンプ、という予定はお天気の神様の前に敢え無く頓挫し、意外とアウトドア派だったりする(というかインドアな時とアウトドアな時との誤差が激しい)新一は、二度目の小学生生活以来久々のキャンプに浮かれていたのに、一気に失意のどん底にあったりするわけで。
「いーじゃん、それはまた今度で。とりあえずあの辺りは雨が降るらしいからさ、明日は家でおとなしくしてようよ」
「でも、せっかく…」
 うるうると目を潤ませて現状を嘆く恋人に、快斗は今度こそ堪えきれずにため息を落とす。
 けれどそれはどこか甘いもので、恋人の潤んだ目元をゆっくりとなぞり、小さく最終兵器な妥協案を囁いた。

 見る間に輝きを取り戻した新一の泣き笑いのような笑顔に安堵して、そっと目元にキスを落とす。次いで頬に、鼻の頭に、額に。
 最後に唇に落としたキスは、ほんの少し塩辛い味がした。


 翌日。
 夏休みであるのをいいことに昼夜逆転生活を送る少女化学者・灰原哀は隣家の広大な庭先にありえないものを見つけて目を瞬かせた。
 ひょっとして、自分は夢を見ているのだろうか。昨夜はあんまり研究の調子が良かったものだから、気づいたら朝日を拝む羽目に陥っていた。だから自分はまだ研究室のデスクで寝ているのではと思って抓った頬は、残念ながら痛みを訴える。
「……また、なのかしら…」
 隣の豪邸に住む旧知の探偵は、哀の知る限りどうしようもない生活不適合者である。不能、なのではない。能力があり常識を知っているのに、その妙ちきりんな発想と独自の行動論理によって世間一般の平均生活を営めない輩。幾度となく哀の頭を痛めた彼も、隣家にそっくりな怪盗が出入りするようになってからよっぽどマシになったと思っていたのに。
 がくりと落とした肩をそのままに、哀はよろよろと新聞を抱えて家へと戻る。ばたりと閉じた玄関の外の景色など、自分は見ていないと暗示をかけながら。
『理由なんて聞いちゃだめよ灰原哀、ダメージを受けるのは貴女なのよっ…!』
 己に言い聞かせた言葉をかみ締めつつ、彼女は自室のベッドに逃げ込んだ。恐らく明日辺りに理由を聞かせてくれるだろう探偵のズレっぷりを確認するのが恐ろしい。
 明日など来なければいいのに、と布団を引っかぶって呪文のように呟く。

 庭先に何故か設置されたテント+吊り下げランプ+バーベキューセット、などという庭先キャンプ状態など自分は見ていない、と。




2008.06.13.

H O M E *