ぷらすまいなす ぜろ  ばんがいへん

きみとぼくらのささいなお祝いごと。
[ くどうのひ すぺしゃる!再録 ]





 君と過ごせる日常は、何よりたいせつな宝物。
 他のものなんかなんにも要らないけれど、それでも君が僕のたいせつなひとだって、みんなに知って欲しいんだ。
 それは僕のわがままで、自分勝手。だけど。

 ねえ、どうかぼくらのしあわせを、祝福してはくれませんか?


「工藤!オマエこんなところで何しとんねん!」
 何だか妙にハイテンションな関西弁に呼び止められて、快斗は困惑を隠しきれずに足を止めた。快斗の大切で愛しい恋人と自分は確かにそっくりで、間違えられたことは一度や二度ではない。
 本人たちがその気になれば周囲の人間だって騙くらかせる自信はあるとはいえ、実際素の状態ではさほど似ていないとは思う。
 まあ、背後から、ということで単に背格好で判断してるんだろうなあと納得してくるりと振り返り、ことりと首を傾げるとやはり微妙な表情をした黒い関西人……西の高校生探偵・服部平次氏がそこで固まっていた。
 はて一体どういった対応をしたものか、と少々己も困惑しながら、快斗は首を傾げたままおそるおそる相手の名を呼んだ。
「ええと……その、服部君?」
「自分……あん時の工藤のそっくりさんか?」
 幸いな事に、彼は自分を覚えていてくれたらしい。あんな見事な工藤の攻撃を食らって記憶が飛ばなかった事は喜ばしい事だろう。多分。説明が省かれたことにほっと息をつき、快斗は曖昧な笑みを浮かべて、これから長い付き合いになるかも知れない関西人に名前を名乗った。
「うん、俺は黒羽快斗。よく工藤には間違われるんだ」
「そやろなー、俺かて間違うたくらいやもん。後ろからだと余計見分けがつかんわ」
『……あれ?なんか結構好意的?』
 けらけらと笑う服部は、なんだか予想外に友好的で快斗は逆方向に首を傾げた。快斗の記憶が正しければ、初対面の時は明らかに胡乱な表情で見られたような気がするのだけれど。ついでに敵対心も思い切り剥き出しにされたよーな気もするのだけれど。
 あれー?とクエスチョンマークを頭上に貼り付け、快斗はなんだか不思議な関西人を再びまじまじと見つめるのだった。


□ □ □



 苛々とスリッパをぺたぺたと鳴らしてフローリングの床を右往左往しながら、工藤新一は出かけたまま帰らない恋人を待っていた。
「……遅い!」
 相変わらず生活不適合者な新一である、冷蔵庫の中身はまた基本的容量と品数を揃えてはおらず、快斗はそれを一瞥して溜息混じりに共同資金として工藤邸に置いてあるがま口を引っつかんで近所のスーパーへと出かけていった。
 ちなみに、抜け目ない快斗は一連の状況を隣家に住む彼の同士にして探偵の共犯者・灰原哀に通達してから出かけていたので、あまり暴れていると彼女にまた手痛い一撃を食らう羽目になるのだが、無論そんな事は新一は知る由もない。
 よって、まだそんなに時間が経過していないにも関わらずこと恋人に対しては心が激烈に狭い名探偵は、一人むっすりと廊下を右往左往する。そうしていたところで快斗が早く帰ってくるわけでもないし余計に苛立ちは募るのだが、今の煮詰まった新一には思考が回らなかったようだ。
 そうして何十往復かした後、ようやく新一の待ち望んだ音が玄関先から僅かに聞こえた。門扉を開けて、玄関への敷石を踏み、ドアを開ける。そのかすかな音に猫がぴくん、と耳を立てるような仕草で視線を向けると、ばたばたと玄関へと走ってゆく。
「快斗、おかえ……」
「あ、新一ただいまー」
「おー工藤、邪魔するでー」
 一瞬、状況が理解できずにぱちりと瞬きをひとつ。
 ええと、これはいったいどういう状況だ?
「いやー途中で服部君に新一と間違えられてさあ」
「せやせや、あんまり似とったから工藤かと思て」
「服部君が新一に用があるっていうから、世間話しながら一緒に来たんだけど」
「なかなかオモロイ話させてもろたでー」
 ねー、と二人揃って楽しそうに笑った瞬間、工藤の中の何かがぷつんと切れた。
 コノヤロウ西の黒い悪魔め、俺の快斗と何意気投合してやがんだよ!とは普段恐ろしい隣家の少女に言えない分、服部には遠慮なく噴出するらしい。
 神経の細い人間ならその場で発狂しかねない殺気を振りまいて、工藤の黄金の右足が唸りを上げる。哀れ再び玄関に沈むかと思われた服部だったが。
「……しーんいちー、ちゃんと話は聞いたげなよ」
「か、かいとっ」
 ぱしり、と右足首を止めるのは快斗の左手。相当に勢いの付いた凶器のような右足だったが、流石に怪盗などという酔狂な副業を持つ男は一味違う。上手く力を流し勢いを殺して、かなり高い位置で新一の足首を掴んだ快斗は、にっこりと笑う。
 まるで子供に言い聞かせるようなその言葉に、新一がこくこくと頷いたのを確認してからぱっと離した手管の妙に、服部など思わず本気で拍手してしまったくらいだ。
「……何の用だよ、服部」
「おおホンマに工藤が蹴りのひとつも寄越さんとヒトの話を聞こうとしとる……!」
 黒羽スゴイわー、と心からの賛辞を口にする関西人に、肝心の快斗は首を傾げ、もう一人の当事者はむっとしてそっぽを向いた。
やろうと思えば大人びた行動も、逆に子供っぽい行動も取れる男ではある。けれどもここまであからさまに甘えた態度を取る相手は初めて見る服部は、素直に感嘆するしかない。
「や、俺かて最初は工藤と黒羽が恋人なんてどゆことやー、て疑うたけど」
 服部は工藤が好きだ。一挙一投足を気にするほどに好きだ。
 但し、周りが邪推するような恋慕の情とは少し趣を違えるものである事は、意外と知られていない事実である。それというのも、男の友人に向けるにはちょっと行き過ぎた愛情表現を含む行動と言動の賜物なのかも知れない。おかげで聡明な灰原女史を以ってさえ、要注意人物のレッテルを貼られてしまっている。
だが、あまりにも常識をすっ飛ばした工藤新一の生活不適合者っぷりを憂う心は少し会話しただけでも快斗と通じるものがあったらしい。服部平次はちょっと猪突猛進なところはあれど基本的にはいいヤツなのだ。もっとも少々…いやかなり体育会系のノリが強すぎて暑苦しいので、そのノリと相容れないゴーイングマイウェイ・工藤新一やクールビューティー・灰原哀には仲良くして欲しいにも関わらず一方的にうざったがられているだけの話である。
真顔でがっしと新一の肩を掴み、真剣な表情で訴えかける。
「来るまでにいろいろ話して確信したんやけどな。
……工藤、黒羽は滅多におらんええヤツや。ちゃんと捕まえとき」
「テメーに言われるまでもねーっつーのそんなコト!」
 だいたいそんな事をわざわざ言いに来たのか、と胡乱な眼差しを向ける新一とそういえば何の用事だったんだろうと首を傾げる快斗の目の前で、黒い関西人・服部平次は自信満々にディパックの中からなにやらプレゼント仕様の包みを取り出した。形状からして何かのボトルらしいが、リボンと包装紙で飾り立てられた状態では中身の判別までは難しいだろう。余計に首を傾げる擬似双子を目の前にして、服部は胸を張ってその決定的な一言を口にした。
「今日は九月十日!9・1・0、くどーの日や!
せやからここはいっちょ工藤を祝ったろーと」
「……寝言も大概にしとけこの剣道バカ!!」
 今度こそ止める間もなく、新一の黄金の右足が服部の鳩尾にクリーンヒット。うごふ、と形容しがたい呻き声を上げて工藤邸の玄関に倒れ伏した服部平次氏に、快斗は心の中で両手をあわせつつ『ああいつもこんなんだからあんなに耐久力が高いんだ…』ともっともなんだかそうでないんだか微妙なラインのことを考えたりしていた。
 ふーふーと肩で息をする新一、玄関先で倒れ伏しぴくぴくと痙攣する服部、それを眺めながらちょっとズレたことを考えている快斗。哀辺りなら『……見事なまでの空回りと弄られキャラと天然のトライアングルね……』と斜め上を眺めつつ乾いた声で呟いてくれそうな状況だが、残念ながら此処に居る人間はそういった事に鈍い連中ばかりだった。
 何がくどーの日だ、ボケてんじゃねーよ関西人!と怒りと衝動の赴くままに毒舌を吐き続ける新一、流石にヤバイところに入ったのか、鳩尾を押さえつつうめき声しか上げられない服部、「そっかー工藤の日か、面白い事考え付くなー服部!」と一人真面目の楽しそうな快斗。……やっぱり変なトライアングルだった。
「……てか、じゃあ何か?テメーはわざわざそんなことの為に東都くんだりまで関西から出てきやがったのかよ?」
 まさかそんなアホな理由だけではなく、何かしら(事件とか事件とか事件とか)があるのだろう、という含みを持たせて嫌そうに玄関に伸びた服部を睨み付ける。
 けれども漸く復活したのか身体を起こしながら告げた服部の言葉に、二人はそろって目を丸くする。
「いや、そんだけやけど?」
「……正真正銘のアホかテメーはっ!!」
 ぶぎゅる、と工藤の足が再び玄関先に座り込む形になっていた服部の背を踏みつける。ぎゃあ、とかぐえ、とかあんまり美しくない悲鳴を聞きながら、快斗は服部に対する印象を確実なものにしていた。
 まず、言葉が足りない。ついでに考えも足りない。基本的にはいい奴だしノリが良いから退屈もしない。まあ、行動派といえば聞こえはいいがその場の勢いだけで突っ走る為に、後々困る羽目に陥るのだろう。友人として傍から眺めているだけならば面白い男ではある。
 ぐりぐりと思う存分踏みつけたところで満足したらしく、新一は服部を放って再び冷房の効いたリビングへと戻ってしまった。ぺたぺたとペンギンスリッパでフローリングを音を立てて歩く様は可愛いわけだが、あの足だけは凶器だなあと心底惚れている快斗であっても思う。それは友人である服部的にはどうなんだろう、と首を傾げ、ちょこりと傍に座り込んで服部のデコをつついた。
「おーい服部、生きてるかー?」
「う、うう……久々の工藤はやっぱ強烈や……」
 唸りながらもどうやら深刻な状況には至っていないようなので、快斗は安心して放置することにする。やっぱり白と黒の車は事件と仲が良すぎる探偵ではあるまいし心臓に悪いので、自力復活してくれればそれに越した事はないのである。
「すごいなー服部、ホントに『くどーの日』とやらに新一を祝う為だけに来たのかよ」
「いや、思いついたら祝わな、思て……」
「予想出来ただろーこの状況」
「いやーそれがころっと忘れててなー」
 心底呆れたように溜息を落とす快斗は、己の恋人とこの気のいい関西人が、実は良いコンビなのではないかと思い始めた。その事件遭遇率の高さだけはどうにかして欲しいものだが。
 起き上がるのに手を貸すとこちらを真っ直ぐに見つめ、服部は唐突に真剣な眼差しで快斗を見つめて名前を呼ぶ。
「……黒羽」
 なんだ、と呆れた表情のまま返そうとして、そのあまりの真剣さに快斗はこくりと息を飲み込んだ。起き上がった服部はそのまま快斗の手をぎゅっと握り、懇願するような強さで言葉を紡いだ。
「工藤はな、あんな乱暴で我侭で事件体質で、まー探偵として以外は殆ど全く役に立たん奴やけど、それでも黒羽の事を好きやっちゅーのはホンマやと思うんや。
大変やとは思うけど、アイツのこと、よろしく頼むな」
 心の底からの言葉に、快斗はぱちりと瞬きをひとつ。
 ああ本当にこの男は快斗の恋人の事が大切なのだと、そう思い知らされる言葉と声。恋愛感情ではないにせよ、快斗が新一を大切に思うのと同じくらいの強さで、服部は新一の幸せを願っている。
 それでも、愛して欲しいわけではないのだ。無償ではないにせよ、それに限りなく近い感情。肉親に向けるのではない、それに名前を付けるとするなら憧憬だろうか、あるいは崇敬だろうか。そう問うてことりと首を傾けた快斗に、けれど服部は笑って告げる。
「あーちゃうちゃう、そんな格好良いモンちゃうて」
 しいて言うなら女性アイドルを追っかける時の心境に近いだろうと告げる服部に快斗もつられて笑おうとして、けれども笑う服部の背後にゆらりと湧いた人影にその顔を引き攣らせた。
 ぴしり、と固まった快斗の笑顔に怪訝な表情をして、その視線の先を追った服部もまたその笑顔にびしりと皹を入れる。
「……何気色悪ィ例え話に人を勝手に出演させてやがる…」
「く、くく工藤〜っ!?」
 いやこれは言葉のあやで、とかなんとか必死で取り繕う服部の努力を嘲笑うように、工藤の秀麗な額には見事な青筋が立っている。背中に立ち上るドドメ色のオーラは、絶対に幻視などではないと二人は揃って断言できるだろう。
「アホなコトを言いにくるだけならまだしも、いつまで俺の快斗を占有してる気なんだよテメー……!」
 怒りの内容はそっちかい!と反射的にこれまで話していた快斗の方を見るが、肝心の本人は怒っている工藤は恐ろしいが、その理由はわけがわからないといった様子で首を傾げるばかりである。
 黒羽快斗の恐るべき天然っぷりを初めて目にして、服部はどうしようもなく悟らざるを得なかった。
 割れ鍋に綴じ蓋。似合いの一対。まさしくそれがこのばかっぷるに付ける名前としては正解だろう。
 どうしてこの状況で新一が怒っている理由が考え付かないのか、どうして快斗が服部と仲良くしてくれる理由がわからないのか。どっちもどっちで互いの事が好きなのに、どうにもそこらへんがすれ違っているような気がするのは気のせいか。
 まあ、新一についてはそれもまた今更だ、あれだけあけすけな毛利蘭の態度も通用しなかった相手である。しかしその恋人までもとは思わなかった服部は己の鈍さも棚に上げて嘆息する以外に何をするというのか、と遠い目をした。
 怒りのあまりに無表情になった新一の本日二度目の黄金の右足に、果たして己は生き残れるのだろうかと、冷や汗を垂らしながら服部はきつく目を瞑ったのだった。


□ □ □



 結局辛くも服部は新一の攻撃を耐え抜き、ちょっとボロボロになりながら大阪へと帰っていった。
あまりのよれよれっぷりに快斗は泊まっていけばいいと言ったのだが、その言葉の後に黙りこくった新一と視線を合わせた途端、「や、俺はやっぱ帰るわ……」と上擦った声で告げたので、それでも時間が時間だけに夕飯だけはご馳走してみた。のだが、食事の間中どこか気を張り詰めていたように思うのはやはりまだ自分には馴れてくれていないということだろうかと快斗はぐるりと首を回して考えてみる。
 次にアイツが来るときはもう少しゆっくり話をしてみよう、などと考えていると、足元にぺたりと何かがくっついてきた。
「…新一?」
 夕食の後、どこか拗ねたような風情で服部を見送りもせずに自室にこもってしまった新一が、ソファにかけた快斗の足元にぺったりと懐いている。やっぱり表情は拗ねているが、その行動はまるで寂しい猫か子供みたいで、快斗はこみ上げる衝動のままにくすりと笑みを零し、その両手をそっと差し伸べる。
「…おいで」
 ぴくり、と肩口が震える。意固地になったみたいに視線を逸らしたまま、けれど離すまいと足元にじゃれ付いたままの恋人に、快斗は根気良く手を差し伸べ続けた。
「おいで、…しんいち」
 止めのように名前を呼ぶと、不承不承といった様子で少し冷たい新一の手が快斗のそれに重ねられた。取った手を少し力を込めて引き上げて、すとんと膝の上に収まった恋人は、少し眉を顰めてぎゅっと抱きついてくる。
「新一、服部が来たの、嫌だった?」
「…ちがう」
 ぶっきらぼうに告げる声は、けれども刺々しいものじゃない。服部が新一を大切に思っていることはわかったから、出来ればあんなに邪険な扱いは、しないで欲しいと快斗は思う。
 快斗にとって新一はたったひとりの大切な人だし、自惚れていいなら新一にとっての自分もそうだと思う。だけど、それだけで世界は完結してはくれないから、優しさには優しさを返して欲しい。他人を拒絶するような事は、愛される人だからして欲しくはなかった。
「それとも、俺が邪魔だったりした?」
 探偵同士の話でも、ホントはあったりしたとか?
「違っ……!」
 慌てたように顔を上げた新一だったが、ばちりと視線が合った瞬間またぎゅうぎゅうと快斗の胸に顔を埋めてしまう。後はもう問いかけてもうーうーと唸るばかりで満足な返事も返っては来なかった。
溜息混じりにその背中を抱き寄せながら、どうしてこの人はこうなのかなあと快斗は一人首を捻るが、肝心要の要素をこれっぽっちも気付いていないのに答えが出るはずも無い。
出ない答えに見切りをつけて、ぎゅーぎゅーに抱きついてくる恋人の頬にそっと手を寄せて、なるたけ優しい声で囁く。
「……しんいち」
「っ!」
 優しくて柔らかくて、けれどほんの少し色の気配を漂わせた声の意味を正しく理解したのだろう。新一はぴくりと肩を跳ね上げる。
 けれど、その回された手は解かれることは無く、また拒絶する気配もさらさらない。どころか、更に強くなる抱擁に快斗は口元を綻ばせ、すべらせた指先でさらさらのほっぺたを堪能するように撫ぜてゆく。
「俺はいつだって新一に触れたいし、触れていたいよ。新一が想うのはずっと俺だけでいてくれればいいって願ってる。
……なあ、それだけは、信じていてくれないか?」
 ゆるり、と頬から首筋を辿る指先が、その器用さを発揮して片手でも滞る事無く新一のシャツの釦を外してゆく。ひとつ、またひとつとそれが外れるたびに、呼応するが如く己の体温と鼓動が跳ね上がるのを、新一はまるで人事のようにぼんやりと知覚していた。
 快斗が言いたい事はわかっている。新一が何をしてもどうしたって自分は好きでいてくれると、そう告げたいのだという事は。新一だって今更快斗の愛情を疑うなんて真似はしたくないしした覚えも無い。
 疑っているのは快斗じゃない。その優しくて強い魔法使いに惹かれるのは自分だけじゃないから、その周囲にこそ疑いは向けられるのだ。
 快斗はそう言うけれど、自分なんて本当に大したものじゃない。正直人間的にはかなり問題アリだろうということくらい、とっくに自覚済みだったりする。だけど十九年もこの性格で生きてきたのだから、今更それを変えたいと願ったって無理な話だ。
 だから、いつか快斗は自分の事なんか嫌いになるのだろう。今はまだプラス要素であるらしい母親譲りのこの顔も、年とともにただのおっさんになってゆくのだ。身体だって中年太りするかも知れないし、ひょっとしたらハゲたりするかも知れない。
 そうなった時、無条件に快斗が己を愛してくれるなんて妄信できるほど、新一は楽観的にはとてもなれなかった。
 誰もに愛されるのは自分じゃない、快斗だ。それは怪盗なんて裏家業に在ってなおそうなのだと、現実が証明しているじゃないか。
 言葉に出来ないそんなぐるぐるとした想いに、新一はこみ上げる衝動を堪えきれずに目の前の恋人に口付ける。最初は触れるだけの、直ぐに噛み付くような激しい、最終的には快斗も応えて舌を絡み合わせる濃厚なものへと移行していったキスの行方は、上がった息と漸く離れた唇の間に伝う、銀色に光る唾液の糸が伝えてくれる。
 真剣な深い色の眼差しと、交差したと感じたのは一瞬。次の瞬間にはその腕に絡め取られて、柔らかなソファの上へと組み伏せられていた。
 けれど、そこで覚えたのは屈辱でも怒りでもない。他に代えようの無いほどの、歓喜だった。触れた端から体温が跳ね上がり、愛しいという感情が溢れてゆくようで、新一はただぎゅっと快斗にしがみ付くことしか出来ない。
「……い、と」
 切れ切れで呼んだ恋人の名前は明確な音にはならず、けれど甘えるような響きだけは確かで。ぱさり、とフローリングに互いのシャツが落ちる音が、やけに耳に付いた。
 どくどくと、心臓の音が煩い。
 頭の中は馬鹿みたいに何も考えられず、普段は回りすぎるほど回る思考は快斗の事だけ……それも随分と空回り気味な事しか……考えられない。今はもう、その手がその唇が己に齎す熱の事だけが新一の中を占めている。
 目の前の大好きな顔が、一瞬ごとに優しさの意味を変えて「男」のそれになる。その経過が、新一は実は好きだった。自分以外の誰も見たことがないだろう表情、そしてこれからも誰も見ることがなければいいと願う表情は、間違いなく向けられた相手を欲するものだからだ。
 ちろり、とどちらのものかわからない唾液に濡れた己の唇を舐め取る仕草に、余計に熱が跳ね上がる。
 暑い、熱い、……あつい。
 縋るように伸ばした腕で快斗の首を抱き寄せて、その唇を重ねる。何度も繰り返した筈の行為なのに、一向に慣れる気配はない。その度毎にどきどきして、触れる肌の感触は覚えても触れられる悦びは深くなる一方で。
 鎖骨を辿る快斗の手を取り、その指先を口に含む。少し冷たいそれを暖めるように丁寧に辿る舌先は、そのまま新一の願いそのものだった。
 愛しています、大好きです。
どうか俺が触れられるのが嬉しいと思うように、快斗も俺が触れることを嬉しいと思ってくれますように。
ふと、微笑む気配がする。雄の顔の合間に優しい快斗のそれを滲ませ、落ちてくる口付けを拒もうとは到底思えない。
「……ふ、ぁ」
「しんいち……かわいい」
 可愛くなんてない、と反論する言葉は、濡れた指先が身体を辿ることで容易く封じられる。じゃれあうような他愛ない接触だったはずのものは、重ねる度に熱と色を濃くして、もうそれは前戯としてさえ濃厚に過ぎるものへと変化している。
「……新一、部屋へ……行っても?」
「……っ」
 問われた露骨な誘いに、けれど覚えたのは満足と歓喜だった。もう明確な言葉を紡げない喉と唇に代わって、必死でこくこくと頷く
ことで同意を伝える。
 望むのは、一緒なのだ。
 触れ合いたいと願う果てに行為があるなら、新一が快斗を拒む事は絶対に無い。何度も新一から誘ってさえいるのに、快斗は未だに新一の意思を確かめることをやめようとはしない。それはあまりに大事にされているようで少しくすぐったくて、同時に歯痒い。
 もっと乱暴にしてもいい。もっと勝手にしたっていい。快斗が満足するなら、壊れるまでしたって構わない。
 ふわり、と己を抱き上げた腕の強さとしなやかさに背筋を震わせ、新一は必死で快斗にしがみ付いた。
 耳元でくすりと笑う気配すら、今は熱を煽るものにしかならない。新一を気遣ってゆっくりと歩む快斗のそれすら今はじれったく、早く己の部屋に着けばいいと思う。いっそ、廊下だろうが階段だろうが、此処でやってしまってもいいとさえ思う。
 とっくに狂っている、と自覚したのは大分前だ。たったひとりを定めてしまった人間なんて、狂わずにいられるはずもないと開き直ったのは記憶に新しい。
 そして、黒羽快斗との関係に溺れている、と感じたのは何時だったろう。ずっとずっと溺れていられればいいとさえ思うのに、理性と社会性がそれを許さない。何よりも、肝心の快斗がそれを望まないのだ。
 いっそずっとずっと己の事だけ考えていてくれればいい、と勝手な事を願いながら、そっと開かれる己の部屋のドアに、新一はぎゅっと目を閉じたのだった。


□ □ □



 そして、その翌日。

 相変わらず生真面目に泊まって行ってはくれない快斗の居ない朝を迎えた新一は、昨夜のもやもやもそのままにむっすりとリビングのソファに陣取って時計を睨み付けていた。
 今現在新一が一人暮らしとはいえ、この家の家主は工藤優作であり、彼に許しを得ない状況で、更に職にも就いていない状態で厄介になるわけにはいかない、というのが快斗の言い分だ。
 しかし肝心の新一の父、優作は殊の外快斗を気に入っていたりするので了解も何もあったものではないのだが(そもそも新一はにやにや笑う父親に『新一、君が奥手なのは知っているがね、もう少し色気のある態度を取りなさい。希代の魔術師を篭絡するのに絶対の手段ではないだろうが、手は多い方がいいだろう?』などと真顔で告げられて錯乱したことがあるくらいだ)彼は大学が夏休みに入ってからこっち、隣家の少女に『生活不適合者』という不名誉なレッテルを貼られた新一(しかし決して間違いではない)のために、工藤邸にほぼ毎日通い詰めている。
『…だいたいアイツは、なんで俺が服部が来るの嫌がってんのかもわかってねーんだから…』
 服部平次が工藤新一を訪ねてくる事が問題なのではない。服部平次が訪ねて来れば、新一とほぼ一緒に居る事が多い快斗と接触する機会も増える。その結果、二人が仲良くすることが問題なのだ。
 どうにもぶっきらぼうな己と違い、社交的な快斗である。どうやら街中で出くわしたのは偶然のようだが、それでも服部と直ぐに仲良くなったのだろう。共に工藤邸を訪れた二人はまるで置いてけぼりにされたみたいなやり取りを交わしていて、背筋を駆け下りた悪寒と恐怖は今も忘れられない。

 他の誰とも仲良くなんてしないで欲しい。
 自分のことだけ見ていて欲しい。
 自分以外の、誰にも触れて欲しくなんてない。

「…バカか、俺」
 物理的に不可能な我侭であり、快斗の人格を無視した願いでもある。けれど切実な、新一の本心だ。
 日ごと新しく恋をし直して、新しい発見がずっと続く。
君と過ごす日々はそれまでの人生観さえ変えてしまって、今はあの頃の自分が予想もしなかった未来へと進もうとしている自分が居る。正しく快斗との出会いは、己そのものを変えてしまった。
 ああだから、快斗にも同じように好きになって欲しい。他に代えようのないくらい、自分を欲しがってもらいたいのに。
 快斗が工藤邸を訪れるのは、いつも決まって午後十時半。開いたばかりのスーパーで、昼食と夕食の材料+新一のシャーベットと自分のチョコアイスを買って来るのだ。
 大学生の夏休みは高校の時のそれより長くて、まだ随分と余裕がある。課題も予習も全て終わらせた抜け目ない自分たちは、残った休みを共に過ごす事に傾けていた。
 無論、そこには快斗の怪盗業や自分の探偵業が少し…いやかなり入り込みはするけれど、願っているのはそっちなのだと新一は信じている。

 現在時刻は、九時五十二分。快斗がいつも来る時間には、まだ三十分近くある。敵のように罪のない壁掛け時計を睨みつけながら、新一はぎゅっと目を閉じた。

 どうかどうか、ずっと快斗が好きでいてくれますように。
 ずっと快斗が傍に居てくれますように。

 願う事はそれだけ。だけどそれはとても簡単で難解な命題で、いつだって新一は不安だらけで。
 早く快斗の顔が見たいと、夏休みの間…いいや、快斗と付き合うようになってから何回思ったか知れない事を、ずっとずっと考えていた。



おわり。




2008.06.11.

H O M E *