ぷらすまいなす ぜろ ばんがいへん
きみというしあわせに、ぼくはかんしゃする
[ くどうのひ すぺしゃる!再録 ]
君と居る事が、僕にとっての何よりのしあわせ。
たったひとつだけ願えるのなら、何よりも君のしあわせを願うだろう僕は、いつだって君だけが大切で。
毎日僕は恋をする。君という得難いたった一人に、毎日毎日恋をしている。
会えない日は記憶の中の君を思い出して、目の前に居ない現実の君に焦がれて。共に過ごす日は、一秒ごとに積み重なる君の記憶に暖かさを覚えて。
だからどうか、この恋を終わらせないで。
素直じゃなくて意地っ張りで、ちっとも可愛くなんてない僕に、愛想を尽かしたりしないで欲しい。
いつも何時だって誰よりも、僕は君を愛しているから。
□ □ □
ざああああ。
勢い良く開け放ったドアの向こうでは、現在絶好調に活動中の梅雨前線による雨が全ての街の音を掻き消していた。
いつもなら少しは耳に届く主要道路を走る車の排気音も、そう遠くはない位置を走る列車の音も、人の生活音も何もかもが雨に掻き消されている。
まあ、有り体に言うところの、『豪雨』である。
「だからさー新一、今日は無理だって」
「ううう、煩い!!」
リビングでソファに背を預けたまま、少し呆れた様子で快斗が告げる。付けっぱなしのテレビからは「関東地方は発達した低気圧による強い雨が…」と新一を更に凹ますような予報が垂れ流されている。
「大雨注意報が出てるって言っただろ?しかもこりゃそのうち警報になるだろうから、大人しく家の中に居ようってば」
「煩いっ!!」
わかっている、そんな事は新一にだって分かっている。
伊達に名探偵を名乗っているわけでもない、天気図からそこらの予報士程度の読み取りはできる。現在日本列島を覆う梅雨前線は絶好調に本州を雨模様に覆い、ちょっとやそっとで動いてくれそうにはない。あまつさえ少しばかり根性が入りすぎた今年の梅雨は、各地で災害レベルの雨を齎しているのだから。
お気に入りの青い傘の柄を握り締めた右手が震える。ざばざばと降りしきる酷い雨はアスファルトの道路を川のように変えていて、こんな中出掛けていくのは阿呆のやることだと新一だって思う。
思う、のだが。
『今回ばかりは譲れねえんだよっ……!』
本日、六月二十一日。
言わずと知れた工藤新一の大切で大切で大切な恋人、黒羽快斗の十九回目の誕生日である。
無論昨年だって自分は自分に出来る精一杯で彼の誕生日を祝った。当然である。
しかし悲しい事に当時はまだ高校生で、新一の誕生日とは異なり彼の誕生日はうまく土日でも重ならない限りは確実に平日で、だから祝うと言っても放課後から夜…それもあまり遅くならない時間帯に限られたものだったわけだ。
その一ヵ月半前、一日……それこそ朝起きる時から夜寝る前まで、じっくりみっちり祝われた工藤新一としては、少しばかりもやもやとしたものが残ったのは事実だった。
無論、快斗自身は一緒に居る間ずっと楽しそうに嬉しそうに笑っていたけれど、それでも新一はこの優しい恋人を独り占めして祝いたかった。彼の目に映るのが、朝から晩まで自分ひとりならいいと思っていた。
だからこそ、今年こそはきちんと……そう、昨年も今年も彼がしてくれたように、その日すべてを使って彼が生まれてきた日を祝ってやりたかった。
しかし、現状は予想よりも遥かに劣悪だったりした。
まず最初の予定外は、現在は正式に開業しているわけではないがちらほらと請け負っている探偵業に、断り辛い筋から依頼が舞い込んだ事だった。
正直『面倒だからやりたくない』と思った新一だったが、切羽詰った様子で切々と現状を訴えてくる依頼人の様子に流石に罪悪感を抱いてしまい、遠く東北くんだりまで一週間の小旅行めいた仕事に行くことになってしまった。
流石に被害者の死因が自殺か他殺かはっきりしない所為で保険金が下りるか否かの瀬戸際、ついでに一家離散の危機が迫っている云々と泣かれると、さしもの新一も折れざるを得なかったというか。
なにはともあれそうして依頼人の指定する場所に辿り着いてみれば、これまた凄かった。
何せ、行ってみればおっそろしいほどの山中で周囲に民家の明かりすら見当たらない。当然携帯は圏外、固定電話はあるが今時存在すら骨董品であるダイヤル式黒電話が幅を利かせている状態、コンビニは依頼人宅から車で一時間半の曲がりくねった街灯など無論あるわけがない山道の下。オイ此処はドコの秘境だよ、と思わず突っ込みたくなるような場所だったりした。
当然そんな状況では恋人の誕生日祝いの用意をすることすらままならず、必死で事件を解決して(結局往生際悪く突きつけた証拠を認めず逃げようとした犯人を、その黄金の右足で一撃必殺で庭の池に沈めてしまったことは快斗には内緒にしてある)どうにか東都に戻ってきたのは昨日の夕方。
流石の新一も疲れ切ったその状態から何かをする気力も湧かず、明日は快斗とデートしながらプレゼントとケーキを選べばいいや、とベッドに沈んだ。
ところがどっこい、起きてみれば恐ろしいほどの豪雨。
『いやースゴイ雨だな新一、シャツが絞れるぜ!』と朝から工藤邸を訪れた、傘を差していてもずぶぬれになったらしい快斗の声に絶望さえ覚えた。
どざーっ、と降りしきる雨はまさに『バケツをひっくり返したような』大雨で、こんな日に出掛けるなんて、あまつさえ買い物をするなんてアホのやることだ。何もかも水浸しになるのがオチだ。
どうしてこう己のやることはうまくいかないのだろう、とちょっぴりどころかかなり泣きそうになりながら、工藤新一はぐいっと目元を拭う。泣いてない。まだ泣いてないが本気で号泣したい気分ではある。
ぐっと顎を引き、意を決したように傘の止め具をぱちんと外す。後はワンタッチの傘を開くだけ、となったところで、予想外の方向へと肩が引かれる。
「う、わわ」
「ちょっと新一……マジで出掛けるつもりだったの?」
玄関先でたたらを踏んで、傾いた新一を支えたのは先ほどまでリビングで己の服が乾くのを待っていた快斗の胸だった。どきり、とこんな時でさえ跳ね上がる心臓は厄介だけれども正直で、新一は思わずこくりと息を呑んだ。
「やめときなよ、もうすぐJRだって止まるぞ?つーかホントに傘なんぞ役に立たねーんだって」
「だ、だって……!」
耳元で此方に言い聞かせるように告げる快斗の台詞は至極尤もだ。新一だって今日でなければこんな日に外に出たいなんて思わない。でも、今日は。今日だけはどうしても。
ぎり、と奥歯を噛み締める。何故自分はあんな依頼を受けてしまったのだろうか、それ以前に何故もっと早く準備をしておかなかったのか。
一週間以上留守にした家の冷蔵庫は長期保存が出来る食品類と調味料、水と酒以外は空っぽで、本日の食料にも事欠く有様。住んではいないもののほぼ通いの家政婦状態で快斗が訪れるようになってからは、まずなかった状態になってしまっているのだ。
プレゼントはどうにもならなくても、せめてこの雨の中訪れてくれた彼をもう一度外に出すことだけはしたくない。その一心で恋人の腕の中でじたばたともがいた新一と、そんな新一に困惑する快斗の背後で、すばらしいタイミングでそれは鳴った。
「……電話?」
とぅるるる、と軽快な電子音を響かせる家電に、快斗はとりあえず新一から手を離してぱたぱたとリビングに戻っていく。
自由になったのだから今のうちに出れば良いのに、なんとなくいきなり離れてしまった温もりに不満な気分を味わいつつ、傘を手にしたまま新一はぼんやりとリビングに行ってしまった快斗を見る。此処からでは聞こえないが何かしらの遣り取りをしているところから察するに、どうやら双方の共通の知り合いではあるようだが。
そのうち、神妙な表情で電話の子機を手に戻ってきた恋人は、ぐい、とそれを新一に押し付けた。
「俺?」
「うん」
変幻自在の七色の声を持つと言われる怪盗としての一面もある恋人は、よっぽどの事でない限りは勝手に工藤邸の電話を取るし、新一に取り次がない。後で概要だけを伝える程度である。そのよっぽどのこと、に当たるような事件や依頼も、今日だけは絶対に受けないと周囲に念を押してある。
はて、と首をことりと傾げつつ「もしもし?」と尋ねると、馴染み深い声が己の名前を呼んだ。
『工藤君?』
「あ?灰原?」
どうしたんだ、と問うよりも先に、絶対零度の冷ややかな声が新一の鼓膜を打つ。
『まさか事件バカの貴方でもそんな事はしないと信じているけれど、今日は外に出ないで頂戴ね?』
鋭い。
思わずこめかみ辺りからたらりと冷や汗を垂らしそうになった新一の沈黙をどう捕らえたのか、隣家の少女科学者は冷静極まりない声で追い討ちをかけた。
『黒羽君には貴方をちゃんと見張ってもらうようにお願いしてあるから、懐柔策も無駄よ。
いいこと、私の手を煩わせないで頂戴ね?』
「……はい」
ひょっとしたらあの小さな少女の姿をした科学者は千里眼なのではなかろうか、と自身の探偵としての考察力を棚に上げ、切れた電話の子機を恭しく目の前の快斗へと差し出した。
「……家に、いる」
「そ、良かったv」
じゃあゆっくりしよう、と手を引く快斗の笑顔に、新一は余計に居た堪れなくなってしまう。
祝いたいのに、誰よりも何よりも盛大に、彼の生まれてきた日を全力で祝いたいのに。
じわり、と滲んだ涙は、今度こそ堪えきれずに頬を伝って玄関のタイルにぽたりと落ちる。
「わ、わ!?新一!?」
「ごめ……ごめんな、かいとっ……」
一端零れてしまうとあとはもう際限なくぼろぼろと流れ落ちる涙への恋人の困惑はわかっているのに、それでも新一は泣きじゃくる自分を止められない。何時の間にこんなに涙腺が緩くなったんだ、と自分を詰っても、胸の奥に突き刺さったままの罪悪感が拭い去れない。
「ああ、もう……ほら、泣かないで?」
何が悲しいの、と優しく問う快斗の声すら今の新一には痛みだ。そうやって優しくされる価値がない事を知っているから、余計に居た堪れなくて悲しくて切なくて、けれども暖かい手を離すことも出来ない。
ぼろり、と零れた涙が新しい水滴を幾つもタイルに散らすのを他人事のように感じながら、新一は嗚咽交じりの声で途切れ途切れに呟いた。
「だっ、て……おまえの、誕生日、なのに」
何も、してやれない。してやれてない。
祝いたいのに、何も出来ない。
告げながらまた滲んだ涙と悲しみにひくりと喉を鳴らすと、どこか困ったように笑う快斗の綺麗な指先が、くしゃりと新一の頭を撫でた。
「……馬鹿だなあ、しんいち。
新一さ、新一の誕生日に、俺になんて言った?」
「……おれの、たんじょーび?」
ほぼ一月半前の、新一の誕生日。
欲しいものは、たったひとつ。目の前の恋人。
それはとっくに自分のものだと告げられたけれど、それでも他に欲しいものなんてなかった。ただ共に居てくれる事、それだけがしあわせ。
「なあ、俺もおんなじだって、そう思ってはくれないの?」
「それは……」
祝いたい。去年よりもその前よりも、彼が経験した十八回のそれよりもずっとずっと。けれども覚えている。己が彼だけを望んだ意思を。ただ傍にいて欲しいと願ったことを。
手を伸ばす。優しい笑顔を刻んだ頬に伸ばした指先は少し震えて、馬鹿みたいに痺れて上手く動かなかった。
けれど、その手を取って己の頬に導く恋人の手は暖かくて、とても優しい。ふと解けるような笑みが唇に刻まれた瞬間、ああこの瞬間キスしたい、と衝動的に考える。
「しんいち」
君が居るだけで、君と過ごす全てが何よりも大切。
囁く言葉が為した意味はそんな響きを以って新一を染めて、同時に熱くなる頬と耳を知覚する。馬鹿みたいに毎日毎日好きになる人の声と体温に、ぎゅっと目を閉じて。
「……ね、俺は、新一がいいよ?」
他の何も要らない、ただ君だけが欲しい。
そう告げた快斗の低い声に、どきりと跳ね上がる鼓動はもう何度目だろう。ばくばくと煩い心臓を宥めるように、新一はぎゅっと相手に抱きついた。
履いたままだったスニーカーを蹴飛ばし転がして、しがみ付いた身体は危なげなく抱き留められて揺るぎもしない。
この恋人の夜の姿を思い起こさせるしなやかな力強さすら、新一はとっくに絡め取られている。
あなたが好きです。
あなたの生まれてきた日が、愛しいです。
あなたが……愛しい、です。
決して強引でない仕草で手を引かれ家の中へと誘われ、けれど新一はちらりと玄関を振り返る。
出掛けるつもりだった自分は玄関に置いたままで、祝いたい心だけ快斗に預けて。
からり、と玄関のタイルに転がったままの傘と抱き留められた心の行方は、二人だけが知っている誕生日の秘密。
貴方と出会えた奇跡に、今年も感謝を。
2008.06.11.
H O M E *