ぷらすまいなす ぜろ ばんがいへん
きみのうまれた日、ぼくのしあわせな日。
[ くどうのひ すぺしゃる!再録 ]
5月4日は快斗の大切な大切なコイビトの誕生日だ。
生まれてきた事を祝う日、全く以って正しい。彼がこの日この時生まれてこなければ、快斗は今頃人生の9割を損していたに違いないと確信している。
自分たちの人生は非常に波乱万丈で、そのうちのひとつでも欠け落ちていたらこうして出会って恋人になる未来はなかったかも知れない、と思うと非常に恐ろしい。
何かひとつでも選択を間違えていたら、ひょっとしたら今頃彼の隣には彼の幼馴染の少女が居たのかも知れないし、全く別の人が居たのかも知れない。この生活不適合名探偵の事だから、誰一人傍に寄せずに一人で居たかも知れないけれど。
何はともあれ、快斗にとって『工藤新一』と一緒に居ること、というのは幾つかの可能性のうちから奇跡のような選択肢を選び続けた結果のような幸福であるからして、彼の存在と彼の想いにはいつでも感謝と幸福を感じているわけなのだが。
それでも、誕生日は特別なものだ。
両親に愛されて育った新一のこと、幼い頃はさぞや丁重に祝われたことだろうと推測した快斗は、恐る恐るソファに埋もれるようにして、どうにも妙な姿勢のまま推理小説に没頭している新一の傍へとにじり寄った。
「……なー、しんいちー」
細い、けれども中身がしっかりと詰まっている事を確信させる固い太腿に手を置いて、覗き込むように恋人の端正な顔を見上げる。手にした小説に視線を固定し、ぱらり、とページを繰る指先は白くて綺麗だ。これが相当彼にとって『当たり』であるならばこの程度の呼びかけに応答してくれることはほぼ無いが、今回は幸いにしてそれほど彼の琴線に触れる出来栄えではなかったらしい。ふるり、と睫を震わせ、幾度か瞬きをした後に少し驚いた表情で己を覗き込む快斗に向けて首を傾げた。
「ん?何だ快斗か」
「うん。夢中なトコ悪いなーとは思ったんだけどね」
「いや……別にそこまでの内容じゃなかったし」
最後の奥付ページと裏表紙の間に挟んでいた栞を読みかけのページに差し込むと、ぱたり、と本を閉じる。意識が完全に此方に向いているところを見ると、本当に彼の好みとは違ったらしい。
恋人が本の世界から己に意識を向けてくれるのは願ったり叶ったりだったので、快斗はウキウキする感情を隠しもせずにフローリングからソファへとよじ登った。
そんな快斗の行動を咎めるでもなく、膝に擦り寄られた新一はされるがままに傍若無人とも取れる過度なスキンシップを許している。少し前なら触れただけで真っ赤になって沈没していた事を思えば、慣れれば慣れるものだ。
恋人になってはじめての彼の誕生日には、互いにぎこちなくて忙しくて、何がなんだかわからないウチに終わってしまっていた。思い出と言えば、新一は事件に、快斗は怪盗業に忙しい中に無理矢理遣り繰りした時間で、二人して試行錯誤でケーキを作成して二人で食べた事くらいだろうか。無論プレゼントも渡しはしたが、値段的にも品物的には非常に無難なもの……だいぶ靴底が減っていたスニーカーだったりした。色気も何もない。
ケーキは少しスポンジが崩れたり生クリームがとろけたりしたが、二人で笑いながら食べたそれは今まで食べたどんなケーキより美味しかった。重要なのは相手がそこに居ることなんだと、二人はそうして思い知ったのだ。
けれど、今年はそうではない。
去年を踏まえ、相応に計画を立て準備を滞りなく進めたお陰で、今年の黒羽快斗はそれなりに時間と資金に余裕を持っていた。
そして新一も、大学生になって選択した授業の余りのびっちりと詰まった様子に遠慮した警察があまり呼び出さなくなったのに加え、事件よりも快斗と一緒に居たいからと今までのように積極的に呼ばれもしない事件に首を突っ込まなくなったので、実のところそれなりには暇なのである。……まあ、天性の事件体質は直ったわけではないので、やっぱり不可避な事件には相当巻き込まれているわけだけれども。
シャーロックじゃなくてマイクロフト……安楽椅子探偵(アームチェアディテクティヴ)にな
る日も近い、と苦笑する新一は、けれども他人が思うほどには残念でもなさそうだった。
憧れと現実を同一視する事に躊躇いを覚えなかった少年時代を、新一は脱却しようとしている。探偵、という職業と己が探偵であるというパーソナルが必ずしも同質かつ同一である必要はないのだと、ようやく認める事が出来たのだろう。
日本という国では、探偵に免許は要らない。誰でも探偵を名乗ることが出来、故にその内容も千差万別だ。だからこそ、残念ながら世間様が抱く探偵のイメージと実際の仕事内容には大きな開きがあったりする。
そして、新一はその現実的な探偵と同じ事は出来ない。否、やろうと思えば誰よりも優秀にやり遂げるだろうが、それでは工藤新一のパーソナルとしての『探偵』が死んでしまう。
だからこそ、新一は選んだ。『探偵』ではない将来を。
「しんいち」
呼びかけるとかすかに、けれどはにかむように笑う。
夜を駆ける最中、最も恐れた存在は今は快斗の最強の味方だ。
その瞳は真実を誤りなく見抜くが故に、優しすぎる彼はもう快斗を捕らえないし追いかけることもない。
そっと伸ばした指先で白くて柔らかい頬を撫でると、くすぐったそうに首を竦めた。
「……んだよ、かいと」
「うん。……嬉しいな、って」
生まれてきてくれてありがとう。
それは何度言ったって足りない言葉。君と会えた奇跡に、僕は何度感謝しても足りない。
自分の全てを以って祝っても足りない、それは最上級の感謝。
抑えようと思っても湧き上がる感情に表情をとろけさせ、快斗は快斗だけの蒼い宝石のような眼差しを覗き込んだ。
「ねえ新一。何か欲しいもの、ある?」
「……欲しいもの?」
ああ、誕生日か、とひとりごちて、新一は顎に手を当てふむ、と小首を傾げた。暫しの間何かを思案した後、どこか悪戯っぽい眼差しを伏せてふるふると首を横に振る。
「ないの?」
何にも?と重ねて問う快斗の声に更にふるふると首を振り、新一はじっと快斗を見つめた。
「ねえ。そだな、強いて言うなら……」
ことり、と新一の額が快斗の肩に落ちる。しなやかな腕がするりと伸びて、ぎゅっと快斗の背を抱き締める。
「コレ」
「……ソレは、元から新一のだよ?」
「でも、コレがいい」
当惑する快斗を面白がるように、新一はくすくすと笑って快斗を抱き締める。自分が欲しいと言って貰える事は嬉しいのだけれど、快斗は既に新一のものなのに、これ以上、なんて。
「……じゃあ、ずっと新一の傍に居て、新一の言う事聞けばいい?」
「別に、言う事聞いて貰わなくてもいーけど」
くすくすと、新一が笑う。
困った。困ったけど……どうしよう、嬉しい。
じわじわと沁み込む体温と想いに、快斗は泣きたくなるくらいの幸福を覚える。君が居てくれること、君が愛してくれること。すべて奇跡のような現実。
おそるおそる新一の背に伸ばした腕が拒まれないことに感謝しながら、快斗は新一が己を抱き締めるのと同じくらいの強さで、新一の背を抱き締めた。
……まあ、そうやって感激している快斗とは裏腹に。
『つってもなー……実際に俺が何か欲しいとか何かしたいとか言ったら「アレ」まみれな街中に出てかなきゃいけないって事、ちゃんとわかってんのかなコイツ……』
と、恋人思いなのかそうでないのか微妙なラインで、新一なりに快斗を心配していたりした。それは新一なりの精一杯の心遣いではあるのだが、多分快斗が知ったら泣くだろう。
正しく知らないことが良いことはあるものなのだ。
新一の誕生日は五月四日。その日に間に合うよう何かを用意しようと思えば、街中に氾濫する「アレ」を避けては通れない。
4日当日なら尚の事、本番に備えてそこかしこに「アレ」が飾りたてられていることだろう。
日本古来の行事、端午の節句。それに付随するのは五月人形と柏餅と、それより何より「アレ」……こいのぼりである。
ぴちぴちの鮮魚のみならず相当ディフォルメされたものまで怖いだなんて、黒羽快斗、相当に難儀な男である。
スーパーマーケットで何気なく通り掛った食品売り場のシーチキン缶にすら即座に真っ青になったことを知る新一である。
恐らく本人の次ぐらいには、彼が「アレ」をどれだけ苦手としているか知っている人間だと自負している。
特にこだわりのない行楽やらどうでもいい物品やらのために大切で大好きな恋人を苦しませるくらいなら、新一は他に何も要らないから、ただ彼さえ傍にいてくれればいいのだけれど。
『でもなー……コイツのことだから、俺がそーいうと逆に無茶すんだよなー……』
はてさて難攻不落の大怪盗をどうやって言い包めるべきか。
感激に強くなる一方の抱擁を受けながら、新一はぼんやりと己の誕生日に恋人を余すところ無く独占する為に、その明晰かつ狡猾な頭脳で以って策略を練り始めたのだった。
2008.06.11.
H O M E *