ぷらすまいなす ぜろ ばんがいへん
きみとぼくの休日事情。
[ くどうのひ すぺしゃる!再録 ]
ぽかぽか、ふわふわ、良い天気。
冬の寒さも和らいで、差し込む陽光も温もりを増す。植物も動物も活気を取り戻しつつある3月の午後は、無論人間だって相好を崩すくらいには居心地の良いものであるのだ。
だけど。
「……縁側に、猫二匹」
ぽつり、とやや低めの幼い少女の声。
呆れと冷静さを半々に、それは聞くものも少女以外にない部屋に響く。
此処は東都・米花町のある意味有名な家の一角。
つい先日までは『幽霊屋敷』の異名を欲しいままにしていた工藤邸。そのだだっぴろいリビングのドアノブに手をかけたまま、その隣家に住まう少女科学者・灰原哀はすう、と目を細めた。
目の前には、彼女の外見年齢の十は上であるところの隣家の現在の主、工藤新一と。
その恋人にして哀の同士、黒羽快斗がまるで日向の猫だんごの如き絡まり方で無防備に寝こけていた。
自分の腕を枕にしてやや背を丸めている快斗の腹の上に新一の頭、投げ出された新一の膝の上に快斗のもう片方の腕。
寝辛くはないのだろうか、と考えて、哀はふるふると頭を振った。
現状から鑑みるに、これは昼寝をしていた快斗の隣にこの探偵がいそいそと擦り寄った、と考える方が妥当だろうと気付いたからだ。
今更ばかっぷるがばかっぷるである理由を探したところで意味はない。精神衛生上よろしく無い事をわざわざ実行に移すほど、灰原哀・現在小学二年生は暇ではなかった。
にしても。
「ここのところよく寝るわね……二人とも。猫は一日の四分の三寝るっていうけど」
それでなくとも、哀にとってはこの人馴れしにくい猫二匹が哀が訪れても寝こけたまま、というのは少し複雑だ。
そこまで気を許してもらっているのは嬉しい。嬉しいがこんな微妙な光景を見せ付けられるのは少々居た堪れない。男二人が雑魚寝していたところでどうという事はないはずが、残念ながら異様に見目が良い二人の事、甘酸っぱい青春の一ページを見せ付けられたような気がするのは哀の被害妄想だろうか。
そう簡単に他人の前で狸寝入りでなく本気の爆睡なぞしない二人だからこそ、この光景を貴重だと思っていいのかそれとも盛大な惚気とみていいのか、哀はこめかみを押さえた。
ごそごそごそ、むくり。……ふあ。
「……ん、アレ?はいばら?」
こし、と目元を擦りながら、猫が一匹……もとい擬似双子の片割れが起き上がる。さらさらの髪に少し寝癖を付けた愛嬌のある様子で起き上がったのは隣家の探偵の方だった。
「……おはよう、工藤君。このまま起きなかったらどうしようと思っていたところよ」
「ぁよ、はいばら……ん、日当たり良くて、気持ちよかった……」
「随分居心地良さそうな枕だったものねえ?」
「まくら……?」
クエスチョンマークをくっ付けて、こきりと首を傾げた新一の脳細胞は未だに正常稼動には程遠かったらしい。数秒そうして固まった後に、自分の足の上に乗っかった黒羽の手のひらに気付き、ああ、と納得したように頷いた。
「朝メシ食ってから本読んでて、気付いたらコイツが窓際で寝てて、日当たりよくてぽかぽかのぬくぬくで、あんまり気持ち良さそーだったから、つい……」
「枕にしてたのね……」
うん、とこっくり頷く様子は異様に幼い。この稀有な魔法使い相手の時だけは問答無用で可愛くなる、それ以外では可愛いどころか魔王のような狡猾かつ傍若無人さを誇る探偵である。
人間であること自体が誤りなのではなかろうか、と哀は彼が江戸川コナンとして二度目の小学生をやっていた頃から時折思わないでもなかった。本人には絶対に言えない事だが。
はあ、と思わず溜息を落とした哀の脇で、それまでひたすら寝こけていたもう一匹がむくりと起き上がる気配がする。
「ふわぁ……アレ、哀ちゃん」
どしたの一体、と首を傾げるもう一匹の方は、どうやら目覚めは悪くないらしい。すぐさま通常回転へと頭脳を動かして、いつもと変わらない笑顔で哀へと微笑んだ。
「いらっしゃい。ごめんね、ちょっと昼寝してたよ」
お構いできなくて悪い、と苦笑する同士に、哀はいいえ、と微笑んでみせる。悪いのはいつも彼ではない、哀をひたすらに疲労させるのは、愛すべき隣人の方だ。
「別に大した用じゃないのよ、黒羽君。博士の友人の方から、たくさんおすそ分けを頂いたの。良かったら幾つか此処と黒羽君の家にどうかって聞きに来ただけで」
「……何を?」
相変わらず未だに正常稼動から程遠いらしい寝ぼけた新一の問いに、哀はきっぱりと単語を口にする。
「筍」
「たけのこォ!?」
素っ頓狂な声を上げたのは、哀の告げた名が己の予想範囲外だったらしい隣家の名探偵。声こそ上げなかったものの、その恋人たる大怪盗もぱちぱちと瞬きを繰り返しながら哀の言葉に小首を傾げ、続く説明を待っているようだった。
「ダンボール三箱分もあるのよね、老人と子供の二人暮らしには消費しきれない数なのよ。
……まあ、確かに竹林を持っていたら、春先にアレを収穫しないことには後が大変になるのも確かなんだけど」
筍というのは春を代表する食材ではあるが、そのまま順調に成長すれば竹となる。
けれども、この竹というのは想像以上に恐ろしいモノである。春の旬の食材、風物詩と言えば聞こえは良いし寺社仏閣に竹林は切っても切り離せないものだが、手入れは広葉樹の森よりもずっと切実な問題なのだ。
地下茎で繁殖するこの特異な植物は、他の針葉樹広葉樹を駆逐してわさわさと生い茂る恐ろしさと隣り合わせだ。
更にウッカリ手入れを怠って、床下にでも顔を出された日には、コンクリ基礎でもない限り床板ごと畳を突き破ってくる緑の悪魔である。
「毎年博士のところに来た分は博士とその友人たちで消費していたらしいのだけど、今年は送り先が減ったのか生育が順調すぎたのか、ちょっとシャレにならない量なのよね……」
ほう、と幼い外見に似合わぬ憂いを秘めて、哀は肩を竦める。
「まあ……そんなに量を食べられるものでもないし、ねえ」
苦笑混じりに貰うのはやぶさかではないけど、と告げる快斗は、既に身を起こして身支度を整えている。
無駄に雑学が豊富な怪盗である。どうやらお裾分け、の前にある通過儀礼を正しく理解したらしい。
「……じゃ、新一。俺ちょっと博士と哀ちゃん手伝いに、隣に行ってくっから」
いい子で留守番しててくれよ、とさらさらの前髪をかき分けて新一の額にキスを落とし、快斗は軽やかに体を起こす。衣擦れの音さえさせない動きは見事なもので、一瞬それに見惚れた新一だったが、快斗の言葉の不明な部分に気付かぬはずもなく、がばりとその腰に抱きついた。
「ちょ、待てよ快斗!なんでソコでオメーが博士ん家行って俺が留守番なんだよ!」
持って帰ってくるだけだろ、と唇を尖らせる新一は相変わらず可愛い。思わず相好を崩す快斗と、微妙に視線を斜めに過ぎらせる哀の二人を交互に眺め、何故かふんぞり返りながら新一は恋人の返答を待った。
「だって筍だよ?今届いたんなら直ぐ処理しないと」
「だからなんでそれで俺を置いて行くんだよ!一緒に行ったっていーじゃねーか別にっ」
「なんでって……」
流石に面と向かって『日常生活でさえ面倒な新一はああいう地道な作業は嫌いかと思った』などとは言えない快斗は困ったように視線を逸らす。
意思の伝わらない己の同士の困惑する様子と、相変わらず我侭放題な探偵の様子を交互に眺めていた哀は、ふと溜息を落とした。
「何、工藤君、貴方も来るの?」
「行ったら悪いのかよ」
「悪くはないけど、工藤君も手伝ってくれるのかしら?」
「何で俺がそんな事しなきゃならねーんだよ」
工藤新一。外では背中に飼った大量の猫ににゃーにゃー言わせている所為で気付かれにくいが、筋金入り我侭さんでもある。オマケにかなりの変人でもある彼が、それでも一般市民の皆様に受けが良いのはその顔と背中に数十匹飼っている猫のお陰だと、哀と快斗は確信している。
人間大切なのは外面なのかな、と考えたくなくても考えずにはいられないのはこんな時だ。
ふう、ともう一度溜息を落とし、少女は外見に似合わぬ大人びた表情で同じように困った顔の快斗をちらりと見る。
一瞬で、心情を共有するという事は稀有な事のはずだが、哀と快斗にとっては別段珍しいことではない。自分たちとて一般的常識とは手を切って久しい事は自覚していたが、この目の前の探偵の非常識加減はそんな二人の許容量すら軽く上回ってくれるからだ。
哀は静かに部屋の中を移動し、リビングのテーブルの上に置いたままになっていた新一の読みかけのハードカバー本をそっと両手で持ち上げた。
「本当に……貴方って人は」
ぱっ。ばさっ。ごすっ。
「いってェ!!」
見事に名探偵の後頭部を直撃したハードカバー本はばさりと床に落ち、痛恨の一撃を食らった新一はラグの上を転がりまわる。
流石にちょっぴり気の毒になったのか、痛がる新一の後頭部を撫でてやる。とはいえ、哀の気持ちもわからないでもない
「哀ちゃんその高さは、ちょっと流石にやりすぎ……」
「このくらいしないと懲りないのよ、この探偵さんは」
特に貴方絡みだと、とは賢明な哀は口にはしなかった。人間言わない方がイイ事があるのだと、哀は骨身に沁みて知っていたからだ。
うーうー唸りながら快斗に頭を撫でられている隣人の探偵を一瞥し、哀は小さな子供に言い聞かせるように言葉を選んだ。
「単に筍茹でてアク抜きするだけよ?何も一日中貴方の恋人を拘束しようってワケでもないのよ、工藤君?」
まあ、量が量だけに結果的には一日仕事になるだろうとは、やはり賢明な哀は口にしなかったし、快斗もわざわざ言及することはなかったが。
むっすりと不機嫌そうに黙ったまま、けれども新一の指は快斗のセーターの端を掴んだまま離れようとはしない。
その様子が可愛いやら困惑するやらで、快斗は思わず言葉に詰まる。なんとかこの我侭放題で俺様気質の恋人の機嫌を損ねずに隣家の手伝いに行く方法は、と考えたところで、そっと己のセーターを掴む新一の手を握った。
「……新一」
「うえ?」
唐突に手を取られ、じっと真剣な眼差しを向けられて、新一は面食らったように恋人の顔を見返す。笑い事では済まされない雰囲気に『しまった、俺またやらかした……?』と不吉な予感に冷や汗を垂らした新一だったが、その後続いた言葉は色んな意味で予想外だった。
「新一、これは新一の為でもあるんだよ?」
「はあ!?」
ぎゅっ、と両手で新一の手を取り、熱っぽく語る快斗。今までのパターンに嵌らない恋人の言動に、動揺のあまりもはや日常的に背中に張り付かせている猫を取り落とした新一は、縋るものを求めるようにして視線を右往左往させるが。
「どこ見てるの?ちゃんとこっち見てよ」
ぐいっ、と頬を両側から包み込まれ、ほぼ強制的にひどく近くから真摯な夜色の眼差しを見ることになる。誰より何より愛している、大切な大切な恋人にそんな事をされれば、いくら慣れたとは言っても新一も平静ではいられない。
以前のように真っ赤になって沈没することはほぼ無くなったが、慌てるのも恥ずかしいのも事実だ。
おそるおそる快斗の顔を見返し、新一はそろりとその頬に手をやった。相変わらず男にしては柔らかくて、なめらかだ。
する、と撫でると猫のように首を竦め、快斗はふわりと笑って新一に言い聞かせるように言葉を告げる。
「今日中に処理は終わらせるからさ、明日は筍づくしでお弁当作ってお花見に行こう?」
新一、受験が終わっても忙しそうだったから。たまには東都から離れてゆっくりするのもいいんじゃない?
「……う、うん……」
間近で恋人に柔らかな笑みを向けられ、新一としては頷く事しか出来ない。かああ、ととうとう顔を赤くしてぼうっと快斗の顔を見つめるしかない新一の様子に、快斗は『勝った……!』と思ったし、哀は『……このバカップルが……』と斜め下を向いた。
所詮非常識な二人が揃ったら、濃縮されて余計に非常識になることなどわかりきっていたことだ。自身も決して常識人ではないはずの己がツッコミ役に回らざるを得ないのは、間違いなくこの隣に住む世間的には名探偵と呼ばれる生活不能者の所為だと確信する哀は、絶対零度の眼差しも冷ややかにそっと床に落ちたハードカバーに再び手を伸ばした。
「……哀ちゃん、かわいそーだから二回目はやめといて」
が、流石に恋人が大切で仕方ない男にはバレバレだったらしい。ちっ、と舌打ちすると、怯えた表情で此方を見る隣人と目が合った。
「……命拾いしたわね、工藤君」
「なんでそんなに好戦的なんだよオメーはっ!」
「ムカつくからに決まっているでしょう」
「断言かよ!!」
さらりとコワい事を言う少女科学者は無論のこと。
殆ど泣きそうになりながら叫ぶ新一を抱きしめたままにこにこしている彼の恋人もかなりの大物だった。
「あ、哀ちゃん。教育的指導までは禁止してないから」
「ってオメーも止めろよ快斗っ!!」
更にあっさりと恋人に今後の哀の行動を肯定された新一は、ちょっぴりどころかかなり泣きそうだ。それでも掴んだままのセーターを話さないのは寧ろ天晴れではあったが。
「ね?俺、ちょっとお隣行ってもいいよね?」
重ねられた快斗の『お願い』に逆らえるはずもなく。
泣く泣く新一は、恋人の手を離したのだった。
ふわり、ぽかぽか、良い天気。
きっと明日も晴れるから、お弁当持ってお花見しようね。
そう告げて笑った恋人に免じて、新一は一人が寂しいソファの上でころりと横になる。
「早く戻って来いよな、バ怪盗……」
最初は傍に居られるだけでいいと思っていた筈。恋人になりたい、なんて無茶な願いだと思っていた時期だってあった。
それが、今はどんどん願い事が多くなる。欲張りになって、我侭を言って。どんどん相手の事が好きになる。
「……ばか」
いつでもどきどきしているから、オマエにだってどきどきして欲しい。
俺一人じゃなくて、オマエとする恋愛がしたいんだ。
決して言えない我侭を飲み込んで、不貞腐れたようにクッションを抱きしめる。
明日は晴れるといいな、と、ほんの少し嬉しい気持ちを噛み締めながらとろりと押し寄せる眠気に逆らう事無く新一はそっと目を閉じたのだった。
2008.06.11.
H O M E *