「紺碧の棺」ネタバレ小噺
海の思い出
午後の昼下がり、今日も今日とて蘭には『阿笠博士のところに遊びに行って来る〜』といたいけな小学生の演技で抜け出してきた。
その実は、今は普通に帰ることさえ叶わない自宅の書斎に閉じ篭って思う存分読書三昧。灰原が呆れたような眼差しで肩を竦めていたが構うものか。大体家にさえ帰れば専門書だろうと読み放題の自分と俺の状況を比べる事自体が間違っているだろう。
…まあ、面と向かってそれを言う勇気というか蛮勇は俺にはない。呆れるまでで済めば良し、アイツを本気で怒らせるような真似は俺には恐ろしくて出来そうもない。
兎も角、この俺…江戸川コナンこと工藤新一は、久々の至福の時間をそうして自堕落に過ごしていたわけだが。
そういった時間ほど破られやすいのだとは、誰が言った言葉だったか。
本来の主とされている者は悉く留守である工藤邸、そんな屋敷を尋ねてくるのはモノ知らずのセールスマンか、宗教勧誘か、そして尤も最悪な場合で、空き巣か。
唐突にばたん!、と盛大な音を立てて開け放たれた書斎の窓に、俺は思わず目を見開き、
「…なんだ、オメーか」
次いで、呆れとやり場の無い苛立ちを以って侵入者へと視線を向けた。
泥棒であることは間違いないのだが、とりあえず最悪の予想は外れていたらしい。あまり認めたくは無いが知らない仲でもなかったので、危害はないだろうとそいつに向けていた視線を、再び読みかけの本へと落とす。
「ヒドイ!ヒドイよめーたんてー!無視すんなっつの!!」
「…あーうるせーうるせー。窓から入り込むような非常識な家宅侵入者に俺がどうして相手をしてやらなきゃならねーんだよ」
「だって玄関から入ったら名探偵が困ると思って!」
「…そもそも入ろうとすんなっつってんだろこの馬鹿!!」
ぎゃーぎゃーと叫ぶ男…年の頃は十代後半、恐らくは俺の本来の姿と同程度なのだろう。そして、その容姿すら皮肉のように似通ったこの男の正体は。
「このKID様が名探偵の心配してんのに、そんな言い方ねーじゃんかよ〜」
恐ろしい事に、神出鬼没の大怪盗、KID…で、あるらしい。認めたくないのは山々だが、諸所の事情により真実だと確信することが出来る己の推理癖が厭わしいと思うのは、恐らく希少なことだろう。
兎も角、この男は間違いなく『あの』怪盗KIDであり、何をトチ狂ったのか、事件など何も起こってはいない日常で、もう何度もこうして俺の前に姿を見せている。
最初は何かを企んでいるに違いないと思っていたが、どうやらお節介でお人よしで、頭はキレるがどうしようもなくアホなだけだと、そう短くない付き合いの中で理解せざるを得なかった。
得なかったが、心底から納得しているわけでは、無論ない。
「……。」
ぎろり、とメガネのレンズを介さないそのままの眼差しで再び侵入者を見つめる。どうせまたろくでもない用件なのはわかりきっていたが、それでも聞かねばきっとこの馬鹿は立ち去りはしないだろう。
溜息をひとつ落とし、俺は引き攣りそうになる唇を必死で堪えて、ことりと首を傾げて問いかける。
「…で?何しに来たんだよバ怪盗」
「バカって言うなこの天才マジシャンに向かって!そうだよめーたんてーヒドイよ!俺除け者にして旅行なんて!!」
せめて事前に知らせてくれてもいーじゃん、去年の映画はあんなに俺頑張ったでしょ!と意味不明のことを叫ぶ男に、俺は今度こそ呆れと軽蔑をふんだんに盛り込んだ冷たい視線を向ける。いったい何を言い出すかと思えば。
「…バカにバカって言って何が悪ィんだよ、バ怪盗。つーかテメーの範疇外だろ、今回はよ」
「だって!だって名探偵ったら俺には一言も言ってくんなかったのにお子様たちだの蘭ちゃんたちだのとは一緒に行くんだもん!ひでーじゃんかよ!」
「…あのな」
拗ねている。どうやらコレは相当に拗ねている。
が、しかし。俺がコイツに行き先を知らせる、若しくは誘う必然性は無論皆無である。可能性にしても皆無だろう。
いったい何を言い出すのかと思ったら、ろくでもないにも程がある文句の内容に、思わず額を押さえた俺はきっと悪くない。
「また危険な目に合ったんだろ名探偵!俺だったら名探偵一人であんな海底洞窟行かせたりしなかったぜ!」
「それ以前の問題だろうと思う俺は間違っているのか…?」
心配なんだもん、と理由にならないことを叫ぶ男は、どうやら至極本気であるらしい。これはどこまで行っても意思が通う事はないだろうことが容易に想像がついた俺は、諦めて書斎のテーブルの上に置きっぱなしになっていた携帯から、ストラップをひとつ外した。
「…手ェ出せ、バ怪盗」
「だからバカじゃないっての!…え?何?」
必死で言い返そうとしたところに予想外の言葉を向けられて驚いたのか、きょとん、とした無防備な眼差しで怪盗は俺を見下ろした。そうすると少し幼く見えるのだと、どうでもいい知識をまたひとつ増やしながら、俺は気負い無く差し出された手のひらの上に、外したばかりのストラップをぽとりと落とす。
「あの島で買ったヤツだよ。…まあ、オメーのわけのわからん主張によるところの俺の『ひでー行い』とやらの償いにはならねーかも知れないけど」
やる、と短く呟くと、ぼうっとした瞳が俺を見る。
反射的にぎゅっと手のひらの中のストラップを握り締め、疑問に思う間もなくその相好がへにゃりと崩れた。
「え、えへへ…名探偵の、お土産」
「…あー……」
至上の幸福を手に入れたような顔に、僅かに面ばゆさを覚えて俺は視線を思わず逸らした。
KIDは大事そうにそれをそっと目の高さへと持ち上げ、ゆっくりと指を解いて。
「……っ!!!?!」
「…KID?」
何故か、硬直した。
「え?お、おいKID?どーしたんだよオメー」
慌てて問いかけるも、返事はない。ひくっ、と喉元が動くさまをなんとなく観察したその次の瞬間。
「わ、わー!?KIDっ!」
ばったり、とKIDは綺麗に後ろへと倒れ付した。慌てて覗き込んだ顔は、白目が剥いていて。
「な、何?!何が原因なんだよオメー!起きろよ〜っ」
ゆさゆさと揺さぶる俺の慌てた様子を嘲笑うかのように、KIDの右手からころり、とストラップが落ちる。
動揺する俺と気絶したKIDの傍らで、無駄にリアルな熱帯魚型立体ストラップの無機質な目が、嘲笑うように天井を向いていた。
2008.06.13.
H O M E *