Nightmare Clocks


注)この話は一部女体化な設定です。苦手な方は全力で回れ右して下さい


 人間、その場のイキオイとテンションだけで突っ走るとロクな事にはならない。
 そんな事は十二分に承知していたし、どんなに感情論を語ろうとも結局のところ頼りになるのは冷静な判断力と積み重ねた知識、そしてそれらを統括する強固たる意思。
 そうだ、そんな事は分かりきっていたというのに。

「……なんで、こんな事に」

 したたかに打ち付けた後頭部がずきずきと痛む。
 ぎゅうぎゅうと無理矢理押さえつけられている手首はひょっとしたら痣になっているかも知れないし、コンクリートに擦り付けられたスーツがどうなっているかなんて余計に考えたくない。
 大抵の相手ならば跳ね除ける事は可能だが、どうしてだかこの、ほぼ同程度の体格の男一人を跳ね除ける事はできない。
 成長途中の少年の身体は、特に筋肉質でもなくむしろ細身で骨張っている。寧ろもう少し肉を、と言われるのはきっとお互い様なんだろう。……ああ、話が逸れた。
 とにかく、相当に巧妙に俺の手足を拘束してべったりとコンクリートの地面に押さえつけている相手は、やけに楽しそうににへにへと笑っている。こう言うとまるでエロ親父のようだが、実際は子供がお菓子やおもちゃを目の前にしたような……或いは子猫だの子犬だのを目の前にした女の子のような、どこか無邪気な笑顔ではある。
 しかし、その行動はどこまでもえげつない。
 自分は何時もどおりだった筈だ。そして、その何時もどおりだという事に対する油断もなかった筈だ。裏表が分かりやすいと踏んでいたこの男にしてやられたのは少し業腹だが、ほんの少しであれ自分の予測を上回ったということなのだろう。それは寧ろ賞賛に値するというべきなのか。
『違う違う、問題はそんなところにあるんじゃない!そんな事じゃなくて……っ』
 今まで、危機はいくらでもあった。
 それこそ弾丸がこめかみを掠めたことも、ナイフが頚動脈を掠めたこともあった。けれどそんなものとは比べ物にならないほどの危機が今此処にあり、しかもそこから逃げ出すことは今までの何よりも困難だ。

 何せ、現在狙われているのは己の命などではなく。

「そろそろ覚悟決めろよ、KID」
「いーやーでーすっ!ていうか早くどいて下さいよ名探偵!」
「やだ」

 ……己の貞操、だったりした。

 何時も通りのお仕事帰り、中継地点だったビルの屋上でふう、と一息ついたそれが油断だというのならば甘んじて受けよう。しかし。
 誰が、それまで好敵手として散々にやりあってきた相手にいきなり押し倒されそういう意味で求められると思うだろうか。
 それでなくとも凶器であるその黄金の右足で前触れさえなく蹴倒された己の上にがっしと乗っかって見事な手際で手足を極めて、もはや指先程度しか動かせない。
 このままでは本気で食われてしまう、とポーカーフェイスも崩れ気味に青くなりながら、怪盗KIDはこくりと息を呑む。にこにこととろけたような笑顔を浮かべる目の前の名探偵が今は何よりも恐ろしい。
 こないだまでちびっこやってたくせに、大きくなったらもう魔王ですか、そうですか。
 ちびっこ探偵だって恐ろしかったのに、それが大きくなって方向性を違えただけでこんなにも恐怖を覚えるとは思っていなかったKIDである。ポーカーフェイスの教えなんかもう崩れ落ちんばかりとなっている己を、草葉の陰から父親は笑うだろうか、嘆くだろうか。
 いやいやそんなこともどうでもよくて。
「……そ、その、名探偵?」
「なんだよ、KID」
 蒼い双眸に冷ややかな、狙う者の光を秘めて見下ろす探偵の顔は相変わらず楽しそうだが、己の反抗的態度が少し気に食わなかったらしい。ぶすっとむくれた表情を作り、手首を戒めた指先に力が篭もる。いてーってマジで!
「何がしたいんですか、アナタ」
「何って……」
 聞きたくないけれども聞いてしまったその一言を、俺は速攻で後悔した。
 にっこりと母親譲りの綺麗な顔で微笑みながら、けれど告げられた言葉は想定の範囲外にもほどがある。
「えー、今更聞くのも野暮じゃね?」
「いえいえいえ、意思の疎通がどうにも出来ていないような気がしないでもないので、是非ともきちんと言って頂けるとありがたいなー、なんて」
「そおかー?」
 にへら、と好物を目の前にした子供のような笑顔を零して、ことりと小首を傾げて彼は言う。
 ああ本当に、後悔というのは先には立っていてくれないものなのだろう。
「じゃ、結論。オマエ俺のモンになれ」

 ……やっぱりか!?
 やっぱり貞操を狙われていると思ったのは正しかったのか!

 本日、怪盗KIDの中の人、黒羽快斗は誕生日であった。
 学校ではそれなりに祝ってもらい、欲しいものはと聞かれたので可愛い彼女かな〜、なんて笑っていた半日前である。
 それが此処まで覆されようとは、いったい誰が予測できようか。
 何故己の誕生日にこんなヒドイ仕打ちを受けねばならないのだろうかと遠い目をしながら、KIDは目の前にある名探偵の顔を睨み付ける。というか、それくらいしかできる抵抗がない。
 聞きたくない、コレを聞いたら後戻りができないと思いながらも、問わなくては先に進めない問いはてんこ盛りで、ぐっと奥歯を噛み締めて覚悟を決める。
「ぐ、ぐぐ、具体的にはどういった…?」
「んー、そーだな」
 その問いに少し意識は逸らしたようだが、変わらずに手足を戒める力は緩む様子もない。ああこれはとうとう未知の領域へのご招待かと内心号泣していたKIDの鼓膜に、これまた想定外の言葉が響く。
「端的に言えばアレか、俺の婿になれ?んん、違う、俺を嫁にしろ?」
「は?」
 その瞬間、無駄に出来の良い脳内に構築されていた黒羽快斗君陵辱の図は木っ端微塵に砕け散り、また別の形容しがたい構図が浮かび上がる。
 即ち、この目の前の不敵な名探偵のウェディングドレス姿である。
 一瞬気が遠くなった自分はきっと悪くない。悪くないはずだ……!あ、でも意外と違和感はないかも知れない……って違う!
「そそそ、その、名探偵?男の子はお嫁さんにはなれないと思うのですが……?」
「……チクショウ、テメーもか」
 何気なく告げた言葉に、ゆらり、と名探偵の背後に浮かぶ黒い影の幻影。
 ひくり、と喉が鳴るのを押さえる事も出来ず、それまで手首を戒めていた指が外れる。
 チャンスといえばチャンスだったのだが、呆然としていたKIDには名探偵を押しのけて逃走する、という選択肢が失われており、逆にするりと伸びた名探偵の手は、KIDの肩を掴んでがっくんがっくんをかなり乱暴に揺さぶった。
「テメーもか、テメーもなのか!?そんなに俺は性別詐称疑惑物件なのかよっ!?」
「ちょ、ちょちょっと待ってめいたんて…!!」
 がくがく揺さぶられているという事は、それまで押し付けられていたコンクリートに問答無用で頭を打ち付けられているという事に他ならない。痛みと振動で気が遠くなりそうな無限運動を、ようやく痺れが取れ始めた手で名探偵の手首を押さえることで無理矢理止めて。
「ええと、整理するところの……名探偵?」
「む」
 不満げに寄った眉根と、泣き出しそうに強張った表情。
 何で理不尽なことをされているのはこっちなのに、こっちの方が悪い気がしてくるんだと不条理を覚えながら、それでも一瞬罪悪感が過ぎる。

 この、予想が正しいのならば、尚更に。

「ええと……その、名探偵は、私のお嫁さんになりたいのですか?」
「……うん」
 こっくり、と頷く様子は幼子のそれにも似て、酷くあどけない。
 ぽう、と少し赤らんだ頬に、予想が形になりつつあることを悟った。……あまり、諸手を挙げて歓迎したい状況ではないが貞操の危機よりはマシであろう。
「その……残念ながら、私はまだ日本の民法上は未成年ですし、名探偵もそうでしょう?」
「まーな。……てか、俺にそんな事バラしていーのか?」
「今更です。ですから、ここは」
 すい、とようやく痺れも取れて空いた右手で白い頬を撫でる。僅かに紅潮したそれをばっ、と押さえる白い手首。
 ああ、参った。
 もう認めるしかない。予想はもはや現実であり、逃れるにしても方法を選ばなくてはならなくなったという事実を。
「……とりあえず、お付き合いというものから始めてみるのは如何かと」
 きょとん、と青い双眸が大きく見開かれる。
 ついで、ふにゃりととろけるような笑みを零した名探偵を、ほんの少しだけ。

 そう、ほんの少しだけ、可愛いと思ったなんて、そんなこと。


 名探偵の腕と俺の内ポケットの中で時計の針がかちりと動き、本日の終了を告げている。
 そして、俺は。

 背に月光を背負って、これ以上ないくらいに頬を真っ赤に染めた名探偵の白い手を握って、そっとその指先に口付けた。


 今年の誕生日。
 なんだか、棚から牡丹餅的に欲しいものは手に入ったみたいです。




2007.12.12.
H O M E *