19.街灯
静かに重ねる夜の方が、騒がしい昼よりも好きだと感じるようになったのは何時頃からか。
ほんの少し前までは心地よくこの心に響いていたはずの賞賛の声すら煩わしく思えるのはどうしてなのか。
ぼんやりとひかるまろい月の光の下、無人の公園を横切る己の長い影を見つめて探偵は唇を噛む。
投げつけられる無知な賞賛は今は無痛の暴力にも似て、鉄壁の鎧で覆われたはずの探偵の内面をさくりと傷つける。華美に過ぎる礼賛も詰る罵倒の言葉も、誰にも言えない嘘を抱えた探偵を傷つけるという意味では同等のものに成り果てている。
こんな痛みは忘れて久しいのに。
この程度の傷を負う事には慣れたはずなのに。
血の色を知っている。流れたそれに対比する痛みを識っている。
こころのそれが癒え難い事も、誰より何より知っていたはずだった。
けれど、それを自らの業によって暴き立てる探偵には痛みを訴える資格はない。ない、と。思っていたのに。
名を呼ぶ声。
探偵の日常では誰もその名では呼ばない、彼だけが呼ぶその響きで以って己を呼ぶ声。
賞賛の声としてではなく、ただ彼の中で事実であるのだと確信して呼ばわるその響きこそが癒しだった。彼にその意図がなくとも癒されていた。
背中合わせに立った彼の手を、取れなかった過去は変わらないけれど。
「…―――――」
呟いてみたその名前はあまりに簡単に夜に溶けて、彼の守護である月光だけが落ちかかる。街灯の光があさっての方向に伸ばす影の暗さに唇を噛んで、じっと微かに血の匂いを纏わせた己の手のひらを見つめた。
あの時よりもずっと大きな、けれど今まさに無力な手。
救う事を望んでも、零れ落ちるものの方がずっと多い手。
そして、救うことよりも傷つけることの方が多い無為の手だ。
「そっか…俺は多分、たぶん」
後悔しているんだ、と自覚した探偵の頬を零れ落ちるのはぬるい雫。
ポケットの中に入った白いカードの存在をそのままに、探偵は夜の公園で泣き続けた。止まらなかった。止めようとも思わなかった。
二度目の小学生時代にも感じた事のなかった絶対の無力感に全身を浸しながら、泣く事しかできない己を嫌悪することすら忘れた。
「ごめん…なさ…っ…!」
血の匂い。彼の匂い。
見かけだけは綺麗なそれは二度と彼を追う資格を失ったのだと責めるようで、どうしようもなく探偵の後悔を、罪悪感を煽り続ける。
淡い月の光を背中に負って、探偵は静かに顔を伏せる。
ぽたりと落ちた涙の染みを、深い深い夜の影が隠してくれることを期待しながら。
2004.12.25.
H O M E *