17.ガラス越し
世界を、遠く感じる一瞬がある。
目の前の、度の入っていないレンズのガラス一枚を隔てたそれの現実感が消失する感覚。備えているべきものより小さな手足と低くなってしまった視点は、かつて体験したそれとは違う感覚を、あの頃よりは積み重ねた年月によって感じ取る。
だからこそ、この世界が、遠い。
頬の横をすり抜けるビル風が、冷たく体温を奪ってゆくのさえどうでも良くて、江戸川コナンと名乗る少年は前髪を乱す強風の中、ビルの谷間から空を見上げた。
月。
鮮やかなまでの満月。
東都の空には滲むようなそれも、もう少し空気が綺麗な場所で見ればきっと圧倒的なまでの光量と、どこまでも追い詰めるような強さを垣間見ることが出来るだろう。
それはまるで、時折交差するあの怪盗そのもののようで、コナンは思わず唇を舐めて笑みを刻む。
楽しい。わくわくする。どこまでもどこまでも、ただひたすらに走っている爽快感。
犯罪に関わっているはずなのに、それを感じさせないゲームのような彼との対峙。小さなコドモであるはずの自分に目線を合わせる為に屈むでなく、幼いコドモと侮るでなく、そのままで己と相手が対等だろうと問いかける片眼鏡越しの澄んだ眼差し。
そんな時、遠いはずの世界は僅かに現実味を帯びて己の傍に寄り添う。
理由を考えた事はない。
彼も自分も、全く別のものを追いかけて、時折それが交差するだけだと知っている。
難解な暗号も奇天烈な格好も、正しく自分のやる事と表裏一体。
安全な領域で答えを待つなんて似合わない、求めるものがあるならこの手でこの足でこの頭で、追い求める力はきっとある筈。
だからこそ、あの気障な泥棒は『江戸川コナン』の特別足り得た。
コナンのポケットに突っ込まれたままの予告状のコピーは、自負する頭脳で完璧に解き明かしている。展示場からの逃走経路にこの場所が入っていない筈は無い、と万全を期して問いかける理性に言い聞かせ、ガラス越しの視界で夜空を睨みつけた。
あと15分。
かたん、と非常階段に足を掛けた自分の頬が緩んでいる事を、もはやコナンは疑う事もなかった。
ガラス越しの世界は、今夜も綺麗に色付いている。
2005.05.05.
H O M E *