12. 膝
困っていた。
月下の奇術師、確保不能・正体不明の大怪盗。
数々の二つ名を持ち、警察・マスコミ・大衆、その全てを手玉に取る怪盗KIDともあろう者が、今、心底困っていた。
ポーカーフェイスはかろうじて張り付いてはいるものの、いつ剥がれ落ちてもおかしくない有様。
どきどきばくばくいう心臓を必死で宥め、震える声で怪盗は呟いた。
「あのー…名探偵?」
「なんだ」
打てば響くような不遜な声色で、答えるのは希代の名探偵。迷宮知らずの高校生探偵・工藤新一は、日本警察の救世主とも呼ばれる頭脳と手腕を以って怪盗を追い詰める唯一無二の存在である。
そして、今日もまた一人予告状に記された中継地点…人気のないビジネス街に乱立するビルの屋上に、挑戦的な笑みと共にこの探偵は立っていた。
そんな危険で魅力的な逢瀬を何度繰り広げたか怪盗も探偵も覚えてはいないが、確かな事はそうして追いかけ逃げる関係を双方共に気に入っているという事だ。
探偵の唇に浮かぶのは、少し皮肉めいた、けれども楽しさをにじませた微笑であったし、怪盗の押さえ切れない弾むような声色は、いつでも交わす会話が楽しかったから。
しかし。しかし今夜は少し様相が異なっていたわけで。
動揺を露にした怪盗は、ほとほと困った様子で視線を彷徨わせ、意を決したように唇を開いた。
「名探偵…どうして我々はこんな事になってるんでしょーか…?」
「俺がしたいから」
さっくり。
物凄くすっぱりさっぱりと告げられた言葉は、簡潔過ぎてこの外側だけは麗しい、その実激しく俺様な探偵の自己中心的加減をよくよく知らしめる。
なんとなーく、温もりが伝わる膝の上。
衣服越しとはいえ、ちょっとアレな場所に感じる柔らかい頬の感触。
何より、そのご満悦、と顔中に書いたような喜色満面な表情。
「…なんで私に膝枕なんてさせたいんですか、アナタ…」
そう、只今名探偵・工藤新一は。
屋上の金属ドアを背にして座り込んだ怪盗KIDの白いスラックスを枕に、そりゃあもう楽しげにある意味レアな膝枕を堪能中だった。
時々、悪戯な手のひらがさわさわと太腿辺りをさするのも止めて欲しい。ぞわぞわと、不快感ではない感触が背筋を這い回るのを必死の事で留めているKIDはそう願った。
けれども、何せ相手はこの名探偵である。無論、怪盗の些細なオネガイなんぞ察してくれるはずもなく。
相変わらずご満悦な表情で怪盗の膝枕を満喫している、らしい。
「…楽しいですか?」
「おう、楽しいぞ」
「…オトコの膝枕なんて、固いばっかりでしょうに」
「そーか?スーツの生地がさらさらしててあったかいから結構イイ感じ〜」
にへら〜、とそりゃあ可愛らしく笑う探偵に、思わず赤面しそうになって慌てて表情を取り繕う。
駄目だ、なんつーかいろんな意味でこの体勢とこの探偵は危険すぎる。
さりとて振り落としてはいさようなら、する暴挙に出るわけにもいかず、困惑しつつも怪盗は膝枕を続けざるを得ないのだが。
思い返せば十数分前。
探偵は何時に無く何かを企んだような、けれどもそりゃあ凶悪なほど可愛らしい笑顔で小首を傾げてKIDの名を呼んだ。
『なあ…俺さあ、オマエにひとつオネガイがあるんだよな』
『さて、この泥棒めに名探偵がお願い事とは…』
如何なるご用件で、と続けようとしたKIDの言葉は、けれども発する事が叶わなかった。
名探偵のそのすらりとしなやかで綺麗ではあるものの、決してぽやんと見惚れてはいけない凶器である黄金の右足がひらめいて、そういう意味では油断しまくっていたKIDの足を掬ったからである。
『ッ…!!!』
さりとて、怪盗とて伊達に月下の奇術師、確保不能の怪盗紳士を名乗っているわけではない。ぐっとワンステップで踏み止まり、背にしていた屋上から室内へと通じる鋼鉄製のドアを支えに立ち上がろうとしたのだが。
ぎゅむー。
抱きつかれた。思いっきり。
しかも腹と言うか腰というか…ちょっとアレな場所に。
『…っ!!???!』
そんでもって、流石の怪盗も名探偵の暴挙に思いっきり錯乱した。
驚愕と動揺に砕けた膝はかくりと折れて、ずるずると打ち放したコンクリートの上に座り込む事になり。
下腹の辺りに抱きついたままだった名探偵は、ウキウキと崩れた膝の上にぽすりと頭を乗せて制服が汚れるのも構わずころりと横になって。
現在に至るまで、怪盗は至極混乱中、探偵はすこぶるご機嫌というわけだ。
何かが間違っている。いや何が、と言われたら全部な気がしてくるが。
とりあえず、この探偵がご満悦な表情で膝に懐いているのを可愛いなあと思ってしまう自分が一番間違っているような気がする。
ついでに、怪盗なんぞの膝に懐いてごろごろと喉を鳴らさんばかりの勢いな探偵も十二分に間違っていそうな気がするけれど。
はあ、と溜息ひとつ。
どうにもこうにも動きそうにない現状に、怪盗はさらりと艶やかな探偵の前髪を撫でて問い掛ける。
「…冷たく、ありませんか?」
「…へーき」
嘘ばっかり。
コンクリートの接地面は、熱い寒いに慣れた怪盗からも容赦なく体温を奪って冷たさを感じるほどだというのに。
どちらも苦手な探偵に我慢できるようなものでは、到底ないのに。やせ我慢も甚だしいこの台詞。
くすり、と思わず苦笑をひとつ漏らして、怪盗は己の膝で転がっている探偵の耳元に、ぽそりと囁いた。
「私の膝がお気に入りでしたら…逃げたりしませんよ?」
「…マジ?」
がばり、と起き上がった探偵の眼はきらきらしていて、やっぱり可愛い。
とはいえ、隙を突いて逃げられたらかなわんとばかりにしっかりと膝に置かれた手のひらがまた用意周到で名探偵らしい。
じゃあ俺んち来い、というどこからどう繋がるのかわからない探偵の我が儘ににっこりと笑って肯定を示して。
なんだか良く分からない理屈で、なんだか良く分からないまま怪盗は探偵の枕としてお持ち帰りされたのだった。
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「…てか、マジでお気に入りだったんだねえ…」
苦笑交じりに呟いた独り言の落ちる先には、くかくかと気持ち良さそうに眠る名探偵。あの日の白い衣装ではなく、普通の洗いざらしのジーンズとスウェットパーカー姿の怪盗KIDこと黒羽快斗はくすくすと笑みを零す。
怪盗を枕代わりにして、あまつさえそれを自宅に持ち帰った名探偵・工藤新一であるが。
その後なんだかんだとイキオイのままに二人して謎のテンションで突っ走り、なんだか満足そーな名探偵を怪盗が逆に美味しく頂いたのは数ヶ月前。
紆余曲折を経て、黒羽快斗が工藤邸に入り浸るのももはや日常茶飯事。
そして、相変わらず工藤新一は膝枕がお気に入りのようで、快斗がソファに座っているといそいそとにじり寄ってぽふりと頭を預けてくる。
まあその後の展開が大方の予想通りむにゃむにゃでごにょごにょなのは、お約束、と言う事で。
自分の手の中に予想外に転がり込んできた恋人(もっとも名探偵に言わせれば『俺が苦労して捕まえたんだからテメーは俺のモン』らしーのだが)の寝顔を堪能しながら、くすくすと泡が弾けるような小さな笑みを快斗は零した。
シアワセそーに自分の膝の上で眠る名探偵の髪を梳きながら、怪盗はそっと秀麗な額に唇を落とした。