07.悪酔い



 どうして出会ってしまったんだろう。


 ぼんやりと、月明かりを見上げている背中を見る。
 その描き出す輪郭はしなやかで均整の取れた、美しいとさえ表現できるものなのに、そこかしこに走る傷跡がそれを裏切って這い回る。
 それは、彼が表で負ったものであったり、またはもうひとつの名に与えられたものであったり。そうでなくても、先ほど新一が立てたばかりの爪痕が殊更鮮やかに朱線を描く。
 ゆらり、と薄く空気を色付ける煙草の香り。ささやかに開けられた窓からの空気の流れに乗って、やや苦味の強いそれは新一の下へと届いた。

 きしり、とベッドが軋む音が静か過ぎる部屋に響く。

 がんがんと痛む頭と、指一本動かすのも億劫なほどだるい身体。ベッドが軋んだ時と同じ音が出るのではないかと思えるほど、腕も足も何処もかしこも軋んでいた。
無茶苦茶だ、と最中も何度も思った言葉が脳裏を過ぎる。本来先に交わすべき愛情とか欲望とか憎悪ですら存在していない、自分たちの間にあるのはただワクワクするような高揚と好奇心と拮抗する実力だけだったはずだ。
 それはとても似ていて、同時に非なるもので。だからこそ自分とこの怪盗は別のものでありひどくよく似ていた。
 躊躇うように喉を震わせかけた声を飲み込んで、新一はじっと月を見上げる背中を見る。
 強く脆くちっぽけで大きな、矛盾だけを孕んだ背中。
 その負った傷のひとつひとつは癒えても、その奥に癒えない傷痕を抱え込んだまま疾走する夜のイキモノ。
 そんなものを静かにまじまじと眺める自分は、きっとまだ酔っている。
 サイドボードに置かれたままの、中身が半分残った酒瓶。これ以外にもリビングには、空いた缶だの瓶だのがごろごろしていてこの後の片づけを思うと思うと億劫な気分が滲んでくるのが自覚できた。

 それなのに。
 どうして、重ねてしまったんだろう?

「…名探偵?」
 しなやかな、足音ひとつさせない優美な猫のような仕草で歩み寄っていた怪盗の指先が新一の耳の裏側から髪の生え際を辿る。何処かくすぐったいその所作に首を竦めると、喉を鳴らして笑う音が漏れ聞こえる。
 酔っているんだ。正気じゃない。
 そうじゃなければ、俺は。
「名探偵?」
 重ねて問う怪盗の声が、ひどく優しいのはまやかしだ。
 そうでなければ自分の錯覚だ。
「なあ…」
 聞きたくない、見たくないときつく閉じた瞼の裏側に過ぎった熱さすら誤魔化すように、新一はぎゅっとシーツを握り締めた。

 この一瞬を忘れてしまえと願うのと同量に存在している己の願いを見知らぬふりで、きつく目を閉じたままの新一は、だから知らない。
 そうして、愛おしむように新一に触れる怪盗の瞳が、己の無意識の願いと同様に溢れていた感情に染まっていた事も、怪盗の願いも。
 知らないままに、この指先の温もりがもっと続けばいいと、そう思った。

 悪酔いでは片付けられない真実の欠片を手に。
 けれどもあるはずのそれを見つけられず、新一は困惑する感情を抱えて月光を負った傷だらけの背中へと、そっと手を伸ばした。




2006.01.31.

H O M E *