05.夜の高層ビル
一気に駆け上がる、真夜中の非常階段。
はあはあと荒い息を付きながらも、その眼が輝いている事も、唇が楽しそうに吊り上がる事も気付いていながら止められない。
絶妙なバランスで繰り返されるゲームは、単純でけれど何処までも複雑怪奇。手を伸ばせば届かず、逃げれば追われる。繰り返される対決は、何時しか逢瀬にも似た甘さも含んで二人を絡め取った。
けれど、それも悪くないと思えるのはやはり末期だろうか。
頬を撫でる風は冷たく、階段を駆け上がる足は疲労に震えさえするのに。
それでも止められない、止める気もない足が向かう屋上へはあともう少し。
勢いに任せて開け放った鉄の扉の向こうで、まるで夜を従えたかのような白い影が笑みを零す。
「お早いお着きで…『名探偵』」
「…そっち、こそ」
はあはあと息を乱しながら、工藤新一は呼吸に邪魔なネクタイのノットに手をかけ引き抜いた。多少楽になった喉元を撫でてひゅう、と息を吸い込むと、月下に佇む怪盗に向かって不敵に微笑みかける。
「今度、こそ…勝ったと、思ったんだが、なあ?」
「いえいえ。そう簡単には負けて差し上げるわけにも参りませんし」
ばたん、と風にあおられた扉が閉まる。
この怪盗を捕らえる為に夜通し走り回った身体は既に限界で、がくがくと震える膝はほんの少しの油断の隙にかくりと折れて、後は重力に任せて扉に背を任せたままずるずると座り込む失態を演じてしまう。
「くそ…っ!こんな、ザマかよ…」
「私と貴方では条件が違う、卑下する事はありませんよ」
かつり、と音が響く。
コンクリートを踏みしめる靴音だ、と理解するまで半瞬。
ふわりと視界を埋め尽くした白に眼を見開くのは一瞬。
何かを言いかけた唇に押し当てられた白い手袋の感触に頬を染めたのは、次の一瞬で。
「な…!?」
「黙って。…ねえ、『名探偵』?」
信じられないほど間近にある怪盗の面差しは、何処かで見たような既視感を新一に与える。その目深に被ったシルクハット、鋭く光を反射する片眼鏡さえ何の障害にもならない距離に息を呑み、唇に押し当てられたままの白い絹の感触に余計に混乱する思考を必死で宥める。
何故、とか、どうして、だとか。
問う事に意味のない言葉ばかりがぐるぐると脳裏を過ぎる。
そんな探偵の混乱を見越したのか、ふ、と笑みを零した怪盗は、どこかとろりとした優しい声色で探偵の耳元に囁きかけた。
「あなたは…、ですから、ね」
「え…?」
肝心なところだけ聞き取れなかった、否、聞いてはいたがそれが真実かどうかさえ判断できない混乱状態の探偵は、思わず顔を跳ね上げる。
そこでかちりと合った怪盗のそれとの視線に、唐突に、本当に唐突に『名探偵』は『怪盗KID』の意図を、このゲームの意味を理解する。
「そ、か…」
楽しいのは、楽しかったのは。
最初からゲームなんて生易しい事じゃなくて。
ひょっとしたら。
伸ばした手は拒まれない。
触れる先は暖かい体温。
嘘みたいに薄っぺらい月が夜空で嘲笑う、高層ビルの屋上で。
探偵は小さく悪戯っぽい笑みを浮かべて、怪盗の赤いネクタイを引き寄せた。
2005.05.05.
H O M E *