03.裏路地
荒い呼吸を宥めるようにきつく目を閉じて、とすりと背を預けた冷たいコンクリートの感触を甘受する。
背中から広がる冷たさが上がった体温に心地よく、そのままずるずるとアスファルトへと身体を沈みこませ、深く吸い込んだ空気を吐き出した。
じわじわと体内で広がる痛みにも似た罪悪感と、それを打ち消す子供のような高揚。相反するそれは自分自身の内面の剥離にも似て、いつでもこの心を磨耗させるものでしかない。
それでも逃げられない現状は、決して自分を長生きさせるものじゃないだろうと自覚はしている。けれど。
比率は反転する。
たったひとつのファクターによって、決定された現実は夢想にも似た甘さを振りまいた仮想へとすり替わる。
都合の良すぎるその感情は、いつだってこの痛みと甘さを繰り返すから。
「…逃げる、わけには…いかないでしょう…?」
じわり、右足に滲む赤。
白い衣装を染め上げるそれは、明確な殺意によってつけられたもの。存在ごと葬ろうとする無機質であり人のエゴが剥き出しになった彼等の意図は明白だが、それでもこの衣装を脱ぐわけにも彼らに屈するわけにもいかなかったから。
鈍い色合いと鉄の匂いと、じくじくと繰り返す痛みさえも既に慣れた。刻まれる疵など既に大した意味を持たなくなって久しく、この空っぽな中身に水を注ぐのはたったひとりの言葉と存在だけ。
「め、い…たんて…」
疲労と痛みに震える膝を叱咤して、今にもがくりと崩れ落ちそうな身体を立て直す。白い衣装は所々が薄汚れ、足は血に染まって普段の気障な怪盗紳士の面影は心もとないけれど。
それでも『俺』はまだ終われない。
帰るんだ。
この痛みも覚える甘さも彼の存在があるからこそ、自分自身を縛り戒める鎖になる。『俺』を定義付ける彼の言葉、それを求めるからこそ立ち上がる。
君から逃げる事も自分から逃げる事ももう止めたいから、俺は君へと帰りたい。
だから、終わらせて。
俺の白い衣装ごと、君が俺を終わらせるならそれもいい。
何もかも終わる瞬間にたったひとつでも叶えられるなら、それをこそ俺は望む。君の手がもたらす終わりも始まりも、俺は笑顔で受け入れるだろう。
揺れる視界の中、見上げた空に浮かぶ月は触れたら切れそうな三日月だった。
薄汚れた裏路地に蹲る俺を叱咤するようなその輝きに、小さく呟いた君の名前。音にならない声は夜に溶けて、ほんの少しだけ凍った俺の心を暖める。
君に会いたい、声を聞きたい、許されるなら触れたい。
唇に浮かぶ微笑は偽りなんかじゃないのだと、立ち上がる足に力を込めた。
2005.10.01.
H O M E *