眠る月
「こんばんは」
にこりと微笑んだ怪盗の姿に、新一は思わず絶句する。
場所は工藤邸、新一の寝室のベランダ。
どうして、だのどうやって、だのという疑問符が脳裏を巡るが、それに答えを出せない自分が余計に分からない。
「良い月ですね」
月を振り仰ぐ姿さえまるで一分の隙なく作り上げられた芸術品のようで、思わず火照る頬に手をやる。冷たい己の手の感触にようやく此処が何処だったのかを思い出し、慌てて取り繕うようにぎりりと月下の怪盗を睨みつけた。
「…テメェ、何の用だよ」
「さて」
そのくらい貴方がお得意の推理で知れば良い、と軽くあしらわれ、きりきりと胸が痛む。なんだこの痛み、と自覚すら出来ぬままきつく相手を睨み続けると、つい、と優雅な仕草で白装束の怪盗は腰を折った。
「私めのショーに最も貢献して下さった貴方に、お別れを」
「は…?」
気の抜けた返答しか返せないほど、胸の痛みは強くなる。思わずぎゅっと握り締めたシャツの感触すら曖昧になるほど、怪盗の言葉は新一にとって理解したくない内容を含んでいた。
「お…別、れ?」
「ええ」
ひらり、と怪盗が翻して見せた右手の手のひらの上には、おそらくはビッグジュエルと呼ぶのだろう大きな宝石。月光を受け光るそれを無造作に月光にかざして見せれば、なぜか放たれる赤い、禍々しい光。
「それ…」
「幾多の愚か者が求め、今尚血を流す災いの石。撒き散らした災厄の事を思えば、確かにこの石に与えられた名も相応しいのやも知れませんね」
遠くを見るようにして語る怪盗の手がそれを放り投げ、思わず目をやった瞬間に怪盗愛用のトランプ銃から一枚のカードが放たれ、それへと突き刺さる。
あ、と思う間もなく新一の部屋のベランダに落ちたそれはからりという音を立てて転がり、真っ二つに割れる。その綺麗な断面からは赤い石が明滅するのが見えたが、それもすぐに色褪せ宝石本体もただの石コロに成り果てていった。
「これにて『怪盗キッド』は終幕です、名探偵」
さよなら、と告げる怪盗に、新一は慌てて窓の鍵を開け、翻るマントに手を伸ばす。
白い怪盗。月下の奇術師。
いつもいつも夜に対峙していた彼の喪失が何をもたらすのか、理解できないまでも新一は必死で。
けれどもそれはすり抜けて、新一の指先は何も包むことなく誰も居なくなったベランダにへたりと膝を付く。
「…さい、ご?」
会えない。
もう、会えない。
さよならの声だけが脳裏に巡り、痛みが身体を支配する。
ああそうか、と理解したのはこのときだけど多分遅すぎた。
動けない新一が振り仰いだ夜空には、彼が振り仰いだのと同じ月が輝く。
この月が欠けて眠りについても、同じ月がいつか巡るから。
たぶんもう眠れない、と自覚する胸の痛みは続く。
『それ』が止まるのは、数日後に笑顔の少年と遭遇した時。
2004.12.25.
H O M E *