震える繭


「眠ることが怖いと思った事はあるか?」

 唐突に問われた言葉に、新一は緩く眠りに誘われかけていた意識を引き戻し、ぼやけた視界で斜め上方にある男の顔を見つめる。
 先ほどまで深く交って、人には言えぬような行為を成していた相手。自分に良く似た風貌の、だからこそ決定的に似ていない男の頬へと指を伸ばす。
 小さく落とした溜息と共に、その指先で掴んだ頬を思い切りつねってやった。
「…ひでぇな、名探偵」
「どっちが」
 俺は眠いんだ、とぶっきらぼうに告げ、ごろりと横になってシーツを手繰る。丁度背を向ける格好になったところで、するりと伸びた腕が新一の腰に回ったが不埒な動きをするでもなかったので黙殺する。
 耳元を掠める吐息の熱に、男の中の何某かが彼の問いを引き出している事を知る。
 無言のままに続けられる抱擁に、新一は溜息をもうひとつ落として己を抱きすくめる腕にそっと手を添える。
「何だよ、まわりくどいことしやがって…オメー、俺に何を聞いてほしーんだ?」
「…さあ、どうだろ?そんなコトあんのかな?」
 くすくすと零れる笑みは、乾いて冷たい。
 自分に向ける棘のようなそれに苛立って、新一は頬同様にその手の甲も抓り上げてやることにする。
 かすかな息を詰める音に少しだけ気分を晴らして、そろそろどこかに行ってしまった眠気への未練を断ち切るように、ぱちりと目を開ける。

 夜明け前。
 まだ、空は闇に蒼く太陽の支配までは数刻を要する。
 それまでは、こうしている事を責める輩も何処にもいない。

「…また、めんどくせー事考えてやがっただろ、テメエ」
 返る言葉は無く、保たれる沈黙は肯定である事を知る新一は盛大に溜息を落とす。鈍い痛みとじりじりと燻る悦楽を体内に抱え、ふるりと背を震わせて身を捩った。
「ちったあ俺にも甘えろ、大怪盗。俺だってそのくらいはしてやれるぜ?」
「…甘えてるよ、十分」
「じゃあまだ足りねえんだろ」
 それまで背を向けていた相手と正面から向き合って、新一は彼の腹の上に乗り上げる。
 とくりとくりと鼓動を早める心臓に安眠よさようならと内心溜息を落としながら、どこか茫洋とした眼差しで此方を見る男に舌打ちする。

 ああ、このバカは、またそうだ。
 勝手に人を判断しようとする。彼にとっての苦痛を伴う理想に押し込めようとする。

「…甘えりゃいーだろ」
 それを赦す立場に新一はあったし、この強くて脆い男を際限なく甘やかしてやりたいと思うほどには好いてもいる。
 実際に重ねるものは身体ばかりの即物的な関係ではあったけれど、その底辺にある感情を間違えるほど耄碌しているつもりはない。
 けれど、この男はそれに気付いてもいない。気付こうともしない。触れた体温から伝わる気持ちもあるのだと、そんな感情的なものを一切理解しようとしない。
 それが、新一には少し悔しかった。
「バカだな、キッド。俺にとって眠りは怖いものじゃない。
オマエにとってそれが恐怖の対象だっていうんなら、それは」

 くちづける。
 震える唇、零れる涙の幻影を押し込めるように、癒すように。
 泣くなら泣けばいい。慟哭を表現するものを持ちながら成さないのは、心の奥底に澱を溜める行為だと気付く為に。
 何時か、訪れる死への予行が怖いのは、常にそれが近しい位置にあるからだ。
 それに抗う術がない事に、静かに絶望を続けるからだ。

「…眠れないなら、夜明けまで一緒にいてやるよ。
朝は、オマエを罰するものじゃない」

 組み敷いた大きな子供をあやすように触れ、新一は微笑む。
 何時か、この関係の欺瞞に気付いた時、この男はどうするのだろうか。
 わからないまま、それでも触れる、触れてくる体温の暖かさに目を閉じた

 夜の匂いはそのままに、零れる吐息は甘さを増しても。
 閉ざされた繭の羽化へと続く生命の揺らぎと震えは、もうすぐそこまで迫っている。




2005.07.26.

H O M E *