Less before
言葉の無力を痛感するのはこんな時だ。
どうしようもないほど愚かな事件。
パーツばかりが入り組んだトリックの裏に隠されていたのは、代わり映えのしない人間の愛憎。ほんの少しのすれ違いから、人は人を憎んで殺してしまう。現代社会の縮図が其処には転がっている。
手錠をかけられ、連行されていく犯人の横顔はまるで無機物のように静かで、感情の色もない。ただ、此方を一瞬だけ掠めた憎悪の色だけが酷く鮮やかだった。
横を通り過ぎる犯人と己とが交差する一瞬、投げつけられた言葉に薄く笑う。
慣れた言葉だ。
犯人にとっては最上級の嫌がらせに相違ないのだろうが、探偵などしている者には慣れすぎて何も感じなくなってしまった代わり映えのしない刃。
最後までオリジナリティのねえヤツ、と冷めた表情のまま唇の端だけを引き上げると、焼け付くような視線が己を射る。
ばかばかしい。
取り繕った探偵の顔の奥で、新一は胸に走る痛みと喉に絡まる澱に瞬きひとつでやり過ごす。
自分が出来る事はそう多くない。
多くないが、あたかも万能であるかのように高慢に振舞う事で、少しは軽減されるものもあるかも知れない。
それは小賢しい子供の浅知恵で、父親辺りが知れば幼子の無知を咎めるような苦笑で以って己が息子の青さに応えるだろう。そういう意味では工藤新一の父親は、とても器の大きな男であったから。
けれども、新一はそれに頼ったまま大人になる事を、否子供であることも唯々諾々と受け入れられなかった。端的に言ってしまえば、単なる負けず嫌い。だけど。
「…殺しちまうこと、ねーのにな」
死んだらそれでお終いだ。
恨みも怒りも悲しみも、自己満足の殻の中で膿んでゆくだけだ。相手が居なくては行き場のない感情は、確かに存在しているのだと、新一のような若輩でもわかるというのに。
自宅まで送る、という気の良い刑事の申し出を丁重に辞して、新一は暮れ始めた夕刻の街を横切る。帰路なのか、或いは更なる夜に出かけるのか、人並みは変わらずに多い。
冷えて凝った何かを抱えたまま歩く路地は固くて冷たくて乾いていて、苛立ちを覚えるほどの熱も存在しない事が酷く可笑しかった。
「…ふふ、」
磨耗していく痛みは遠くて。
枯渇していく感情は更に遠い。
ワクワクもドキドキももうしない。此処に在るのは『名探偵』の欠片だけだ。
誰も彼もが『俺』を見ない。
工藤新一の欠片は、永久に失われてもう戻らない。
それは確かに新一の自業自得であり、同時に周囲の拒絶の象徴でもあるのかも知れない。
『…ご覧下さい!現場は厳重な警備体制が敷かれ、見物人たちで溢れかえっています!』
「…?」
ふと、耳に入ってきた雑音が言葉になって脳髄に響く。
訝しげに視線を向けたその先には、どうやらテレビ番組を繋いでいるらしい街頭モニタ。僅かに人だかりが出来ている、その理由は。
「…KID」
モニタに映し出されていたのは、今夜予告上を出した怪盗KIDの特別番組らしい。過去の映像から今夜予告された場所の説明、飽きもせず毎回繰り返される、馬鹿げた民衆のお祭り騒ぎ。
その中心点が犯罪者であるのだと、一体どれだけの人間が本当に理解している?
「ああ…違うか」
ふ、と新一は僅かに微笑む。
誰よりもその事実を理解しているのは、きっとその当人だ。工藤新一が形骸でしかないように、怪盗KIDもまた空虚な殻でしかない。其処にあるものがどんな理由があるにせよ、裁かれるべきものである事を知りながら、他に何も出来ぬ故の行動だ。
或いは、もうその日常こそが裁きなのかも知れない。
とくり、と音を立てる心臓。
もうずっとずっと前から秘めている想いは、いつかこの『工藤新一』という形が消えてなくなる時にも其処にあるだろうか。
確証も自信も何も無かったけれど、出来るなら新一が新一である最後の瞬間まで己の中にそれがあればいいと願う。何も望まない故に真摯で、純粋であるが故に身勝手な願いであると知りながら、尚。
見上げた空は紫に染まる。
太陽は沈み、月がひかる。『彼』の時間だ。
振り切るように映像から視線を引き剥がし、新一は足早に帰路を急ぐ。早く、早く帰らなくては。
家に着いたなら、その日は何も聞かず何も見ず、ただ己を制するようにベッドに丸くなって朝まで待たなくてはならない。それは怪盗の予告が実行される度に繰り返される、新一の中の些細な、けれども大切な儀式。
会いたい。会ってはいけない。
触れたい。触れてはならない。
一切を彼に望まぬように、新一は新一を戒めて彼の時間が過ぎ去るのを息を潜めて待つ。それは繰り返される苦くて甘い夜の風習だ。
忍び寄る夜の気配を振り切るように、慣れた足取りで街を横切る。
その横をすり抜けたふわふわした癖毛の、自分に良く似た男のことなんか見ていないんだと、言い聞かせながら。
今日もまたひとつ、痛みを忘れた。
2006.06.11.
H O M E *