蒼の探偵と白の魔術師の日常断片 その1〜4
その1
Q. 新一さんが探偵をしているのはどーしてですか?
「どーしてと言われても」
こきり、と極彩色のナノマシン・コードが這い回る白い首を傾げて、元某研究所の実験体、現極東管理官見習い中の青年は困ったように呟く。
目の前でわくわくしながら返答を待っている黒衣の極北管理官代理には非常に申し訳ない事ながら。
「…しゅ、趣味としか…」
言い様がないわけで。
「趣味?」
「うん」
まるで鏡写しのように新一が傾げたのとは逆方向に首を傾げ鸚鵡返しに問う快斗に、こくりとひとつ頷く。
「暇潰し、だったんだよな。元々」
最初は、研究員たちから戯れに与えられたごくありふれたノート型のPCで、工藤新一は普通にネットサーフィンを楽しんでいたに過ぎなかったのだが。
何せこの歩けば棒ならぬ事件に当たるトラブル収集性質。更にはSCSやダイヴイン・アプリケーション・プログラムや専門機器なしで高深度のネットダイヴを可能とする特異体質。
ふらふらと気侭にネットの海を彷徨っているつもりが、ふと気付いたらさっくりと事件に巻き込まれていた。
そんな事にいつまでも関わり合うのが面倒で、すぱっと解決までイニシアチブを取って自ら動いたのも事実。けれど、その後も何度かその手の事件に遭遇し、あれよあれよという間に警察との微妙な関係が成立していて。
本人の自覚の前に『最深の蒼』は『青の探偵』として勝手に有名になっていた。名前は一人歩きをするものだ、と新一は身をもって知ったわけだ。
「まあ…前回の一件で警察関連の情報ソースとパイプは役に立ったから無駄ではなかったよな。多分。
それに謎を解くのは好きだし、事件が解決すりゃ人の為にもなるし」
一石二鳥でいーんじゃないか?と見かけだけは可愛らしく問い掛ける新一に、そうだねえ、と返す快斗もある意味タダモノではないかもしれない。
司法関係は、純粋に快斗や現在の新一にとって味方とは言いがたいが敵にもなり得ない。INPは独立組織であってもその行動理念は常に秩序と保全の側にある。
極東管理官=青の探偵、の図式が成立しないうちは、利用可能なルートのひとつとしてしか工藤新一の頭の中には位置していない。
己等の前に立ち塞がらなければ、現時点では大した事ではないだろう。
それよりも、今此処で問題とすべきは。
「なあ快斗。…俺はうれしーけどさ?」
「ん、なぁに?」
おみやげー、と言って持ち込んだ(とはいえ他に食べる人間は新一しか居ないために8割は快斗の胃に収まる)ドーナツをぱくりと齧ってきょとんとこちらを見る極北管理官代理。
相変わらずかっちりとした制服の上にパーカーひとつ羽織っただけのどうにも微妙な格好である。
その格好の理由というのが、また。
「あのさぁ、会いに来てくれんのはすっげー嬉しいけどさ。制服着替える時間くらいはケチんなよ…」
「えー、だって定時ジャストで全力疾走すれば夕方の定期便ギリギリ間に合うんだもん。乗り過ごすと次の直通便は二時間後になるんだぜ?待ってられるかっての」
エアバスの直行便+メトロあるいはタクシーの時間を加えて、互いの勤務地への所要時間は約3時間。
激務の合間を縫って、ただでさえ少ない休暇にわざわざ自分のところに来てくれるのはありがたい。
けれど、本当にその格好で来るのだけはどうにかしてくんねえかな、と新一は少しだけ遠い目をして、何個目かわからない砂糖まみれのドーナツをシアワセそうに齧る恋人を見遣った。
A. 探偵業は純然たる趣味と成り行きです。
「つーかさ、俺たちならネット上でも殆どリアルと変わらない状態で会えるのになんでわざわざ直接…」
「ちっちっち、リアリティ溢れるヴァーチャルは会って話して触れる現実とは違いますー。ほんのちょっとでも俺は直で新一君に会いたいのー」
「…ばぁか(照)」
「んv」
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その2
Q. 快斗さんの養い親ってどんな人ですか?
「え?とーさん?」
だだっぴろい極東管理官執務室に何故か存在する、何枚かの畳と正方形のちまっとした炬燵が据え置かれた謎の空間で器用にミカンを剥きながら、快斗は問われた内容にきょとんとして問い返した。
白い筋まで綺麗に剥いたそれを、向かいでぬくぬくとシアワセそーに天板にぺたりと頬を押し付けて炬燵を堪能する新一の口と自身の口に放り込みながら、はて、と快斗は首を捻る。
どんな人、と言われても。
「俺に殆ど権限を委譲してるけど、とりあえずまだ極北管理官として現役だよ。『北海の賢者』と呼ばれた凄腕ネットワーカー。つっても、あの人単体なら能力は別にして人格的には人畜無害な善人の典型なんだけど」
「…待て、その条件付けはどういう理由なんだ」
むぐむぐとミカンを咀嚼しながら快斗の言葉の内容に的確なツッコミを入れる新一は流石は名探偵だ。何気ない言葉の裏の裏まで探ってくる。
それでこそ工藤新一、と笑顔の奥で賞賛の拍手を送りながら、新しいミカンを手にとって手慰みに剥きだす。
「単体なら、と条件付けするという事は、他にその人間関係に影響を及ぼす人間が居るって事だよな」
「…はあ、まあ、そーなんだけどね」
養い親については良い。
もうひとりの育ての親についても…思うところはやや、否大量にあるがまあいい。
しかし、この二人が揃ってしまうとどうにも心臓に悪い事も否めないわけで。
「とーさんの直属の部下で、所謂恋人…とはちょっと違うけど、同居してたパートナーがいて、その人がとーさんとは別に俺のもうひとりの育ての親なんだけど」
「ふむ」
まぐ、と快斗が剥いたミカンを口に放り込みながら(ちなみに自分では半分剥いたところで房をつぶしてしまい以後ふてくされて二度とやろうとはしていない)言葉の続きを促す新一に、けれどもそこで口ごもった快斗はやや斜めを見ながらぽつり、と零した。
「…すっげえ性格悪いんだ」
「…は?」
おもわずかぱっ、と顎を落とした新一の様子に気付いているのかいないのか、瞼の上に影を落として低い声で独り言のように呟く。
「そりゃあもうえげつないほど人格歪んでるんだ。なのに仕事はべらぼうに有能だから更に性質が悪いというかなんというか。
気に入った人間を苛めるのが趣味で、気に入らない人間をいびるのが生き甲斐だと俺ととーさんは確信している。あんなのと対等に付き合える辺り、とーさんも大概変なんだけど」
「はぁ」
「問題は、相乗効果とその結果って訳で」
意図的に意識を浮かせた快斗の背後に、二重に白の奇術師の影がだぶる。他の誰にも見えなくとも、特殊な眼と脳構造を持つ快斗と新一にとっては現実に重なるもうひとつの世界だ。
そして快斗の語った過去が事実なら、この白い奇術師には元々、電脳世界上とはいえ別の名前があったはずだ。
快斗とイコールで結ばれる『怪盗KID』のそれとは異なり、快斗に今現在だぶって映る奇術師の瞳は深く鮮やかな赤。明朗な快斗や玲瓏なKIDのそれとは異なる、どこか底なしの深い闇、性質の悪さを滲ませた微笑み。
ぞくり、と背筋を這い上がる警報に思わず眼を見開いた新一に口角を上げたそれは、再び溶け込むように快斗の姿に沈み込み、消えていった。
「…何だ、アレ」
「コード・カーディナル=レザード。『魔術師の赤』と呼ばれた極北支部の独立セキュリティ・システムの要であり、俺の養い親が組んだ自律可動式AI」
そして、と心底嫌そうな声色で言葉を続ける。
「…どうにもこうにも俺の育ての親が苦手だった若かりし頃のとーさんが、苦手を克服するためにあのヒトの人格をある程度コピーして作った、らしいよ?
したらもー、ロボット三原則なんか綺麗に無視した挙句にとーさん以外の言う事は
まったく聞かないし、そのとーさんの事もぎりっぎりまでは追い詰められても頓着しないステキなAIにおなりあそばして」
「何考えてんだお前の養い親と育ての親…」
べったりと炬燵に突っ伏して、自分も大概在り得ないが更に在り得ない人生を送っているのではないかと邪推したくなる快斗の青春を思って思わず遠い目になってしまっても責められまい。
そんなAIをリプログラムせず、そんな部下を今まで傍に置いている辺り、快斗は誤魔化されているようだが相当の狸なのではないか?
現在新一が極東管理官として使い物になるまで、と後見に立ってくれている老人の食えなさ具合を思い出してげっそりとしつつ、INPはこんなんばっかりかと思わず溜息も零れようというもの。
けれど。
話しているうちに青春の光と影の有象無象を思い出してしまったらしくうつろな眼差しで乾いた笑いを浮かべている快斗の様子に、とりあえず自分の疑問符は傍らに置いて。
視線を落としている事で新一の視線の先で揺れるぽわぽわの癖毛に、そろりと手を伸ばして慰めるようにぺふぺふと軽く撫でる。
「まあ、アレだ」
意外と触り心地の良い感触にこっそりと自分内お気に入りにランクインさせながら、新一は此方を見上げる快斗ににぱっと笑いかけ、とっておきの殺し文句を告げてやる。
「色々あって、俺とオマエと会えたなら、まあ悪い事ばっかじゃないよなーって」
「しんいち…」
「そ、だろ?」
決して、幸福な事ばかりで組み上げられた過去ではないけれど。
それでも快斗の中で、それらは痛い記憶にはなり得ない。とはいえ、それが幸福な記憶か、と言われれば言葉に詰まってしまう事もまあ…事実なわけだけれども。
そっかーそれならまーいいや、ともはや餌付けのような慣れた仕草で、かぱりと開いた新一の口の中に、丁寧に剥いたミカンの房を放り込むのだった。
A. 一口では言えませんが、周りの環境も含め相当に曲者です。
「てか、なんで極北管理官の養子になったんだ?確か未婚だったよな、極北管理官って」
「俺だけ里子に出されずにINP関係者にってのは後遺症が酷かったからってのもあるらしーけど…育ての親曰く、俺が居た研究所とそのバックボーン一切合財潰したのがとーさんだったからって言ってたよーな」
「…オマエさ、その時点でオマエの父親、十分平凡でも善人でも人畜無害でもねーよ。思いっきり目ェ眩んでるぞ…」
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その3
Q. 快斗と新一、どっちが強いですか?
「そりゃ、新一だろ」
ぱりん、と軽快な音を立てて極東土産の煎餅を噛み割って、快斗は億劫そうに卓上の湯飲みを引き寄せる。すっかり冷めたお茶に僅かに眉を寄せて舌打ちすると、一息に飲み干して卓上へと湯飲みを戻した。
質問を問うたモニタの先の白馬は少しだけ複雑そうな色を双眸にちらつかせ、結局困ったような表情に固めて苦々しく言葉を紡ぐ。
『即答…ですか?』
「そりゃーもう、比べるまでもねーし」
ごそごそと煎餅が入った紙袋を漁りつつ、ヘッドセットもスキャニンググローブも外部入力マイクも必要とせず快斗はネットワーク上からあらゆる機器を操る。よくそれを知り、慣れているはずの白馬でも時折ぎょっとする光景だ。
そんな相手の心の動きを知ってか知らずか、暢気に今度は胡麻煎餅を噛み割りながら、ふっと遠い目をして脳内に否応なしに叩き込まれた情報を思い出して咀嚼を止める。
「…SCSを介さない、否そもそもインターフェースユニットを必要としない単体でのネットワーク関連機器への上位アクセス。加えて脳内に形成されたナノマシン統制関連機構による、INP中枢演算ユニット並みの情報処理速度」
『確かに人間一人が持つには驚異的な能力ですが…それは君も同じでしょう』
「ま、ね」
単体で自己を認識出来なかった幼少時に、ネットワーク上に存在していた自律可動式AIの人格と融合する事で現在まで『黒羽快斗』という自我を形成している。
それはつまり現実世界とは別にサイバースペースにもう一人の自分が存在するのと同意義であり、先ほど快斗が呟いた能力はそのまま快斗のそれへと跳ね返る。
およそ、サイバースペース内で快斗に出来ぬ事はない。人間に嵌められた枷によって行動が制限されている通常のAIのような制約は快斗には存在せず、故に『確保不能』『正体不明』であり続ける。
けれど、それも工藤新一が相手となれば話が変わる。
「でもそりゃ、フィールドをネットワーク上に限ればの話だ。実際にアイツに何の制約も課さずにやり合えば、俺なんか一分と持たねえよ」
『そんな…!』
悲鳴のような声を上げる白馬のリアクションも最もだ。快斗とてコーディネイターの端くれ、しかもデザイナーズチャイルドとして相応の身体能力を設計時に与えられており、たとえそれが専門職であっても引けを取らない自信はある。
けれど、新一相手となれば、特にそれが面と向かってのものであれば話は別だ。。
「アイツの脳内処理速度のオーバーヒート、或いはガス欠による時間切れを狙わない限り、およそ考えられる攻撃手段全てを用いても勝つことは不可能だろ。それこそ直接ミサイル突っ込んでも体内の物理制御系のナノマシンが正常に稼動さえしてれば生きてるだろうし。
まあ万能と言えば万能だが、燃費が悪いのがせめてもの救いだな」
マシーナリィ・インジェクト・ヒューマノイドと極東支部の老人は称した。言いえて妙だと快斗も思う。
快斗もそうだが、既に『工藤新一』を『人間』と称するべきではないかも知れない。件の電脳調律師、月に住まう紫眼の博士でさえ社会はヒトとして認めたくなかったのなら、自分たちなど更に異端だ。其処から洩れ零れた紅子や白馬すら、大衆は異端として排斥しようとするのだから。
くっ、と喉を鳴らして笑う快斗の笑顔に何を見たのか、モニタの中の白馬の眉間に皺が寄る。馬鹿正直かつお人よしなこの同類を、けれど快斗は嫌いではなかった。
「だから、サシでやり合えばどんな条件付けようと絶対に新一が勝つな。そもそも存在している次元が違う」
『…けれど君は』
何かを言い躊躇うように、白馬のモニタ越しの視線が逸れる。今は遠い異国の地で同業に就いている彼の珍しい躊躇に視線で先を促せば、押し殺すような声色で問いが零れる。
『君は…彼が良いのでしょう?』
「とーぜん」
例えヒトではないとしても、惹かれたのはあの眼差し。
此方を追い詰める苛烈なまでの意思と、眼差しの強さ。調べて知って会って話して、触れてしまえばもう手放せない。
「一緒に居るよ。どこまでだって一緒に行くんだ」
『僕は…多分、君にそういう存在が出来た事を喜ぶべきなのでしょうけれど』
複雑です、と白馬が苦笑する。
それは多分、白馬探が長い事黒羽快斗を現行社会へ適応させようと躍起になってきた人間だからかも知れない。小泉紅子がそれを煽るでもなく防ぐでもなく、ただ見守って来たのと比べれば其処にある感情も変わってくる。
ただ、白馬は排斥され磨耗してゆく同類であり何処までも異質でもあるこの存在を見たくなかっただけなのだけれど。
『寂しいと、思ってしまうのは…迷惑でしょうかね?』
「ん、いや…くすぐってえけど、悪かねえよ」
くすり、と笑う快斗の笑顔は、白馬が知るどのそれよりも嬉しそうで。そんな顔を彼がさせてくれるなら、それもいいだろうと肩を落とす。
結局。何処までも自分たちはこのいつまでも子供のような存在に弱いのだ。脳裏に過ぎる決して愉快ではない施設時代の記憶でさえ、消し去るには惜しいと思えるほどに。
『今度、さ。行かないか、極東』
紅子も誘ってさ、と朗らかに笑うモニタの向こうの快斗の笑顔に、白馬は肯定を込めて、頷いた。
A. ネットワーク上ではほぼ同等、リアルでは新一さんの圧勝です。が…
「という話を黒羽君としたんですけれど」
「あらあら、本人とても真面目なつもりなんでしょうけれど、無意識に思いっきり惚気てる事実に気付いてるのかしらね?」
「…小泉さん、少し空気が不穏な気がするのは気のせいでしょうか」
「ええ気のせいよ(きっぱり)。
時に白馬君、次の長期休暇はいつ頃かしら?」
「…彼のところに、行くんですか?」
「ええ。無論黒羽君には内緒でね。ほほほ、どんな顔してくれるかしら?」
「わかりました…御供します…(がっくり)」
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その4
Q. コーディネイターって、そもそも何ですか?
「ふむ、興味深い質問ではあるな」
INP極東支部の一室で、何気なく新一が問うた言葉にくつりと笑った老人は膝の上のブランケットを掛け直して顎に手を当てやや上方へと視線を彷徨わせる。
極東支部の全てを掌握するこの老人こそ、既に此処までINPを構築し得た『極東の電脳調律師』亡き今となっては、全ての答えを知る数少ない存在の一人だった。
「『特異な才能の収集』…すなわち、アーキテクト・サンプルと呼ばれるその道のスペシャリストたちのDNAを解析して構築したアーキテクト・サンプリングコード。それを使用して人為的に生み出された強化人間を指す言葉だが…
君が聞きたいのは、そういう事ではないのだろう?」
「そーですね、今更僕がそれを聞いてどうなるものでもなし」
老人の足元でうねうねとのたうちまわるコードやケーブルと格闘しつつ、工藤新一は振り向きもせずに一応体裁だけは丁寧な口調で返答する。
その、傍若無人な様子に怒るでもなく微笑ましいものでも見るような眼差しを向けると、やや低く嗄れた声で老人は一言呟いた。
「建前としては、宇宙開発の一環としての計画。何せヒトの身体はあまりに脆い」
衛星である月に到達するのにさえ、かかった時間と費用はいかばかりか。更にそこから先に行こうとするのなら、何よりもネックだったのはあまりに脆弱すぎるヒトの身体だ。
「だから過酷な宇宙空間での作業に耐え得る新種のヒトを作ろうって事ですか?」
「建前は、だがね。結局大衆は怖いのだよ、『天才』と呼ばれる異質な存在が」
それは、新一とてよく知っている。
常に身近にあった監視の眼。何ひとつ己の自由にならず、何処か差異があるか執拗に追い求めてくる彼らのそれは決して愉快なものではなかったからだ。
老人自身はどうであったのかは知らないが、彼が最も近くで見続けた『電脳調律師』は確実にその領域の住人だったはずだから。
ひとつ溜息を落とすと、くつくつと可笑しそうに喉を鳴らした老人がふと視線を向けて一言告げる。
「ところで、私に遠慮は無用だよ。君の言い易い言葉で喋ってくれて結構」
ぴたり、とコードを繰っていた指先を止め、ぎぎぎ、と音がしそうな仕草で振り返る新一の顔は苦虫を噛み潰したように渋いもので。
「…快斗の言う通りやなじーさんだな、アンタ」
「ははは、『リトル・ウィズ』はそんな事を言っていたか」
「ああ。煮ても焼いても食えないじーさんだって」
「ふむ、私とて伊達に年を食っているわけではないのでな、君のような若輩者に容易く美味しく食べられては困るわけだよ」
「…なんでINPはこんなんばっかなんだ…」
思わず黄昏てしまった新一に罪はない。ないはずだ。
何処の組織にでも海千山千の食えない人間は相応に転がっているものだが、それにしてもINPのその比率は尋常ではない。特に現在トップに君臨する管理官たちの食えなさ具合は、世間知らずの新一の予想をはるかに上回っていた。
故に、能力的には是非も無いはずの工藤新一の極東管理官就任は、この老人が後見人として立つことによって微妙に先延ばしされている。
「さて、大衆は『天才』を恐れるという話だが」
「(ナチュラルに誤魔化してきやがったなこのジジイ…)
あーそうだな。結局、自分たちが『劣る者』として排斥される事を危惧するという集団心理と考えていいのか?」
「それもあるね。そして、逆に『自分たちが生み出した存在』だという優越感もある。だからこそ、未だに『デザイナーズ・チャイルド』は正規の人権を与えられず、『コーディネイター』を特別視する。
馬鹿馬鹿しい事だと思うがね。結局そこまでしても只人の中から生まれる『天才』には抗う術もないのだから」
ふと、遠くを見る眼差し。そうして、この老人は良く新一を通して誰かを見ている。彼の人生を通り過ぎた何者かを見る眼差しは優しさと愛おしさとほんの少しの切なさを含んでいて、情緒に疎い新一ですらしくりと胸を痛ませるに足るものだった。
本来ならば、そんな真似をされれば工藤新一は間違いなく腹を立てる。そんな屈辱めいた事を許すほど、新一の許容量は広くない。けれど。
「それは、件の『電脳調律師』の事だと思っていいのか…?」
かつての極東支部の管理官。現存するワールド・ワイド・ウェブの革命者。あらゆる先端技術を生み出した、異端の『天才』。
新一を構成する主要設計基、第八次アーキテクト・サンプリングコードの要たる存在。
そしてこの老人にとっては、唯一無二の存在だったひと。
もう、どこにもいない、人間。
「…さあて、な」
年齢を刻み込んだ表情の上に、食えない笑顔を浮かべて。老人はただ無言を保つ。其処に悲しみがあるのなら、この眼差しは許容できるだろうと結論付けた新一はだから、そうまでされてもこの老人が嫌いではなかった。
恐らくは、黒羽快斗にとっての彼と同様に。
「君は君だ。君に与えられた環境を存分に利用して、君だけの人生を歩みたまえ。あの気紛れな電脳妖精が何を言ったか知らんが、その権利が君にはある」
「…言われるまでもねーよ」
顔も知らないヤツの為に、うだうだ悩むような殊勝な神経は持ち合わせていない。あの鳥籠からようやく出て、自由を謳歌している現在は工藤新一にとって人生最高に楽しい瞬間だ。
この老人が重ねる過去も、この場所に積み重なった業績も、『工藤新一』一個人には全く関わりのない事。
「俺は、俺の好き勝手にやらせてもらうぜ?」
手の中と床に散らばるコードやケーブルを、指先に集中させたナノマシン無機物干渉能力によってふわりと淡雪のように床や壁に溶かし込み、新一は悪戯っ子そのままの無邪気な笑顔を老人に向ける。
去り行く者へ新しい革命者が向ける眼差しは、奇しくもかつて老人が覚えているかの人に良く似ていた。
A. 来るべき外宇宙進出に適応可能な新人類として人為的に構築された強化人間です。
但し、一部の人にとってはそれ以上の意味を含むようですが…
「ところでじーさん、俺ってそんなにソイツに似てるのか?」
「いや、外見的にも内面的にも全く。見た目はそのまま『セイ−レイ・トゥエルフス』だからな。
というよりあの男に中身まで似てしまったら、まず根本的に人間としてどうかと思うぞ、私は」
「…そこまで言われるようなヤツってどういう人間なんだ…というかそんなのと重ねて見られてたのか俺は…?」
「安心したまえ、私から見ればあの男も君も大差ない」
「…できるかああっ!!!」
2005.05.17.
H O M E *