which [ 2005年ホワイトデー記念小噺 ]
その手は、魔法の腕だとヒトは言う。
「…きれーな手」
目の前に何気なく投げ出されたそれをむんずと掴んで、ためつすがめつぺたぺたと触りながら眺めてみる。
その日常生活からすればもっと荒れていても傷だらけでもおかしくない気がするのに、真白い指先から甲、手首までひとつの傷もなく、一種芸術品のように綺麗なそれ。
すっと伸びた長い指先。丁寧に手入れされた爪は長くも短くも無く、爪先まで一部の隙無く定期的に鑢がかけられていることを知っている。そこだけ見れば中性的に見えるほどしなやかで、ごつくも筋張ってもいないそれは体温を映すように少しだけひやりとしている。
いい加減飽きるほどに『似ている』と称される自分たちだが、ことパーツに関してはあまり似ていない。
自分の手は、コイツのそれほど綺麗じゃない。気も使わないものだから乾燥する冬場になれば荒れ放題、傷も沢山あるし爪もたまに切り忘れて割ってしまったりもする。
筋肉の付き方も違うから、実際に服で誤魔化さずに並んで立てば随分とフォルムにも差が出るはずだ。新一の体型はサッカーで鍛えていた過去があるからか、どちらかといえばスプリンターのそれに近いが、快斗のそれは器械体操の選手に似ている。しなやかで無駄が無い、黄金律の線対称。
だが、それらの相違するパーツの中でも尤も際立つのは、やはりこの手。
指先から手首、二の腕まで。構成する要素のひとつひとつを丹念に計算しつくして形作られた魔術師の腕。
新一が愛してやまない、夢と奇跡を生み出す魔法の腕だ。
「…いつまでやってんの、新一?」
「あ、起きた」
ぱかり、と閉じていた瞼を開けて、不審そうな眼差しで眠っていた魔術師が此方を見遣る。それでも預けたままの腕と指先は、光と闇を往復する彼の最上限の信頼の証なのだろう。
それをくすぐったくも受け入れる選択をした工藤新一は、この手が己の悲しむ選択はしないと確信するからこそ無防備なそれを手に取るのだ。
「きれーな手。…ここから、いろんな魔法が生まれてくるんだな」
「うん。俺の商売道具だからね」
一流のマジシャンが兼ね備えてしかるべき全てをその身に備えながら、たった一つの目的の為にその全てを沈めて日常を送る希代の魔術師。
その、天性の才能と努力の結晶全てを表舞台で使えたなら、きっととっくに新一など手の届かない存在になっているだろうに。
あの白い衣装を身に纏い、たったひとりで『確保不能の大怪盗』を演じながら、それでも目的一つを胸に抱いてゆく生き様を…たぶん、新一は他の誰より愛しているのだから。
言葉にしていない気持ちは山ほどあったし、相手から聞いていない言葉も山ほどあるだろう。どんなに似ていても気持ちが通じていても、他人と自分の境界線を見つけられなくなるような人間ならば、この高潔な怪盗の背にはそぐわない。
だからこそ、新一はじっとその手を眺める。
きれいなきれいな…きっと誰より血が似合わないその手を。
「俺、この手、好きだな」
「…手だけ?」
ちゅ、と額に落とされる口付けはどこまでも甘い。
繰り返す『すき』と『あいしてる』の境界線は曖昧で、言葉が何処までも無意味だと知らしめるためにあるように思える。
触れる体温に安堵するのは、いつかそれがなくなることを知るからだろうか。
ぼんやりとそんな事を考えながら、額からこめかみ、頬に移行するキスの感触をくすぐったく感じて身体を捩った。
「くすぐってえって」
「いーじゃん、スキンシップだよ」
くすくすと泡が弾けるように笑う快斗の声を、きっと好きなんだろうと思う。
小学生の殻に閉じ込められていた過去は既に過ぎ去って久しいものだけれど、あの時感じた感情の全ては『工藤新一』へと積み重ねられてそれまでとは違った一面を形成するに至った。
この手が届かないものがあるのだと、この手がいかに卑小なものなのかと、知らしめられたあの体験はきっと『工藤新一』にとって必要なものだったのだ。
だからこそ、今の自分は『怪盗』を傍らに置いて告げるべき言葉を秘匿して硬く口を噤み、永遠に彼の犯罪履歴を抹消し続ける。
罪と罰をこの手に犯罪者を裁くのは、今の自分には荷が重過ぎるから。
「すきだよ」
ことり、と暖かい快斗の胸に頭を預けて、囁くような声音で新一は呟く。
聞き取れなくても構わないと思ったが、きっとこの相手は聞き取ってしまうだろう。一字一句間違いなく、そこに込められた感情さえも読み取ってみせるだろう。
けれど、きっとそれを口にはしない。
鉄壁のポーカーフェイスと無垢な笑顔の下にあらゆる淀みを押し隠して、傷口すら気取らせず振舞う世紀末の魔術師。
一切の闇と無縁な、月明かりの下で優雅に空を従える怪盗紳士。
けれどそのどれもが新一の愛している『快斗』の一部でしかないから、二人ここにこうして生きている。
たった一つの免罪符をこの胸に抱いて、新一は手にしたままだった快斗の腕…魔法のそれを口元に引き寄せる。
「…あいしてる」
そっと触れるだけの口付けを落として目を閉じた新一の耳元に、苦笑交じりの快斗の返答が零れ落ちる。
「うん…しってる」
「そっか」
世界でたったふたりきりになってしまったような錯覚を感じて、新一は目を閉じたままその手を離した。指先から離れる他人の体温に寂しさを感じたのも束の間、ふわりと包み込まれるような錯覚を与える快斗の両腕が新一を拘束する。
息苦しいほどの愛情は、けれど自分たちにはまだ足りない。
そっと瞼を開いたその先にある微笑みに、覚えた幸福感にふたり、うっとりと笑った。
2005.03.15.
H O M E *