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日に日に寒くなる今日この頃、けれど暑いのも寒いのも嫌いな筈の隣家の名探偵は何故かご機嫌だ。
そこらの図書館など裸足で逃げ出す、一個人の所有物としては国内最大規模だと思われる工藤邸の書庫から借りた数冊の本を抱え、現在屋敷を預かる世帯主のひとり息子を訪ねた哀は少し目を細めてその光景を見遣る。
相変わらず、似合うとも似合わないとも認めたくないらぶりーなペンギンスリッパをぺたぺた鳴らし、彼が壊滅的音痴でなければ伴うだろう鼻歌の幻聴さえ聞こえる。
「おう、灰原。どうしたよ?」
「借りていた本を返しにきただけよ。直ぐに戻るわ」
どすり、と重苦しい音を立てて抱えていた本をリビングのテーブルの上に載せると、哀ははふりとひとつ吐息を落とす。流石に小学生の細腕には、上製本が重なると辛いものがある。
「なんだよ、呼んでくれれば取りに行ったのによ」
「貴方にそこまでさせるほどのことではないわ、それにどうせまだ借りていくつもりだったし」
調べ物というのは、往々にして止まらないものだ。
疑問点に対する解決を見たとしても、今度はその新しく明らかになった部分から発生する疑問点が浮上する。そして科学者というイキモノは、業の深い事にこういった疑問点を突き詰めて理の中から新しい理を見つけ出すことを至上の悦びとしている存在だ。
だからこそ、これらの借り物を返したとしてもまた新しい本を借りて…という無限スパイラルが発生することは当然の帰結と言えた。
そんな哀の行動論理を理解しているのだろう新一は、そっか、の一言と共にコレだけは手放しで褒められるほど美味しいコーヒーを小さな客人に供するべく、その足をキッチンへと向けた。
けれども、そんな隣家の少年に対して哀が覚えたのは…なんだか微妙な甘しょっぱさだった。
普段のシャツの上から羽織った少し大きめの黒いフリース素材のパーカーは、恐らくこの名探偵の恋人にして哀の同士たる、お人好しの怪盗の持ち物なのだろう。
均整は取れているものの、あまりに理想体型過ぎてある意味珍しい体型の彼は、己の腕の長さに合わせてだぼだぼとした服を着ている事が多かった。故に、彼とほぼ同体型でやや肩幅と腕が足りない新一が着るとまさしく『彼氏の服を着た彼女』状態。男物である、という一点のみで違和感を感じない鈍感さは天晴れだが、そんなものが平気ならあの無意味な周囲への威嚇をやめて欲しい、と哀は思う。
この名探偵の外面に、世間はかなり騙されている。
頭脳明晰・スポーツ万能。礼儀正しくて見目麗しいフェミニスト。ああ確かに外側の猫はそうかも知れない。
けれど哀の知る彼は、頭は良いが肝心なところが抜けていて、運動神経は良いはずなのにここぞという場面ですっ転び、超絶俺様で格好良い、というよりは可愛い事が多く、女性には基本的に優しいが恋人に言い寄る存在、若しくは言い寄るかも知れない存在には容赦がない。
オマケに生活不適合者、という不名誉な烙印を頂戴するほどの変人っぷりは、かつて淡い想いを交わしていたはずの幼馴染の少女にさえ保護者としての意識を持たれてしまい、自然消滅するほどのレベルに達している。
やがて何が嬉しいのか、両手に芳しいコーヒーの香りをさせたマグカップを持って現れた新一はうきうきと、リビングに鎮座した似合わない物品へと哀を促した。
出来れば余り視界に入れたくなかったその暖房器具に、哀は思わず額に手を当てて目を閉じる。てっきり、あの常人には計り知れないセンスを持った天然怪盗辺りが持ち込んだものだろうとは思っていたのだけれど。
「…工藤君、コレ、使ってるの?」
「あたりまえだろ?使わないのに出してどーすんだよ」
「…恐ろしく不似合いだとか、そういう事は気にしないの?」
「あったかけりゃいーだろ別に。どーせ俺ひとりしか住んでねーんだしよ」
「…そう」
哀と新一の目の前に鎮座しているのは。
紛れも無く、日本の誇る冬の定番暖房器具・コタツだった。全面フローリングの洋式リビングには似合わないことこの上ないが、わざわざそこにだけマットとカーペットをひいてある辺りが心憎い。
ちょこん、と天板の上にのっかったみかんの籠が更に哀の頭痛を促進させるように思えて、マグカップを天板に載せていそいそとコタツに入り込む新一の嬉しそうな表情に眩暈さえ覚える。
だだっぴろいリビングに小さなコタツ。それに嬉しそうにもぐりこむ工藤新一。
ミスマッチなような似合っているような、何ともいえない感覚に哀は沈黙を以って対応し、とりあえず促されるままに新一の対角線上に足を突っ込んだ。
確かに、ぬくい。ぬくいが、似合わない。
『…まあ、それも今更よね…工藤君だし』
分かっていた筈の事だが、それでも目の前に突きつけられるとやはりこう、しょっぱいものは感じないでもない。しかも新一がうきうきと口をつけるマグカップは、かつてその入手経路からのろけられたペアマグの片割れではなかろうか。
早く飲み終わって、こんなところは退散しなければ。
頭の中で限界を告げる理性を必死で繋ぎ止めながら、哀はコーヒーに口をつける。美味い。文句なく美味いが、環境がよろしくないというか。
眼前にある可愛らしいイキモノを愛でるような余裕があるわけもなく、ツッコミ以外で初めて暴力をふるってしまいそうな己を押さえつけ、ひたすらに自分を律する。
これがあの薬を作った自分に対する罰かしら、と明後日な方向の考えを巡らせる哀の救いの手、おかしな名探偵のおかしな恋人が来訪するまで、あと一時間。
もっともその一時間後、来訪した怪盗からの追及に思い切りよく日頃の不摂生についてのボロを出した上に壊れた探偵の後頭部に、毎度お馴染みの一撃を加えることになろうとは予想しなかったのだが。
もう直ぐ過ぎ去る秋の後、訪れるイベント目白押しの冬の到来を苦々しく。
哀は、ただただ重苦しい溜息をひとつ、落とした。
2005.12.06.
H O M E *