[ 工藤の日・記念小噺(±0設定)]
ぱたぱたと走るたびにひらりひらりと揺らめくのは、プリーツのひとつひとつまでぴしりとプレスされた紺色のスカート。
呼吸に合わせて跳ねる肩口は大きく取られて、上気した薄紅の素肌が見え隠れする。スカートと同じようにひらめく大きな襟は、スカートと同じ紺色。
すなわち、一般的な女子学生の制服の一例。
俗に言うセーラー服、という奴だ。
忙しなく動く足はすらりと細くしなやかで、それを彩るのは定番化して久しいルーズソックスでも生足でもないオーソドックス極まりない白のハイソックスワンポイント付+来客用の味も素っ気もないスリッパ。
スカート丈は何処の校則にもひっかからないだろう膝丈。きゅっと結ばれたセーラーのリボンタイまでアイロンが効いた隙のない『彼女』は軽やかに、放課後の廊下を駆けてゆく。
だから、そんな『彼女』がひらりとスカートの裾を翻しながら過ぎ行く端から集まる視線は。
そのきらきらと輝く涼やかな真青の瞳と秀麗な容貌があってこそなのだと、けれども本人だけが知る事無く。
『彼』に良く似た『彼女』は、一心不乱に『彼』の姿を求めて、その足を動かしていたのだった。
double
「…は?祭り?」
「うんそう。今度の土日にね」
秋、とも夏とも言いがたい非常に微妙な時期ながら、それでも夏休み明けたての江古田の地区祭はいつもこの時期だった。
そして、都内有数の進学校でありながらお祭り騒ぎが大好きな江古田高校の生徒たちにとって、体育祭も控えているにも関わらず、この祭典への学校丸ごとの参加は恒例行事となっていた。
けれどそんなことを知る由もなく、また興味もないのに調べるはずもない工藤新一は、告げられた恋人の当分の不在勧告に、むうと眉根を寄せて問いかける。
「オマエんトコ、文化祭は6月に終わってなかったか…?つーか、まだなんかやらかすのかオマエんトコは?体育祭がどーこーって園子が言ってたよーな」
尤もな意見とともに首をことりと傾げる新一の頭をなんとなく撫でてみながら、その感触が気に入ったのか段々と薄くなる眉間のしわに内心ほっと胸を撫で下ろし、快斗は薄く苦笑して質問をひとつひとつ答えてゆく。
「いやだから文化祭とはまた別に。んで体育祭はもちょっと先、10月。今回は学校単位の参加だからクラス毎の出展とかはないけど、校内開放して吹奏楽がコンサートやったり、美術部が展覧会やったり、有志生徒が模擬店やったりまあいろいろ」
「んで、オマエがマジックショー?」
「そ」
特技が特技なだけに、こういった催し物の度にお声のかかる多芸な男、黒羽快斗である。
そして、本人も根っからのイベントマニアであるが故に、尚更に心血を注いで場の盛り上げに貢献する。主催者にとっては途方もなくありがたい存在であろう。
「さすがに準備とかがあるからさあ、3日くらい学校と家の往復になりそう。
あ、でもメールと電話はするからねっ!面倒がらずにちゃんと返事してねっ!!」
「お、おう」
すごい勢いでがばり、と覆いかぶさらんばかりに詰め寄る恋人の様子に、ほぼ条件反射で首を縦にこくこくと振る。じっとその様子を眺めていた快斗だったが、にへら、と相好が崩れたと同時に長い腕がぎゅーっと新一の肩を抱き込む。
わたわたと手足をばたつかせる新一の抵抗とも呼べないような動きを綺麗に封じ込んで、大好きっ!と連呼する快斗の言葉に体温がかっ、と上昇する。
何気なく触れ合った頬だとか、回された腕の確かな硬さだとか。
好きで好きで大好きでたまらない恋人との接触にわたわたする新一の額に軽く唇を寄せて、当日は時間があったら観に来てね、と囁いてするりと離れる快斗の体温。感触。気配。
そんなものすら寂しい、と思ってしまった新一は、ぎゅっとシャツの裾を握り締めてわずかに俯きぼそぼそと呟いた。
「…ん、時間教えろよ」
「りょーかいv」
ちゅ、と頬に落とされた口付けにくすぐったそうに身をよじりながら、こんな事言い出すって事は今日はまだ大丈夫なのかなあ、快斗泊まってけるのかな、と少し期待を覚えつつ、工藤新一は落ちてくる唇にそっと瞼を下ろしたのだった。
---------------------------------------
そんなこんなで過ぎ去った数日は、とんでもなく長かった。
普段なら心躍る複雑怪奇な事件も、待ちに待ったお気に入りの作家の新刊でさえも恋人の不在を埋めるものにはならなくて、毎日毎日じりじりしながら彼からの連絡を待って。
本当は自分から連絡したかったけれど、忙しいなら迷惑にならないように、とどこかの健気な乙女のような事を考えながら、工藤新一はひたすら我慢を続けたのだった。
そして、とうとう明日。
ショーが終わって打ち上げが終われば、快斗は新一のところに戻ってくる。
ぐっ、と握り拳を作り、フルパワー充電完了した携帯電話を前にベッドの上で行儀良く正座した新一はじっとそれを見つめた。途中、少しだけだが『江古田に転入したいなー…』とか血迷った事を考えたとかは秘密だ。少なくともこれを漏らした哀に向けられた生暖かい視線と強烈至極だった某学術誌のクリティカルな脳天への一撃は永久に秘密にしておかねばなるまい。
ぴろぴろぴろ、と鳴り響く着信音に、がばり、とそれを手に取る。色気も味も素っ気もないシロモノだが、この探偵にそんな情緒があるわけもない。
数回コールを律儀に置いて、どきどきばくばく鳴る心臓を必死で宥め、通話ボタンを押す。微かな音と共に繋がった回線の向こうからは、新一が聞きたくて仕方がなかった声が聞こえる。
『もしもし、新一?』
「かっ、快斗か?」
他に誰がいるんだよ、と己で突っ込みを入れるより早く、電話の向こう側でくすくすと笑う声が聞こえる。かああ、と赤面する頬をぺしりと叩いて、拗ねたような声色で続きを促した。
「んだよ、何がおかしいんだよ」
『んーん、違うよ。早く新一に会いたいなあって』
「…ばーろ」
なんとなく、くすぐったい会話の数々。けれども、快斗との会話の端々に紛れ込むざわざわとした人の気配に、あんまり正直な事を言うわけにもいかなくて。
「…はやく、帰ってきやがれ」
だからこそ、せめてもの本音としてそんな一言を零したのだけれど。
『あ、そか…ごめん新一っ!!』
「へ?」
『俺さ、明日も帰れないんだよー!なんか夜通し後夜祭とか実行委員が言い出してさー』
曰く。
江古田高校は、この週末の地区祭を地域ボランティアの一環として単位に加える事にしているのは毎年恒例行事。それを利用して、例年になく大規模な催し物を計画している今年の地区祭の学校内実行委員は、直接教育委員会に掛け合い日曜の代休として月曜日を休校としたのだという。
『そっちでも幾つか役職貰っちゃってるんで、抜けるに抜けられなくて…月曜の夜には、お夕飯作りに行くからさ』
「…。」
『新一の好きなものいっぱい作るからさ、ごめん、また明日、ね?』
苦く告げる声すら新一の右の耳から左の耳へとすり抜けてゆく。
ぴっ、と回線を切ったのすら無意識で、何がどうなっているのか優秀な筈の頭の中に入ってこない。
今、快斗は何と言った?
(かえれない、って)
今日までだ、と思ったから我慢できた。
明日には会える、またぺったりくっついてじゃれ付くみたいにキスをして、今までどおりの恋人同士の生活に戻れると思ったから我慢した。
だけど!
「…ちくしょう」
ぐるぐると回る、不満と怒りと悲しみと、よく自分でも判別できない感情の嵐。
ぷつん、とどこかが切れる音を聞いた気がしたのは、きっと気のせいじゃない。
脳裏に巡る思考と、直結した神経は何の躊躇いもなく握ったままだった携帯のアドレス帳から目当ての番号を選んで、無言で繰り返されるコール音を聞く。
相手と繋がる一瞬、持ち上げた瞼の奥には。
壮絶にぎらぎらと輝く蒼い瞳が露になっていた。
---------------------------------------
ところ変わって、場所は江古田。
あの電話から一晩明けた祭り真っ只中の学校内、けれどもショーを前にしても快斗の気分は晴れなかった。
原因は無論、昨日なんだか少し不安な様子で切れた恋人との電話。
あの傍若無人で我侭で俺様で、可愛い可愛い快斗の名探偵が、罵声のひとつもなく無言で電話を切るなどと。しかも今の今まで、何のリアクションもないなんて。
「…ヤバイなあ、本気で怒らせちゃったかなあ…」
かくり、と肩を落として落ち込む快斗を慰めるが如く、本日の助手である鳩たちとウサギが擦り寄ってくる。その暖かさにちょびっとだけ気分を浮上させて、はふりと深くため息を落とす。
それでもプロ根性と黒羽の名前にかけて、無様なステージを踏むつもりはないけれど、それでもこう、メンタル面がまだまだ弱い己を見せ付けられたようで凹むのも事実だ。
新一が何より大切なのは快斗にとって事実だけれど、それ以外のすべてを捨ててしまって怒るのもまた新一だ。
悲しませても苦しませても、それでも彼と生きていく為には必要な現実への回帰行動だから、快斗はこれを怠るわけにはいかない。
ともすると、快斗も新一も今ある現実を見失ってしまう事が多いから、二人は互いに戒めるしかない。自分たちの生きている場所は此処だと、相手に思い知らせながら共に在るしかない。
思い切りが良すぎる自分たちは、ちょっとしたきっかけで直ぐに自分たち以外のものを捨ててしまうから、その一番でないにせよ大切な周囲を捨てない事は、最重要課題。
「ホントに大切なのは、新一だけなのに、なあ…」
面倒くさい、というのが正直な本音。けれどもそれも、今の自分たちの必要要素。
はあ、と再びため息を落とした快斗だったが、ばさばさと鳩たちが羽音をさせるのに落としていた視線を上げて、思わず硬直した。
本番前の適度な人のざわめきは綺麗に消音されて、ただただ息を呑む静かな吐息の音だけが漏れ聞こえる異様な空間。
床から上げた視線の先に最初に映ったのは、地味な校名入りの緑色のスリッパと細い足首。
次に、白いソックスと揺れるスカートの端。
がばりと勢いのままに跳ね上げた事で広がった視界の中で、ただひとり鮮やかなのは。
「しっ…!!?」
むう、と引き結ばれた薄紅色の唇と、丁寧に梳られた艶やかな黒髪。多少なりとも弄ったのか、ふわりと香るほのかなコロンと化粧品の香り。
「な、んで…」
「…ばか」
ぽつり、と呟いた一言は不機嫌に少し低くて、快斗はぴくりと肩を揺らす。
目の前に立っているのは、間違いなく。
快斗の大好きな、大切な名探偵。
…なぜ江古田の女子制服を着ているのかは、さしもの快斗にもわからなかったが。
「本物、だぁ…」
手を伸ばす。指先が触れた頬の温もりと、くすぐったそうに身を捩る工藤の苦笑に、けれどもそれが夢ではなく真実なのだと快斗は知る。触れた途端に、その甘さに飢えていた己を知るのは少々意外な事実だったけれど、決して不愉快な事じゃない。
良くも悪くも、黒羽快斗は工藤新一に生かされている。
それだけは、決して覆らない真実。
---------------------------------------
「ところで、なんでその格好?」
ひらり、と歩くたびに女性の所作とは違う為に軽やかに揺れるスカートを眺めながら、快斗は素直に思った事を問いかけてみる。
工藤新一の天より高いプライドを思えば、女装なんて死んでも嫌だろうと思っていたのだけれど。
ぴたり、と足を止めた新一ははあ、とため息を落とし、ぼそぼそと歯切れ悪く呟いた。
「…『工藤新一』は目立つんだよ」
「はあ」
まあそれは、天下無敵の名探偵。東都の守り手、日本警察の救世主。下手な芸能人などより顔と名前はばっちり売れて、知らない人間の方が珍しいだろう。
しかし目の前の美少女を鑑みるに、無駄な抵抗って言葉がこれほどしっくり来るものはなかろうと快斗は思ったりもするのだが。
「帝丹(ウチ)はいーんだ、けど、他の学校に『俺』が行ってみろ、そりゃあ恐ろしい事に…」
ふるり、と背筋を震わせる新一の顔に薄く刷かれているのは、微量ではあるが恐怖に近い感情。何があったのかを問おうとした快斗だったが、そらされた視線にそれも断念する。
『…囲まれたんかな、ファンに…。何されたんだろ、男女問わなそーだからなー、触られまくったとか、告白大会されたとか?』
尤も、その優秀な頭脳は正解に程近いところまで辿り着いていたわけだが。
「だから、園子に相談してだな」
「…思い切った手に出たねー、名探偵…」
あの鈴木財閥のお嬢様は、ある意味最終手段というべき存在である。大抵の事は叶えてくれるが、その手段は思い切り良くとっぱずれている為、相応の代償は彼女の楽しみの為に払わねばならない。
「ふ…二時間鏡の前で拘束され、着せ替え人形にされたのはアレだったが、それも些細な事だ」
「目が泳いでるのは見なかったふりをするところですか、工藤さん」
「目的が達成された以上、些細な損失は計上しない事にしてるんだ」
「喜んでいいのか諌めるべきなのか微妙なところだなあ…」
いや、たぶんうれしいのだろうけれども。
セーラー服の名探偵も可愛らしいわけなんだけれども。
『この激烈かわいらしー物体連れて後夜祭出るのか、俺?
否それ以前にこの名探偵一人放置してステージ上がるのか?狼の群れに子羊の皮被った獅子放り込むようなモンだぞ…』
黒羽快斗は、この可愛らしい物体の本性を正確に把握していた。それはもう、本人以上に。
工藤新一がそこらの奴等にどうこうされるとは快斗は思っていない。ただし、無駄に物事を大げさにしてしまうのが天性の事件体質・工藤新一のパーソナルスキルであることも熟知していた。
はてさてどうしたものか、と思い悩む黒羽快斗。その腕にごろにゃーと懐く工藤新一の頭を撫でてやりつつ、IQ400の頭脳をフル回転させるのだった。
2005.09.10.
H O M E *