chase [ 新一さんの誕生日記念小噺 ]
ばたばたばたっ!
「テメー、ちったあ待ちやがれっ!!」
ひょい、ふわ、すかっ。
「嫌、ですよ〜。待ったら名探偵、私の事捕まえようとするじゃないですか〜」
必死の形相で呼吸を弾ませて怪盗を追う探偵と。
やんわりと探偵の攻撃のことごとくをかわしながらちちち、と指を振る怪盗。
深夜の東都を舞台に繰り広げられる二人の天才のデッドリー・チェイスは、けれども言葉の響きとは裏腹に随分と品が無く緊迫感も薄い。
本日の怪盗の獲物は、東都国立博物館にて展示中の某国王室所有のビッグジュエル『夕凪の瞳』。本来この捕り物に参加の予定が無かったにも関わらず、誰も解けない難解な暗号文に、何故か『日本警察の救世主』へとそのお鉢は回って来て。
気が付いたら、警備計画やら実際の陣頭指揮やらに参加していたこの体たらく。
更に綿密に練られた計画をあっさりとオシャカにしてみせた確保不能の大怪盗は、まんまと石をその手にこの探偵以外の警察の追っ手をことごとく振り切り、今となっては何の運命の悪戯か、ギャラリーが消失した所為で双方共に被ったネコを思い切り投げ出して、無茶苦茶な確保&逃走劇を始めてしまう始末。
現に今も。
がしっ、とその辺に転がっていた空き缶を掴み、そのまま投げつけるかと思いきや宙に浮かせたそれを思い切り超高校生級プレーヤーの黄金の右足で蹴り飛ばす探偵と、その随分とありえないくらいにスピードが乗った凶器をひょい、とこれまた危なげなくかわす怪盗。コンクリートの壁にめり込むスチール缶などと、恐ろしいものをそうそう食らうサービス精神は怪盗にはない。
ちっ、と隠す気もない黒い表情で舌打ちする探偵に、軽い足取りで逃げながらも怪盗は思わず眉根を寄せる。
「…あのですねえ、そんなつまんなそーな顔しないで下さいよ。当たったらタダじゃ済みませんよ、こんなモノ」
「そのつもりでやってんだから当たり前だ!」
「ヒトを殺す気ですか、めーたんてー…」
「安心しろ、線香のひとつくらいは供えてやらあ」
だから観念して当たれ、と傲岸にも告げる探偵に、嫌ですよう、と白い手袋に包まれた手をひらひらと振る怪盗。
まったくもって緊張感も緊迫感もなく、あるのは子供の喧嘩のような互いにだけ通じる必死さだけ。
はふり、と溜息をひとつ落として、たん、と軽い身のこなしで怪盗がビルとビルの合間に設置されたフェンスの上へと飛び上がる。足音ひとつさせない見事さで、月を背負った怪盗はゆるりと微笑んで探偵を見下ろした。
「ヒドイなあ名探偵、私はこんなにお慕い申し上げておりますのに」
「サムい冗談は程々にしとけ、バ怪盗」
「あ、ホント酷…私はこんなに名探偵にメロメロですのに〜」
いい加減黙れ、と怒鳴りかけた探偵の目の前に、ふわりと降り立つ白い影。
月を背負ったその姿に、不覚にも見とれた一瞬の隙をつくように、怪盗の右手がするりと頬に伸ばされ。
ちゅ。
「そう…こんなふうに、ね?」
頬に触れた、白い絹のすべらかな指と、逆側に触れた柔らかくて暖かい何か。
一瞬思考が停止した探偵がごきん、と見事に固まった様子に満足そうに微笑むと、更に大胆に怪盗の指先は唇の端をなぞり、もう一度頬に落とされる口付け。
きゅるきゅるとカセットテープが巻き戻るような気分で自身の身に起こった事実を反芻する新一の空回る頭脳は、思わず機械的な自問自答をしてしまう。
Q.このバ怪盗は今、俺に何をしやがった?
A.ほっぺにちゅーされました。
「っ…!?!!」
「んー、やっぱり名探偵は美人さんだね〜、ほっぺもすべすべ〜」
つい、と頬を撫でられて、思わず血がかっと上るのを自覚する。ほぼ反射的に右足を振り上げ、人体の急所をもれなく狙った的確な一撃は、けれどもそれを予想していたのだろう怪盗にひらりと避けられ、空しく何もない空間を斬った。
「避けんな!」
「避けますよう、当たったら私、お空の星になっちゃいますもん」
「俺の気が済まねえだろっ!!」
「あはは、それは私の知ったことではありませんしぃ」
私は満足しました〜、と歌うように告げて、ひらりと怪盗は距離を取る。ぐるる、と威嚇するように唸る探偵にくすりと笑みを零して、優雅な仕草でゆったりと腰を折る。
「それでは愛しの名探偵、今宵はここで失礼を」
「あ、待ちやがれテメエ!!やり逃げなんて俺が許すと思ってやがるのかっ」
がしっ、と怪盗が逃れたフェンスを掴んで、それだけで射殺せそうな凶悪な視線で怪盗を睨みつける。
相変わらず血がのぼった真っ赤な顔をしていたので、怪盗的には迫力半減、可愛らしさは倍率ドン、だったのだが。
あらら、と探偵のあまりに必死な様子に少しだけポーカーフェイスを落っことし、怪盗は右袖に仕込んでいた今宵最後の仕掛けに意識を向けて涼やかな声でカウントを取る。
蹴る、ぜってぇ蹴り殺す、と物騒な事を喚きながらフェンスににじり寄る探偵の手の中に、カウントゼロと共にふわりと舞い降りたのは。
「…はなたば?」
ふわん、といきり立つ探偵を宥めるように、その手の中に舞い落ちたのは小さなミニブーケ。みずみずしい生花のそれが、怪盗の何処に隠されていたのか一瞬だけ疑問に思わないでもなかったが、そんな事は考えるだけ無駄だと数度の対峙で痛いほど理解していた探偵である。
一瞬の好奇心と疑問符を怒りで捻じ伏せ、再びフェンスの上へと視線を向ける。
が。
「…もういねぇし!!」
何処へ消えたか、神出鬼没の怪盗紳士はあっさりと姿をくらませていた。
結局、やりたい放題された挙句にその相手に逃げられた形となった探偵は、めらめらと燃え上がる怒りの焔も不完全燃焼を起こしたまま、苛立ち紛れに手にしたままだったブーケを思い切り地面へと投げつける。
しかし、用意周到・正確無比なかの大怪盗の策略はこんな事で終わりはしなかったようで。
「どぅわああ!!!」
ぼむ、と接地と同時に白い煙を発するブーケ。
ひらひらと舞い散る花びらとレース、紙吹雪。
何処までヒトをおちょくりやがるかこのバ怪盗は!と怒りもフルゲージに達しかけた探偵だったが、その足元にちょこんと現れた小さな箱に、思わずかぱりと顎を落とした。
真っ白なエンボス加工の包装紙に、綺麗な青いリボンが巻かれた小さなプレゼント仕様の小箱。
リボンの隙間に差し込まれた見覚えのある白いカードを思わず引き抜いて凝視すると、其処には暗号でもなんでもない、物凄く単純な、けれどこの探偵以外にはひどく難解な言葉。
あの、何をするにも気障で大袈裟な怪盗が何を思ってこの仕掛けを施したのか、それを思うとむかむかしていた筈の探偵の相好はふにゃりと崩れる。
「…バッカじゃねーの、アイツ…」
両手の中に納まる程度の小さな箱。
するりとリボンを解いて包装紙を広げれば、中には小さな小さなケーキがひとつ。
ケーキの上に置かれたチョコレートの板に書かれたちょっとした暗号は、こきりとひとつ首を傾げる間に解けるもので、探偵はくすりと笑みを零してそれをつまみ上げ、ぱきりと噛み割る。
広がる甘さは控えめなビターチョコ。微かにコーヒーの風味がするのは、付着した茶色のクリームの所為だろうか。
『たんじょうびおめでとう』だなんて、面と向かって言われなくては意味がないのに、『きみがすきだよ』なんて、更に意味がないだろう?
用意周到に探偵へと渡された、怪盗の誕生日プレゼント。
其処に心がこもっていることは、こんなものを渡されたら疑いようがない。
「最初っからおちゃらけてないでさっさと言えっつーんだよ」
そしたら、あんなに無茶苦茶な手段で追い詰める必要はなかったのだ。多分。
追いかけっこの末、気付けば既に日付変更線は越えていて、確かに本日は探偵・工藤新一の誕生日。
この日の一番最初に怪盗の口からその言葉を聞くべく、肝心要の人物をひっ捕らえようと躍起だった探偵のささやかな望みは。
この日の一番最初に祝うべく、予告状をすこぶる難解にし出現率の低い探偵を現場に引っ張り出した怪盗の望みと相俟って、予定とは異なる形ではあったが確かに叶えられた。
甘さ控えめ、探偵好みの小ぶりのコーヒークリームのシフォンケーキ。
そこに込められた怪盗の心、その唯一の物理的証拠であるチョコレートの小さな板は既に探偵の口の中に消えて跡形もない。
さあ、俺はもう知らないぜ?
「…次は、ちゃんと口で言え」
したら、気分次第によっては。応えてやらない事もない。
そっと大事にケーキの入った小箱を抱えると、探偵はどこか浮かれた様子で表通りへと足を向けた。
さっさと家に帰って、お気に入りのコーヒーを豆から淹れて。この小さなケーキをじっくりまったり、向けられた心と言葉も込みで心行くまで堪能すべく、とりあえずはタクシーを捕まえようと、すっかり剥げ落ちたネコを被りなおした。
2005.05.03.
H O M E *