anniversary [ 2005年邂逅記念小噺 ]
出会ったのは偶然。
あの日、予告状を出したのが鈴木財閥でなかったら。
依頼が、毛利小五郎に出されていなければ。
いやそもそもへまを打って子供の姿になっていなければ、17の誕生日にパネルに触れていなければ、あの出会いはなかった。
奇跡のような偶然の積み重ねで、白い衣装の怪盗と子供の殻に閉じ込められた探偵は出会った。
ビルの屋上。強い風の中、邂逅で覚えた感情は互いに決して良くは無かったはずなのに。そこから積み重ねた記憶と感情は、互いへの信頼と崇敬を呼び込んだ。
そうして、探偵は子供の殻を破って蒼い慧眼を備えたかつての『日本警察の救世主』たる姿を取り戻し。
怪盗は忌むべき宝石を見つけ出し、夜を駆ける白い衣を脱ぎ捨てた。
そのまま、忘れて過去になってしまうのだろうと漠然と双方が思いかけた頃、けれども偶然と言う名の不可視の存在の悪戯はまた二人の前に舞い降りる。
「…めい、たんてい?」
「オマエ…KIDかよ?」
呆気に取られた表情は二人とも。
正しく偶然の出会いに、思わず目を見開いて馬鹿な問いかけをしてしまったとしても仕方あるまい。
怪盗KIDこと黒羽快斗は手にしていたハンバーガーを手の下にあったトレイに取り落とし、相席を訪ねた名探偵工藤新一は小脇に抱えていた財布を床へと取り落とした。
互いに、トレイから食物が零れ落ちなかったのはせめてもの救いか。一瞬停止した思考を慌てて再起動して、新一はトレイをテーブルに預けて財布を拾い、快斗は包み紙ごと落ちた食べかけのハンバーガーを再び右手に拾い上げた。
「び…びっくりしたぁ…」
「そりゃこっちの台詞だ、バーロー」
ぱちぱちと瞬きを繰り返す快斗の驚いた表情には、あの白い怪盗が備えたポーカーフェイスの欠片もない。特に拒否もないのをいい事に、もはや返事も聞かずに新一は彼の向かいの席へと腰を落ち着け、ふうと溜息を落とした。
「まさかなあ。偶然ってあるもんなんだな」
「ねえ?俺もこんなとこで名探偵に出会うとは予想外でした」
ぱくり、と食べかけのハンバーガーに再びかぶりつきながら、快斗はしみじみとそう告げる。
駅前の、何処にでもあるハンバーガー・チェーン。確かにありえない事ではないが、果たして確立はどの程度か、考えてみるまでもなく奇跡に近しい。
名探偵、とてらいなく新一を呼ぶ怪盗。
KID、と確信を以って快斗を呼ぶ探偵。
それはすなわち、互いが互いの事を知っているという意思表示であり、問いかけ。
二人、顔を見合わせてくすりと笑うと、それぞれに伸ばした右手をぱしりとテーブルの上で打ち合わせた。
「ご帰還おめでとー、名探偵v」
「オマエこそ閉幕したんだろ?お疲れさん」
かつて互いを脅かした組織の影は既に跡形も無く、コナンもKIDも遠い過去へと置いてきた。
この、己の中に楔として在ればいいと思っていたのに、こんなにあっさりと互いを見つける存在に、こみ上げるのは歓喜の感情。
あの日々を、忘れなくても背負わなくていいと言外に語る眼差しに、二人くすぐったく肩をすくめる。
「名探偵はぁ、今日はご予定は?」
「ああ、別に今んトコは何もねぇけど。…さっきから思ってたけど、オマエその『名探偵』ってのやめろよな」
ずず、と不機嫌そうにアイスコーヒーを啜って、上目遣いにこちらを見上げる新一に、どっちが、と呟いて快斗はその額を軽く小突いた。
「それを言うなら新一君こそ『KID』はやめてよね。俺には『黒羽快斗』という立派な名前がありますー」
「だったら俺にだって『名探偵』じゃなく、『工藤新一』って名前があるんだがな?」
むむ、と互いに睨み合い、けれども数秒ももたずに互いに吹き出す。あはは、と声を上げて笑う様に周囲の視線は強くなったけれど、そんな事を構っている余裕はなくて。
「黒羽?」
「んー、何?工藤」
互いに互いの名を呼んでみて、くすぐったさに更に笑みが零れる。
あの日、偽りの姿で偽りの名前で、ただ互いの立場だけを露に出会った日は少しの欠損もなくこの記憶の中にあるけれど、今のこのくすぐったいような暖かい時間に比べれば色褪せて見える。
「…いいな」
「うん。いいね」
この方がいい。
名探偵と呼ばれるよりも、怪盗KIDと呼ばれるよりも、ずっと名前を呼び合う今の方がいい。
「…ねえ工藤、予定ないなら、ちょっと付き合わない?」
「ん?」
にやり、と唇を吊り上げて告げるかつての月下の魔術師は、ごそごそとテーブルの下に押し込んでいたスポーツバッグを示してみせる。器用に片手でファスナーを開け、取り出したのは奇術用のプラスチックトランプ。
「今日さ、これから駅前ステージで知り合いの人たちとミニショーやんの♪俺の出番はちょびっとだけど…工藤、時間があるなら見てかない?」
「…マジ?」
がたん、と身を乗り出す新一の様子に、湧き上がる感情は歓喜と呼ぶべきものだ。あの頃、夜を駆け奇術を月下で紡いだ時よりずっときらきらした眼差しに、向けられている感情の暖かさを知る。
「見る、見てえ!」
そして新一も、こうして己を誘う元怪盗の言葉に歓喜を覚える。彼のマジシャンとしての腕前が確かな事は、何よりも誰よりも自分が良く知っている。息をするように魔法を紡ぐその指先が、決して泡沫の夢でも死や破壊を招く事が無かった事を知っているから、なおさらに。
あの暗闇から、日のあたる場所に戻ってこれた相手に、向ける感情は賞賛と安堵。
こうして交わす会話に刃を仕込む必要がない事に、くすぐったいような幸福感を覚える。
あの闇の中は既に遠いけれど、冷たさと暗さを知るのは自分以外なら、きっとコイツだと、互いが互いを指すのだろう。
そう、こんな偶然なら悪くない。
「…あ、そういえば…」
「何だよ?」
食事を終え、二人連れ立って歩くうちに快斗がふと思い出したように呟いて足を止める。唐突に立ち止まった相手に、二歩ほどで気付いて振り返った新一に向けて、快斗はすっととあるビルの電光掲示板を指差した。
「今日。エイプリルフールだ」
「…あ」
一年で一日だけ、嘘を言ってもいい日。
去年のそんな日に、そういえばあのビルの屋上で目の前の相手と出会ったのだ。
互いに、本当のことなどひとつもない偽りだらけでの邂逅だったのに、一年後の今日ここに在るのは嘘偽りなど一欠けらもない、陽光の下の真実だけ。
「…そっか、今日か」
「うん。…長いようで…短かった、のかな?」
駆け抜けた暗闇はもう背後に消え去って久しい。
刻む時は容赦なく現実を迎え入れて、それは優しいものばかりではないけれど。
「うん。…会えて、良かった」
今日に、と告げる魔術師の笑顔は晴れやかで、
「・・・そうだな。俺も、会えて良かった」
オマエに、と告げる探偵の表情にも曇りはない。
行こう、と手を引く体温の暖かさに、二人とも互いへは知られぬようこっそりと笑みを漏らした。
2005.04.14.
H O M E *