行方





 この、想いは。
 何処へ行くのだろう。



 ぽっかりと空いてしまったココロの中、埋められない空白が更に虚ろに世界を響かせる。
 鮮やかなほどにはっきりとしているのはその空虚さだけで、それ以外の感情は全て曖昧。
 伸ばした指先に触れるものは何もなくて、ただそこに孤独と癒されない傷だけが残される。
 …日常だ。
 どこまでも続いて行く、ただの日常だ。
 絶望なぞ、とうに過ぎた。
 苦しみも痛みもある程度を通り過ぎてしまえば心だけは酷く穏やかだ。
 何も、感じなくなるということ。
 何も、期待しなくなるということ。
 世界が連綿と続く時間の切り取られた一角だと認識すること。
 諦め、とも言う。

「…君、さ…君」
 ぼんやりとした視界に誰かが入ってくる。
 『世界』を認識する瞳の中では、人間などという矮小な存在は酷く曖昧だ。
 それは別に正しくも誤りもない。ただの現実だ。認識された時点で現実として意味ができてしまった事実だ。
 返事も返さずに世界を見る目のままで視線を向けると、少し焦ったような怒ったような声で彼は俺の名前を繰り返す。
「猿野君!何やってるっすか、もう夕方っすよ!」
「…ああ、子津チューか」
 視界を現実のそれへとシフトして、俺は子津へと向き直る。
 この、愛されて育った優しい少年の側は、酷く落ち着く。
 嗜めるように叱る声すら心地よくて、薄っすらと見えないように笑みを浮かべる。
 まるで母親に構って欲しい子供のようだと、呆れも半分。
「テスト期間だから部活はないって昨日キャプテンも言ってたじゃないっすか…」
「聞いてたからココにいるんだろ?部室で待ってたわけじゃあるまいに」
 さらり、と答えたその声に、子津はがっくりと肩を落とす。
 現在地、グラウンド脇のフェンスの陰。
 昼の間は心地よい風が通りさぞかし居心地が良かったろうが既に時刻は夕暮れ、段々と冷え込む頃だ。
 こんな時間までわざわざこんな場所に居座る理解不能な返答に、視線を落としたまま首を左右に振る。
「…全然答えになってないっすよ…」
 額を押さえる子津のその声すら、反応が返るという事実が酷く嬉しい。
 嬉しい、なんてどのくらいぶりの感情だろう。
 土足で踏み込むでもなく、忍び寄るでもなく。ただじんわりと染み込むように彼の存在は自分の中に触れてくる。
 不愉快では、ない。きっと。
 教科書もノートも無理矢理にロッカーに押し込んだから、鞄は酷く軽い。
 それをひょい、と担ぎ上げて、ふと悪戯っ子のように詰め寄る。
「じゃあ、なんで子津チューはここにいんだよ。…探してたんだろ?」
 俺のこと、と瞳を覗き込むと、面白いくらいに慌てたようすで言い訳を紡ぎだすその声も愛しい。
 心地よい、痛くない言葉。
 辛くない場所。
 それだけ、たったそれだけを惜しげなく与えてくれた最初の存在。
「テスト前だってのに、こんな時間まで」
 試すような言葉は、本当は好きじゃない。
 試されてるのは彼じゃなくて自分。
 この言葉は賭けみたいなもの。さあ、俺の未来はどっちに転ぶ?
「俺のこと、探してくれてたんだろ?」
 唇に刻む微笑み。震えないようにするのにそりゃあもう苦労して。
 余裕なんて、どこにもありはしないのに無理矢理形作ろうとするのは俺の悪い癖だよな。
 でも、それも全部ひっくるめて俺だから。
 …さあ、どう出る?
「…っすよ」
「聞こえない。もっかい言って」
 意地の悪い問い。けれども素直で優しい彼は、顔を真っ赤にしながら叫ぶように言葉を繰り返す。
「…そうっすよっ!ボクは猿野君を探してたんですっ」
 聞きたかった言葉。
 切望する現実。
 そう、その言葉が聞きたかった。
 鞄を放り出して、両方の腕で。
 思う様優しい彼の優しい体温を確かめるように。
「さ、猿野君っ!?」
 抱き締めた。
 ばくばく言ってる五月蝿い心臓の音、伝わるんかな?
 どんどん上がってく体温も、何もかも全部伝わればいい。
「だから、俺、オマエのことスキ」
 唇が笑みを刻む。多分今までで一番素直な微笑を。
 ただ誰にも見えないのが残念至極ではあるけれども。
「…猿野君」
「なんだよ子津チュー」
 はあ、と溜息が落ちる。
 ほとんど呆れ混じりの、けれども怒ってはいない声が心地よく響く。
「心臓に、悪いっすよ…」
 優しい声。優しい言葉。彼が与えてくれる全てが優しいモノ。
 この、想いは。
 カラッポな俺の中のどこに行くのだろう。
 満たされたことのない場所に、潤いを与えるものなんだろうか。
 行方のわからない、けれど悲しくも苦しくも痛くもない初めての感触に。
 猿野はただ楽しそうに更に力を込めて子津を抱き締めた。





*おまけ*

「…それにしても、猿野君、テスト大丈夫なんすか…?」
 殆ど日も落ちた帰り道、真剣な表情で問うた子津の声に猿野は不思議そうに首を傾げる。
「なんで?」
「いや、なんでって…」
 テスト勉強する時間がかなり減っただろう、と問う子津に、猿野はあっけらかんと告げる。
「だってしたことねえ、そんなモン」
「…え(滝汗)」
「だって明日現国と地理と生物だけだろ?へーきへーき、授業は一応ちゃんとノートだけは取ってっから」
「さ、猿野、君?」
「え?つーかテスト前ってそんなに気合入れて勉強しねえとマズいもんなのか?赤さえ取らなきゃ大丈夫だろ結構」
「…猿野、君…(涙)」
 やけに今日は夕日が赤いなあと、子津は切なくなる心の片隅でそんなことを考えていた。








子猿?つーか猿子?どちらとも取れそうな勢いが愉快ユカイ。
犬猿が痛みと苦しみのギリギリを血を吐くような勢いで歩み寄るのに対して、子津の場合はこう、包み込むような寛容さが命。
無論その分苦労は滅茶苦茶するんだろーけどね。
そしてウチの猿野はワタクシの分身なので、勉強はあんな感じで。決して悪くはありませんが、良くしようという気概はゼロです(笑)
得意教科はトップクラスですが、悪いトコはそれこそ赤点ギリギリ。でも赤にならなきゃいいやと思ってるので気にしない。
夢?夢見てるって?ああそりゃあ見てるさ!ていうかこのサイト自体がそんな感じさあ!
2002.05.23. Erika Kuga