My summer vacation
空には入道雲。
絶え間なく響く蝉の声。
花壇には向日葵が力強く太陽を追いかけ、じっとりとした暑さが大気を埋め尽くします。
夏、です。
今年もこの季節が、やってきたんです。
「…夏休みの予定、だあ?」
高校球児達の祭典、甲子園も終った夏のある日。
極限に汚くなった部室と荒れたグラウンド整備に一日を費やし、本日が終れば後は新学期まで部活はない。
そんなそろそろ日も傾きかけたがやがやと騒がしい部室で、兎丸の問いかけに猿野は思わず眉を跳ね上げた。
「そう!ホラ、部活ももう新学期までないしー、良かったらどっか遊びに行ったりしない?」
にぱ、と笑う兎丸は、とても同級生には見えないほど子供っぽく無邪気に笑う。
無論その背後に潜む何らかの思惑は猿野だけにはちっとも伝わっていなかったが、他の面々は思わず聞き耳を立てた。
けれどもその言葉に猿野が思い出したのは、先送りにしまくってきたレポートだの課題だのの事で、見るからにずどんと一気に気分を下降させたのだった。
「うおー…せっかく部活で忘れてたってのに…
俺まだ課題ほとんど手付かずなんだぞ…」
遊んでる暇なんぞない、と一蹴し、猿野はシャツの釦をかける。
その言葉にその場の面々は一様に安堵と失意の溜息を落とす。
じっとりと湿った暑い空気は、部室の中にもみっしりと詰まっていて、はっきり言っているだけで拷問に近い。
だから、大概の部員は着替え終わると我先にと部室を後にするのだが。
…実のところ、かなりの人数が部室に居残っている。
無論その理由は言うがもがな、この酷く鈍い自称天才打者猿野天国。
この後の夏休みの予定を聞き出し、あわよくば共に過ごそうという算段なのである。
しかし、その面々の安堵を打ち砕くかのような一言が飛び出す。
「それは勿体なくないかい?」
柔らかく低い声にはっと皆がそちらを見ると、そこにいるのは誰あろうこの十二支高校野球部の部長、牛尾御門その人だった。
このクソ暑い最中に汗のひとつもかかず、開襟とは言え皆外せるだけ外す釦を几帳面に上までかけたその姿は、まさしく賞賛に値する。
さりげなく猿野の正面に陣取ると、にっこりとあの特有のスマイルで皆を見渡す。
「確かに甲子園は終ってしまった。残念だけれどね。
けれど、高校生の夏はまだ終っていないんだよ?この時間は二度とやってこない。その貴重な時間を課題などに費やすのは実に、実に勿体ないことだとは思わないかい?」
「…キャプテンがそんな事言うなんて…意外なんですけど」
呆気に取られた猿野の言葉に、けれど牛尾はにこやかな笑みを寸分も崩すことなく首を傾げて見せる。
「そうかな?でも課題なんて、少し頑張ればすぐに終るものだよ。
よかったら明日にでも僕の家に来ないかい?一緒にやってあげるよ」
それが目的かい!?
…と、これがキャプテンでさえなかったら遠慮なく突っ込めたろうに。
ここ数ヶ月間で牛尾御門の恐ろしさを身を以って体験させられた一年生も一年間付き合って骨身に染みた二年生も更に付き合いの長いため本能的に防衛に入った三年生も誰一人としてその言葉に何も言えなかった。
ただ、一人を除いて。
「あ、うーん…でも、キャプテン夏期講習入れてるって言ってませんでした?ダメですよ、俺なんかに付き合ってちゃ。
自分のことくらいなんとかしますんで、キャプテンは大学入試頑張って下さい」
少し困ったような表情で、告げる猿野に牛尾を除く皆が心の中でガッツポーズを作る。
「大丈夫だよ、そんなこと猿野君が気にすることは…」
「ダメですって。キャプテンは自分の事を第一にして下さいよ。受験は大事でしょう?」
ひきつる笑顔でかけた言葉もけんもほろろに返され、牛尾御門、敗北。
しかしこれで大学進学の予定のある三年生が全てダメ出しされたことになるわけで。
曖昧な笑みを浮かべて尚も言い募ろうとするキャプテンを蛇神様が襟首掴んで引きずって行き鹿目が三象に当たり散らしながら部室を後にした。
残るは一年と二年。
こうなると無論、同学年の方が有利か。
「さ、猿野君、よかったら僕と辰羅川君で勉強会やるんすけど、猿野くんもどうっすか?」
先手必勝、とばかりに声をかけた子津と、その背後で眼鏡を押し上げた辰羅川にみなの殺気を帯びた視線が集まる。
二人きりを諦めることで親しい子津と賢い辰羅川という二段重ねを取って他のメンバーに差をつけようというのか。
さすが策士二人組。やることが細かい。
「ん?でも迷惑じゃねーの?俺教えてもらうばっかになるかもだけど?」
「何を言ってるんです、教えることでこちらも勉強になるでしょう?」
辰羅川の無意味に優しい声に、そっか、と笑う猿野に、その他の面々は明らかに動揺する。
不味い、これよりインパクトのある予定を、予定を…!
「あ、でも」
途端に猿野が眉根を寄せる。子津と辰羅川はその様子に何か不味ったか、と見るからに慌て猿野に聞き返す。
「な、何か不味いっすか?」
「俺んち今ちょっと改築予定があって家族は今別んとこに住んでるんだわ。
甲子園終るまでは、って俺だけ近場の親戚んトコに残ってたんだけど…流石にヤバイし」
ちょっと遠いからこっちまで日帰りは無理だ、と苦笑して、少し首を傾げてみせる。
「悪いな…せっかく誘ってもらったけど、まあ自力で頑張るわ」
この時点で子津及び辰羅川、猿野の秘密主義に敗北。がっくりと肩を落とし互いを慰めるように部室の隅に後退する。
無論、これぞ幸いとなったのは他の面々で。
「えー、お猿の兄ちゃん、夏休みこっちにいないのー!?」
ぴこぴこ音のしそうな足取りでこちらを伺う兎丸と、その傍らの相変わらず何を考えているのかわからない司馬。
「おう。あんま気は進まねえけど親父の実家の方に厄介になっててよ、始業式までには戻って来っけど」
即ち猿野はこの近辺には夏休みの間はいないということか。
きらりん、と目を輝かせて兎丸は次なる質問を投げかける。
「じゃあさじゃあさー!兄ちゃんどこに行ってんのー?」
「北海道」
ちゅどーん、と脳裏で何かが爆発する音を兎丸は聞いた。確かに聞いた。
それはすなわちゲームオーバーのサインでもある。
流石に北海道まで遊びに行くことも北海道から遊びに来て貰う事も無理であろう。
涙は必死で堪えた。せめてもの意地という奴だ。
司馬君がぽむぽむと頭を撫でてくれたので、少し気分も浮上したけど。
何はともあれ、これにて兎丸も脱落。
ついでにいうなら犬飼にこの逆境をどうにかできる甲斐性は期待するだけ無駄の為、同じく脱落。
そして着替え終わった猿野がスポーツバッグを担ぎかけたその時に、それまで傍観者に徹していた二年生二人組が声をかけた。
「猿野、よかったらおいんとここんかね?」
「…はい?」
もう八割帰りかけていた猿野が振り向き、ついでにそれまで死人と化していた面々がはっと二年生二人に視線を向ける。
「俺も夏休みの間は猪里の家で農業の半バイトがてら泊り込むんだYo。
三食付きで、ま、流石にバイト代は出ないケドNa?」
「人手は多い方がよかとよ。どうね?」
勉強は自分たちが見てもいい、とにこやかに笑う先輩二人に、猿野の心は揺らいだ。
そりゃあもうはっきり言って苦手なジジイの家に行くよりかはいいかも知れない。
というか、コレはチャンスか。
「…ホントにいいんスか?」
「人手は多い方がいいって言っただRo?」
「今更一人増えたくらいじゃ変わらんとよ」
じゃあ、と承諾の意を伝えた猿野に、二年生二人は笑顔を向け残った一年は涙を飲んだ。
完敗だ、今のところは負けを認めようじゃないか。
しかし次は!次こそはリベンジを!
そんな気概があったかなかったかは定かではないが、こうして猿野と一緒の夏休みという権利は二年生二人の元にもたらされたのであった。
「…なあ、猪里」
「なんね虎鉄」
「どーもあのモンキーベイベーは鈍くてかなわねえNa…?」
「それが猿野の味じゃけん、仕方なか。とはいえ…」
「今回はキャプテンが早々に脱落したからよかったけどYo」
「…そろそろ皆の見境がなくなってきたし…」
「連中、皆揃って狼みてーなモンだからNa。まあ、せめて目の届く限り俺達でガードしてやるSa」
「猿野には、純粋なままでいて欲しかね…」
「あの天然っぷりが、どーも可愛いんだよNa…ガキみたいで」
「頭をかいぐりしてやりたくなるとよ…」
そんな二人の心配を知ってか知らずか、夏休み明けに小学生みたいに真っ黒になった猿野が見受けられた。
そして楽しそうに猪里宅滞在中のことを話す度、臍を噛んだ連中がいたとかいなかったとか。
更に今から冬の防衛対策を立てる二年生二人がいたとかいなかったとか。
全ては、知る由も無く。
おとーさんな虎鉄とおかーさんな猪里。
どーも私の中のいめぇじはこんななんですが、ヤバかったですかね緋月様?
とゆーわけで「猿争奪戦で勝者二年生’S」でした。勝ってますよね?勝ってますよねっ?
この話の虎鉄も猪里も猿野が可愛くて仕方がありません。
いい事したら頭撫で撫でして、悪いことしたらめって言うのが楽しくて仕方ないよーです。
やっぱり虎と猪はトライノが頭の中に、なあ…
あ、ちなみにタイトルは単に「ぼくのなつやすみ」を英語にしただけです(笑)
2002.07.15. Erika Kuga