言わなきゃよかった言葉ってのは、実際いくらでもあったりする。
とは言え、一旦口から出てしまった言葉を引っ込めるのは無理なことだから、どうしようもないのだけれど。『それって、好きってことじゃないっすか…?』
ポーズを取ってるつもりは無い、何時もの通りの憎まれ口。
そこからぽろっと漏れた本音は、あまりに赤裸々でさらっと流すには爆弾発言過ぎた。
子津のあの口ぶりだと、どうやらいつもの冗談の一環だと思ってくれているらしい、が。
だが、その他の連中にはどうだろうか。
そろりと回りを見渡したその瞬間、俺はひたすらに後悔した。
付き合いきれない、とばかりに眼鏡を押し上げた辰羅川。
明らかに憤慨した風な兎丸、眉をへの字にした司馬。
何故か読経を始めた蛇神先輩に、更に何故か猪里先輩に飛びかかろうとして上段蹴りを食らってた虎鉄先輩はちと謎だ。
まあ何が怖いって、理由はわからんが唐突に暗黒のオーラを背負って額に青筋浮かべた牛尾キャプテンより怖いモンはなかったけど。
でも、そんなもんよりずっと俺の血の気を引かせたのは、ニタリと笑った犬飼の顔。
滅多に表情を変えないそいつの、そんな表情は何故だか俺の心に凄まじい警報を鳴らせた。
その時のアイツの顔は、多分一生忘れられないだろうと、思う。
「ホントにアレはマズかった…」
がっくりと机に突っ伏して、俺は深く息を吐き出す。
あの合宿から、既に二週間。
部活に関しては更に練習の過酷さは増し、それ以外のところでいちいち思考を巡らせる気にもなれない。
お陰で中学時代から毎日日課になっていた内職読書も睡魔に負けてちっとも進みゃしない。
大して栞を挟んだ位置が変わっていない、近所の書店のカバーがかかった文庫本にがっくりと肩を落とすと、頭上からくつくつと嫌味にならない程度の笑い声が落ちてくる。
「よお、お疲れじゃねーか天国」
「…沢松…」
べったりと机に突っ伏した俺の手からひょいと本を取り上げると、沢松はぴん、と額を小突く。
「らしくねーじゃねえか、どうしたよ?…つーかオマエこの本まだ読んでたのか?」
オマエが同じ本に一週間以上かけるなんて珍しい、と笑う沢松に五月蝿え、と力なく返事をしてみせて、俺はひらひらと手を振った。
もう、いろんなことが許容範囲外だ。
正確に言うと許容範囲だと認めたくないというか。
なんであんなコト口走っちゃったんだろうか。いや今言っても詮無い事だってよーくわかってるつもりだけれど。
それにしてもアレはなかった。
「…ホントにらしくねえな。言っちまったモンは仕方ないだろーが」
「あの犬の前でってところが問題なんだよ…!」
絶対、間違いなく。
今あの駄犬は調子に乗っている。
無駄に強気で隙が無く、人がわざわざ仕掛けてやる喧嘩にも全く乗ってこない。
ああ、合宿前は俺の一言で青くなったり赤くなったり非常に楽しかったのに。
可愛くねえ。実に。180を超える男に可愛いもクソもあったもんじゃないのは承知してるが。
「前は途方に暮れた大型犬みたいで可愛げがあったのに、途端に狼に成り果てやがったんだぞあのクソ犬。
ところが何がムカツクかってそれでも愛想が尽かせない俺なんだよ、くそう…」
「…惚気か、馬鹿馬鹿しい」
やってらんねえ、と沢松は肩を竦めて見せる。
ああそんなことは百も承知だともさ。
まさか自分でも凪さんみたいな可愛い女の子ならともかく、あんなバカみたいにデカい犬相手にそんなことになるなんて思ってもみなかったさ。
沢松が一瞬の迷いもなく理解を示したのは謎だけど。
まあ、一人でここで悩んでたって確かにしょうがないわな、実際。
むくりと身体を起こし、沢松が持ったままの本を返すように促す。
「おお、ようやく立ち直ったか親友よ。…ところで、この本どういう内容なんだ?」
カバーがかけられている所為で内容まではわからない。ぱらぱらとページをめくっても挿絵などあまり無いから無論分かるはずも無い。
素朴な疑問、という風に問われた答えに、俺はあっさりと答えを返す。
「ああ…推理小説。なんつったっけ…島田?
そーいう名前の作家の、死体とかの表現がちとグロくてステキな小説」
「うげっ!」
慌てて投げるように返して寄越した本を受け取ると、明らかに引いたらしい沢松が近づくな、と一歩あとずさっていた。
実に失礼だと思ったが、愚痴を聞いてくれたのでチャラにしとこう。今回だけは。
「…サンキュー、な」
「おお、なんだ気味悪イ」
オマエは何時も通りバカやっとけ、という沢松の言葉が有り難かった。流石は鬼ダチ。
「まあ、アレだ。
心優しいハンサム様は哀れな友の為にオマエが会いたかろう人間を呼んどいてやったぞ」
…前言撤回。
オマエは鬼か。
がんばれよ〜、と何故かエコーを響かせながら教室を去っていった沢松の姿は一瞬の内に視界から消え、代わりに教室のドアをがらりと開けたのは誰あろう。
俺の悩みの原因、まさしく犬飼冥張本人だった。
「…な、なんだよ」
「それはこっちが聞きたい…とりあえず」
それっきり沈黙。
気まずい。死ぬほど気まずい。何かバカをやって空気を盛り上げてもいいが、今のこの犬相手じゃ逆効果になりかねん。
どうしたら、となるべく視線を合わさないようにして考えをめぐらせていると、唐突に犬飼の指先が俺の顎を持ち上げた。
待ってください。
まさか、まさかとは思いますが、ココでいたす気じゃないでしょうね犬飼さん!?
あわあわと抵抗もできずに慌てていると、溜息混じりの吐息が落ちる。
「…何がそんなに嫌なんだ…?」
「…え」
予想外に弱気な声に、俺は思わず顔を上げた。
久しぶりに真っ直ぐに見た犬飼の表情はまさしく捨てられた子犬、あるいは途方に暮れた大型犬そのもので。
あんまりにもしょぼくれようがアレだったもんだから、思わず息を止めてしまう。
コイツに犬耳があったら間違いなくぺたんと垂れてるだろう。そんな感じだ。
「…別に、嫌じゃねえよ」
久々に可愛げのあるコイツのこんな面見た所為だろうか。
思わず俺は苦笑して、見た目よりも幾分柔らかめの犬飼の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「ただ、オマエ最近調子乗ってただろ…それがムカついただけ。
オマエのこと、嫌いになんて、なってねえ」
明らかにぴん、と犬耳が立つ幻惑を俺は見たね。がばりと肩を掴んでこちらを見るオレンジ色の瞳が真剣味を帯びる。
腕を伸ばす。右手には文庫本を掴んだままで。
広い背中はグラウンドの土と太陽の匂いが染み付いていて、酷く落ち着く。
ドキドキしている鼓動は、きっと互いのモンだから。
今このときだけ、雑多な音が全て消え失せる。大切な言葉を言うのにも聞くのにも邪魔で仕方ない。
「…好き」
ぼんやりと呟いた言葉に肯定の答えが返るのを、猿野は満足そうに笑いながら聞いていた。
「…ところで、一体何の本だ、それ」
もうとっぷりと暮れた家路を辿りながら、猿野の鞄から覗く先ほども読んでいた本を差して犬飼は尋ねた。
「ん?島田っつーヒトのちょっとグロめの描写がステキな推理小説。人ばんばん死ぬよ?」
読む?とナチュラルに尋ねられ、犬飼はだらりと背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。
「い、いや…遠慮しとく」
「なんだよー面白いのにー」
その後下校中ずっとその小説の中身を『グロいところだけを強調して』解説され、もう金輪際調子に乗るのはやめておこうと誓う犬飼冥、15歳の夕暮れだった。
アレですよ!WJの猿野告白ですよ!
つーかアレで書かずしていつ書くってのよ同人女としてさ!!
そうそう、島田荘司の小説は面白いのですが分厚いのとどーも描写がグロいのとで気合が入った時しか読めませぬ。
(屍鬼上下巻を6時間で読破した人の台詞ちゃいます玖珂さん)
でもオフィシャル○モをやって下さった島田の御大を出さずして誰を(撲殺)
いや、でも基本はバカップルでvいやー犬猿は楽しいですねー♪
2002.06.18. Erika Kuga