死に至る病





 孤独は。
 死に至る病だといつか聞いた。
 そうして至る死の匂いを、誰もが気付かないふりをして生きてるのだろうか。


 ぼんやりと天井を見上げる。
 まるで冗談みたいに真っ暗な部屋で、それは案の定闇に溶けてマトモに見えるような状態じゃない。
 引き攣れたようにそこらじゅうが痛むのは、慣れない野球と、もうひとつ。
 …気持ち良さそうに隣で寝ている、この駄犬。
 こっちは明日の朝練の出席も非常にヤバイ状況だというのに、なんでこのバカ犬はこんなに熟睡しきっているのか。
 疑問だ。
 更に何が疑問かと言えばそんな駄犬とベッドインしている己に他ならない。
 何やってんだろ、俺。
 男同士でさ。
 俺は凪さんが好きなのに。
 俺はコイツが嫌いで、コイツも俺が嫌いなはずなのに。
 言葉のひとつも交わしていない。
 ただコイツは無言で俺の身体を暴いて、俺はそれに抵抗しなかっただけだ。
 どうでもよかったんだ。
 それがどんな意味を持っているかなんて考えたくなかった。自分で精一杯な人間が、他人の面倒まで見きれるか。
 大切なものはいつだってこの手のひらから零れるように世の中ってのは出来ている。
 知らない間に手のひらに乗っけている奴が居るように、俺という人種は欲しいと願ったものから零れ落ちていく人種なんだ。
 仕方ねえだろ。
 それが現実って奴だ。
 手に入らねえもんを未練たらしく眺めてたってどうしようもねえ、さっさと見切りを付けた方が楽だろう?
 そういうことだ。
 なのに。
「…この、アホ犬」
 何時もの半分のスペースの枕。
 他人の体温が移った生温い布団。
 軋むような腕に、足に、至るところに残る他人の痕跡。
 …ああ、多分それは嫌いじゃない。
 嫌いじゃないが、酷く癇に障る。
 他人の熱は、心を刻む。良くも悪くも。
 触れる腕。指先。頬、あらゆる熱。
 伸ばした軋む腕で、指先で、その顔の輪郭を辿る。
 端正、というのはこういう外見を言うのだろう。
 少し日に焼けて荒れた肌を辿り、長めの髪を梳くように撫でる。闇の中でも鮮やかなその銀の色は、そうだ、嫌いじゃない。
「俺は…テメエのことなんぞ」
 辿った指先の感触を頼りに、ゆっくりと額に口付ける。伝わる体温と僅かな汗の塩辛い味。
 背中からするりと落ちたシーツの感触がやけに生々しくて、俺はうっすらと苦笑を浮かべた。
「嫌いだ…きっと」
「…嫌いとか言いながら何してんだよ、猿」
 びくり、と大げさなほどに体が震えるのがわかる。己の防壁がこじ開けられる幻影に、思わず俺は必要以上に身を引いた。
「な、何…!?」
「人が寝てると思って好き勝手言ってんじゃねえよ、バカ猿。
いくら猿程度の知能とはいえその程度は察しろ」
「何だと…!!」
 言わなかったのはそっちのくせに。ダルそうに身体を起こす犬飼の長身は、それだけで俺を威圧する。
 察するのは、そっちだろ。
 俺が何に弱いかなんて、おまえは知っててしかるべきだ。
「テメエに、俺の何がわかる」
 この、深い淵のような虚無を。
 痛みすら麻痺するが如き感情の意味を。
 そして、何故こんなに泣きたい気分になっているのかなんて。
「…わかるわけねえだろ、バカ猿が」
 …そう、だな。
 何を勝手に期待してたんだろうな、俺は。
 バカなのもアホなのも愚かなのも俺だ。
 諦めることを何時の間にか当然のように正当化していた俺だ。
 仕方ねえよな。
 言葉にするほど、曝け出すほど怖いもんはない。
 なのにこの犬ときたら、まるで泣きじゃくる子供をなだめるように俺の頭を撫でた。
「わからねえよ。わからねえからそう言った。
…悪いな、だからおまえがそんな顔をする理由も、やっぱりわからねえ」
 違う。
 悪いのは俺だ。
 怖くて恐ろしくて欺瞞で固めた殻から抜け出す勇気のない俺だ。
「泣くな」
 泣いてない。
 泣いて済ますような痛みはとうに過ぎた。
 これは虚無だ。
 そこにあるはずのない、あったとしても意味を持たない感情だ。
「言葉を、音を必要とするなら」
 それ以上言わなくていい。
 言われたらもう手放せなくなる。
 あの、もう二度と味わいたくないと思った喪失の痛みを、また味わうことになる。
 世界に永遠なんてありはしないのに。
 それを望んでしまいたくなる。
 だから。
 犬飼の腕を引いて、首筋に腕を絡める。言葉を塞ぐように口付けて、呟かれるはずだった音を止める。
 聞きたくない。
 聞いたら音が離れなくなるから。
 けれどその行為は犬飼のお気に召さなかったようで、薄目の向こうで片眉を跳ね上げ、力任せに俺をベッドに押し倒した。
 一瞬息が詰まる。強い腕と、僅かに皺の寄ったシーツの感触。
 はあ、と息を吐き出すのとほぼ同時に、犬飼は吐息がかかるほど近くで呟く。
「言葉でも態度でも伝わらないんなら、俺は他に方法を知らない」
 噛み付くようなキスを首筋に落とされて、俺は思わず身を固める。
 ぞくり、と這い上がった何かは先ほどまでの余韻だと誤魔化して。
 真っ直ぐにこちらを見据えてくる夕日の色の瞳に、思わずそむけかけそれすらも大きな手のひらに阻まれる。
「…逃げるな」
「…に、が」
 喉が、震える。声が掠れて音にならない。
 唇からようやくのことで零れた声は音にもならずに、俺は少し悲しくなった。
 けれど犬飼が続きを促すから、二度も三度も言いたくない言葉をようやくのことで音にする。
「逃げて…何が、悪いんだよ…!俺は、他に方法を、知らな、っ…!」
「必要ない」
 指先を掴まれて、無理矢理に犬飼の頬に当てられる。
 バカみたいにがなりたてる心臓の音すら無視して、犬飼はただ真っ直ぐに俺に言葉を投げかける。
「好きなだけ触れて、確認しろ。
俺はここにいるし、消えてなくなったりしない。
勝手に決めるな、俺は俺の考えでおまえに言葉を返してやる」
 痛い。
 苦しいのはカラダではなく、ココロ。
 どうしようもない痛みと熱を、持て余してココロが悲鳴を上げる。
 泣きたいのは、きっとこういう場面なんだろうか。
 伝わる熱の意味を、勘違いしていいんだと、そうおまえは言うんだな。
「…じゃあ、触れよ」
 同様に犬飼の手を引いて、己の胸にあてがう。
「おまえの手で、俺をここに定義付けてみろよ」
 泣いてはいない。
 泣くとしても、それは今ではない。永遠を手に入れた時か再び刹那の世界に戻る時だ。


 死に、至る病を抱えて、人は生きている。
 それに気付く奴と気付かない奴がいて、病であることを否定する奴と肯定する奴がいる。
 ただ、それだけだ。
 だから、もう少しだけ忘れてみようか。

 この、腕の、中で。








コンセプトは前の「Days」と一緒。目指せ「あだると」。
…上手く行ってるか行ってないかはさておいて!!
猿の一人称のお話は楽しくて仕方がありません。すっげえ早かったですコレ書くの。
そして犬、ヘタレ脱却。よかったネ…!
でもまあ、きっと次書く時にはまたヘタレに戻ってるんでしょうきっと。
さ、次は辰子でも書くかね…
2002.06.04. Erika Kuga