幸せ、ひとつ





 その日は、朝から騒がしかった。
 騒がしい、とはいってもいつも騒ぎの中心にある人間…猿野ではない。珍しくも彼はむしろ大人しかったくらいだ。
 だから、騒がしかったのはその他の面々。
「兄ちゃん兄ちゃんー!おめでとーっ!!」
「のわっ!?だから何でいつもオマエは飛びつくんだよー!」
 騒がしい原因その1、兎丸。
 相変わらずその駿足でちょこまかと走り回って、喜色満面の笑みを浮かべタックルに近い勢いで猿野に抱きつく。
 ただ一ついつもと異なるのは、その手に握った飴の袋。
「やだなー、兄ちゃん誕生日なんでしょ?今日って」
「…は?」
 この場合の気の抜けた返答は、誕生日を何故彼が知っているのかということと何故だからといってこれほどの勢い抱きつかれねばならないのかということであったが、にこにこと上機嫌の兎丸を見ているとそう言った事はどうでもいいらしい。
 溜息を一つ落とすと、誕生日おめでとうと言って彼が差し出す、どういった理由でこれにしたのかは不明な飴の袋を受け取った。
「まあ、ありがとよ。祝ってくれる気はあったってことで」
「あー何それ何それっ!?心外だなー」
 僕はいつだって兄ちゃんのことスキなのに、とふくれる兎丸の様子は、とても同級生とは思えないほど無邪気で弟がいればこんな感じだろうか、と思う。
 何だかくすぐったくて、笑みが零れる。
 だが、その笑みも次の瞬間引きつったものに変わるのだが。
「でもでも、僕だけじゃなくてねー、キャプテンとかも祝ってくれるらしーよー?」
「…ナニ?」
 ここで凪さんの名前でも出てくれば飛び上がって喜ぶけれども、何ゆえキャプテン?
 別に嬉しくないわけではないが、酷く複雑な気分に眉を顰める。とはいってもまあ悪い気はしないけれど。
 しかし、次の一言に本気で顔を引き攣らせる。
「なんかねー、夏休みだから部員分のケーキ焼いてきたって」
 マジですカ。
 さすが牛尾御門。一筋縄では行かない男。
 これまでの部員の誕生日、何らかの形で悉く祝ってきた牛尾だが、ここまで気合の入ったものは自分のそれが始めてではなかろうか。
 野球部員全員分などと…ホールでもいくつになるか考えるだにオソロシイ。
 更に【焼いてきた】という単語が意味するところ、手作り。
「…あのヒトは本当に全てスゴイんだな…スバガキ…」
「うん。僕もちょっと引いた」
 二人顔を見合わせて、息を大きく吐き出す。
 そうして部室が見えてきた頃、入り口近くで座っていた司馬がぴくんと顔を上げる。
 そうしてサングラス越しにもわかるほど慌ててポケットを探り、一枚のMDを探し出し、首を傾げる猿野の手のひらにそれを落とした。
「ん?ナニコレ司馬?」
 クリアカラーのMDは、何時も司馬が使っているものより少しカラフルなブルー。
 意図が掴めずに更に首を傾げるとぎゅっと猿野の手を握って頷いて見せた。
「…(こくこく)」
「司馬君、プレゼントって言いたいみたいなんだけど」
「…はぁ?」
 言われてみれば、そのラベルに書かれたタイトルはいつか聞きたい、と言っていた洋楽で。
 女性ボーカルの声がよく響く、心地よいバラードのタイトル。
「うわぁ…サンキュな司馬ー!」
「…!(こくこくこく)」
「喜んでくれて嬉しいって」
 少々同時通訳が間抜けな感じもするけれども、何だか嬉しい。
 これまでの誕生日は夏休み中ということもあって、家族+沢松くらいしか祝ってくれる奴がいなかったからかも知れない。
 幸せだなあ、と漠然と感じていると、部室の中からひょこりと子津が顔を出す。
「司馬君、準備できたっすよ…あ、猿野君!」
「おう子津チュー、準備って何だよ?」
「キャプテンが部室の中をセッティングしてたんで手伝ってたんすよ…あ、そうそうコレ僕から」
 そう言って、子津が手渡したのは簡素な黒いパスケース。
「こないだ壊したって、言ってたっすから」
「そうそう、ビニールフィルムが破けてさー…ありがとーなv」
 ほくほくした顔で受け取る猿野に喜んでもらえてよかった、と笑う子津。
 何だか微笑ましい光景である。
 そうして急かす子津に案内されて部室内に踏み込んだ面々は、一瞬呼吸を忘れた。
 ドコですかココは?
「…キャプテン?」
 散らかりまくった汗臭い部室の印象はなりをひそめ、白いテーブルクロスが折りたたみテーブルにかけられもはや別次元を形成している。
 そして、そのテーブルの脇で優雅な手つきで紅茶を淹れるのは誰あろう、野球部キャプテン牛尾御門そのヒトである。
「やあ、チェリオ君、誕生日おめでとう」
「は、はあ…ドウモ…」
 きらきらと不可視の輝きを背負ったキャプテンに、思わず皆一歩あとずさる。
 だが、そう言った反応を示すのは一年生のみで二年三年が平然としているところをみると、恐らくコレは毎年繰り広げられていることなのだろう。
 やはりこのヒトを侮ってはならない。あらゆる意味で。
「僕からの誕生日プレゼントはこのケーキだよ。いやあ、流石に部員分だと半日かかってしまったがね」
 しかも三段重ねのイチゴショート。
 オソロシイ人間である。牛尾御門。
 そうして何だか不可思議なお茶会in野球部部室、を地で行く勢いで猿野の誕生日は祝われ、それぞれからプレゼントを貰い、口々にお祝いの言葉をかけられる。
 なんだかとても、くすぐったいけれど。
 コレはきっと心地いいことだ。
 いつも空っぽ同然の鞄にはプレゼントされた細々としたものが詰め込まれてぱんぱんで、思わず唇には笑みが零れる。
 でも、だけど。
「…冥」
 いつもより少し遅くなった解散時間。
 西の空が茜色に染まっている。とっくにみんなが帰ったグラウンド、けれど彼は残っていることを確信していたし彼も猿野がここに戻ることを確信していたろう。
 赤みを帯びた陽光が銀色の髪に反射して、まるで金色に見える。
 とてもキレイだと、思ったのは何時が最初だったろう?
「今日、オレの誕生日」
「…聞いた」
 少し不貞腐れたような声。予想通りの態度に薄っすらと笑みを浮かべて、グラウンドに立ち尽くす犬飼の腕を取る。
「俺、おまえからまだ何にも聞いてない」
「…言わなかっただろ」
 そう、猿野は犬飼にだけは何も言わなかった。誕生日だと、初めて聞いたはずだ。
 だって、仕方ないだろう?
 俺が欲しいのは、モノだとかそーゆーモンじゃなくて。
「でも今日だよ」
「…何が言いたい」
 ぶすくれたままの犬飼の腕を引く。少しぎょっとした目の色は、夕焼けと同じ色。
 にやりと笑った猿野のその目に、一瞬息を止めて、次いで諦めたように溜息を落として犬飼は呟く。
「…オメデトウ」
「ん、アリガトウ」
 にっこりと笑ってみせる猿野に、どうやら己が正解したらしいことを犬飼は悟る。
 ぐい、と引かれる腕に、今度は逆らうつもりもなかった。
 頬に触れる、柔らかい感触。ああもうどうにでもすればいい。
「ほらほら冥、俺にもチョーダイ」
 にっこりと笑う猿野の笑顔は稀に見るほどキレイで、犬飼はくらくらする額を押さえる。

 全面、降伏。
 だから君へのプレゼントは、互いの幸せ、ひとつ。


一時間前。間に合った…
っ…た、辰出し忘れた…(汗)
えっとえっとあのその、辰のプレゼントはきっと単語帳かなんかです。お手製。
もう書き加えてる時間が…ううう…
ごめんねごめんね辰…
2002.07.25. Erika Kuga