ファクター







 重要なのはそこに至るまでの経緯ではなく。
 ましてや結果のみでもなく。
 ただそれを構成する因子のみなのだと、本能が識っている。






 言葉を交わす度に何処かがざわめく。
 それが例え罵り合う言葉であっても、何もその意味は変わるところなどない。
 例え他人には否定と拒絶の言葉に聞こえたとしても、それが向けられる存在が互いであるなら。
 誰にも分からない睦言にも似て、ココロがざわめく。
 けれどもそれを認められるほど、猿野の内は単純なものではなくて。
 複雑怪奇な精神構造の中、溢れ出した何かを処理する術を猿野はひとつしか知らない。
「…おい、犬」
 屋上に通じる非常階段の扉の鍵が壊れていることに最初に気付いたのは、猿野だった。
 無論全校生徒の内のごく一部とはいえ、知っているのは十数人は存在するだろうけれども。
 こんな今にも雨が降りそうな曇天模様の時に限って屋上という場所を必要とするのは猿野くらいのものだったから、結局誰とも鉢合わせたことはなかった。
 …現在を、除いて。
「なんでテメエがここにいるんだよ」
 うっすらと苛立ちのようなものさえ滲ませて、猿野は壁に凭れてコーヒー牛乳を啜る色黒の男を見下ろした。
 折りしも、空模様は最低の分厚い灰色。
 今にも崩れそうなその空の色に誘われるように屋上くんだりまで足を向けたのは、一人になる為であって今一番会いたくない相手に会うためではない。
 必死で繕う表情がけれど泣きそうなそれに見えることなど、猿野は気付いてはいないだろうが。
「…とりあえず、猿には関係ないだろう」
「そりゃっ…そうだろうけど!」
 何故、こんな時に限ってこんな場所にこいつがいるのか。
 今日は厄日だと本気で溜息を落として引き返しかけた猿野の手を、けれどやや冷たい大きな手のひらが止める。
「…なんだよ、離せよ犬」
「却下だ、バカ猿」
 そう一言告げると強引にその腕を引き寄せ、無理矢理に傍らに座らせる。
 本気で抵抗しかけて、それすら馬鹿馬鹿しくなって猿野は大人しく最初の位置よりも少し離れてその腰を下ろした。
「…バッカじゃねえの…?」
「そうかもな」
 未だに猿野の右手は犬飼の左手に戒められたままで、そこから伝わるのは外気に冷えた犬飼の体温。
 冷たくて暖かいそれに、猿野はぶっきらぼうに視線を反らす。
 けれども犬飼はそんな猿野の様子には頓着せず、ただその手だけを取って今にも崩れそうな空の色だけを見つめていた。
 しばしの沈黙。
 常の猿野ならば耐えられないと喚き出すような静かな空気の中で、けれども猿野は一言も口をきかなかった。
 反らした視線の先で少しひび割れたコンクリートを見つめるだけで、その唇は引き結ばれたまま動く事はない。
 やがて予想通りぽつぽつと乾いたコンクリートの上に水の染みが落ちて、染みて広がる水の跡は繋がって満遍なく包み込む。
 頬を髪を学生服すら濡らすそれすら心地よく静かで、二人はそれでも動くことも口を開くこともなかった。
 やがて授業開始を告げるチャイムが鳴り響いても尚、指先すら動かさずに雨の世界を見据える。
 ざあざあと酷くなる雨音に紛れる互いの呼吸と、繋いだ手から伝わる熱と。
 何も。
 他には何もない世界。
「…たまには、黙っててもいいだろ」
 ぽつり、と。まるで独り言のような犬飼の低い声に、猿野はびくりと肩を揺らした。
 まるで迷った子供のようなその仕草にふと息を吐くと、犬飼は少しずつ指先を離す。
 完全に解いた左手と、空いた右手と。
 双方でまるで抱え込むように一回り小さい猿野の身体に回すと、言い聞かせるように肩口に顔を埋める。
「いいんだ」
 雨は、降り続く。
 しとどに濡れた互いの髪から、雫が落ちて頬を首筋を伝う。冷たいことすらもはや忘れるほどに優しい感触に、猿野は感情のこもらない声でぽつりと呟く。
「やっぱりオマエ、バカだ」
 じっとりと水を含んで重くなる学生服の為だけではない腕にかかる重みに、けれども犬飼はうっすらと微笑んだ。
 たくさんの言葉に紛れる本当が、今だけはここにあるはずだ。
 濡れそぼる現実もいがみ合う過去も意味などどこにもなくて。
 ただ今という時間に通じる因子だけが重要なのだと。
 本能に近い場所が囁くのを、犬飼の熱を感じながら、猿野はぼんやりと考えていた。









ちょっと弱めの猿野とちょっと強気の犬で。
何故かっつーと玖珂さんは受を強く書かせたら天下一品、別ジャンルではネット最強の受を書いてしまった人間だからです…
意識的に弱くしないととてもこんな展開には(笑)
精一杯らぶらぶにしてみたつもりなんですが。
けっこーこの人たちって、くっつきそーでくっつかなくて実際くっつくときは唐突な気がするんですヨ…
2002.04.30. Erika Kuga