コントラスト
大嫌い、は、数えるのが馬鹿馬鹿しくなるくらい言った。
バカとかアホとか、そういうのも飽きるほど言った。
けれど互いの名前を呼んだことは数えるほどしかないし。
会って喧嘩をしなかったこともほんの少ししかない。
ましてや。
ましてやスキだなんて。
そんなこと、一度も言えないでいる。
「この駄犬!大体キサマ人類の叡智の結晶たるこの猿野天国様に向かってその言い草はなんだ!?」
「プ…有害物質の間違いだろ、バカ猿」
始まりは、何だったかも当人たちでさえ思い出せない些細な喧嘩。
けれど売り言葉に買い言葉を繰り返し、気がついたらまるで相手を射殺しそうな眼差しでにらみ合ってる。
二人ともアホだ。少なくとも兎丸はそう思う。
「ねえ、司馬君?…二人とももう少し素直になればいーのに…」
「…(こくこく)」
毎度毎度繰り広げられる光景に殆どの皆が諦め気味で、今となっては誰一人止めようとはしない。
ただ、はらはらと子津だけがこれ以上悪化しないように見守っているが、積極的に止める気はなさそうだ。
大体、本気でやってない喧嘩なんぞに手を出すなどと無意味な事をしていられるか。
確かに、部活に入りたての頃は兎丸だって心配した。
が、一週間もしないうちに飽きて放り出した。
二人が本人の自覚はどうあれ本気で喧嘩をしていないことがわかったからだ。
多分、彼等は自分たちが話したりちょっと笑いあったりするように喧嘩をしているだけなのだろう。
あまりに不器用すぎて泣けてくるが。
「猿の兄ちゃんも犬飼君もオッソロシイほどミエミエなのに、自分たちだけ気付いてないんだよねー。
…一言言っちゃえば楽になるのに、ねえ司馬君?」
「…?」
困ったように首を傾げる司馬の様子に司馬君にはわかんないかなー、と笑って、ふとその笑みを収めて溜息を落とした。
他人のものだろうと、喧嘩などあまり好ましくない。
今は先輩が帰った部活後だからいいが、これがまだ居残っている時だったら。
考えるだにオソロシイ。
ましてや、残っているのが牛尾キャプテンだったりした日には。
「ひょっとすると僕等もとばっちり食うよねー。どうしよーか辰羅川君」
もはや日常茶飯事、と諦めどころか達観モードで帰宅の支度をしていた辰羅川は、唐突に振られた話題にも僅かに眼鏡を押し上げただけで至極冷静な口調で答える。
「どうかしなくちゃいけないというのが泣き所ですね、兎丸君」
少し困った、という風に首を傾げ眉根を寄せて見せる様は、先ほどの司馬のそれと似て非なるものだ。
そこにほんの少し皮肉と知的のエッセンスを追加しただけだろうに、びっくりするほど皮肉めいて見える。
「基本的にヘタレと意地っ張りですからね。自分たちから歩み寄るってのは無理そうですし」
「こうなったら二人っきりで閉じ込めとくー?」
ハムスターだってつがいでほっとけば勝手に繁殖してるよーと冷静になってみれば血の気が引くような兎丸の台詞に、司馬だけがわたわたと兎丸の腕を掴む。
なあにー司馬君?と振り向いた笑顔はとても眩しくて、司馬は混乱したように必死で腕を引いて懇願するように身振り手振りで止めようとしているらしい。
…よっぽどたとえが怖かったのだろうか。まあ次は我が身だし。
「やだなー司馬君、喩えじゃない、喩え。まあ半分くらいは本気だったけど…」
「無駄です、兎丸君。私がこれまでその策を取らなかったとお思いですか」
マジですか、辰羅川先生。
ひくっ、と司馬と兎丸の唇の端が引き攣る。
「一晩部室に監禁してみたけど、何も進展なかったっすよね辰羅川君」
ね?と小首を傾げて見せる子津の一言に、とうとう司馬は兎丸の後ろに縮こまり、兎丸でさえ少し泣きそうな顔で二人を見比べた。
やっぱりなんだかんだと言いつつ策士は恐ろしい。
子津君あんなにいい人そーなのに。
人は見かけによらないなあ、と思い次いでそこまでされて手の一つも出さないなんて犬飼君ってばホントヘタレだったんだ、と溜息を落とす。
「なんか余計燃えてきたなーソレ。ていうか、今更だけどみんなアレ、両思いだと思ってるんだよね?」
それに返って来る肯定の言葉は、その場にいる部員全員分。
なのにどうして二人だけが気付かないのか。
馬鹿馬鹿しくなってくるが、これ以上の事態の遅延は決定的な障害をもたらす可能性がある。
こうなると、多少の小細工は無意味だ。
正面突破あるのみ!
よしっ、と気合を入れて兎丸は、一触即発の二人に向けて決定的な一言を投げて寄越す。
「兄ちゃん、犬飼君、ほんっと、仲がいいんだねえ」
無論嫌味だ。決まっている。
そしてその意味を正しく理解したのかそうでないのか、顔を真っ赤にした二人が絶妙なタイミングで兎丸の方を向き叫ぶ。
『違う!』
「あれ?そぉお?だって言うじゃん、喧嘩するほど仲がいいって」
「いいわけねーだろスバガキ!この天才猿野天国様が、なんでこんなヘタレ駄犬と…」
「とりあえず、バカ猿なんかと仲が良いわけない」
見事に返って来る本心とは異なる返答に、兎丸は額に手を当てる。
何故本心と違うかわかるかって?そりゃあ、怒りだけじゃなくて顔真っ赤にしてれば、ねえ?
それはともかくとして、その場の部員全員が肩を竦め溜息を落としたのも気付かない様子の二人に向けて、今度は辰羅川が決定的な一言を投げて寄越す。
「犬飼君、猿野君。これは私だけでなく部員全員の意見と思って頂きたい。
いい加減、本人だけに自覚のない痴話喧嘩はやめてもらいたいのですが?」
眼鏡を押し上げ、表情が読み取れない静かな口調で紡ぎだされた言葉に、猿野は真っ赤になってわたわたと手足をばたつかせ犬飼は真っ青になって硬直した。
こんな時まで反応は正反対なんだな、と皆で感心していると、相手より一足早く正気を取り戻したらしい猿野が怒りと、羞恥と、あとは何だか混乱してよくわからない感情で目元を真っ赤に染めて唸るように言葉を吐き出す。
「モミー、テメエ…どーいう了見だよ、そりゃ」
「言葉の通りです」
「こ、言葉って…いや、俺だってそんな、でも、…元はといえばあの犬コロが…」
しれっと告げる辰羅川の言葉に、それ以上の言葉をなくして猿野はぱくぱくと口を開く。
漏れるはずの言葉は、途切れ途切れで意味が不明だが。
床を蹴りつけたりぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き回したりしながら、ぶつぶつと独り言を言う猿野の顔はどんどん真っ赤になっていく。
わかりやすいといえば、とてもわかりやすい。
そんな猿野の手を握ると、おっとりとした優しい笑みで以って子津が更にとどめの一言を告げる。
「大丈夫っすよ、猿野君。
猿野君が頑張って一言言いさえすれば、いくらヘタレでも犬飼君が上手くやってくれるっす」
多分、とにこやかに笑う子津の笑顔が怖いと思ったのは、後にも先にもこれっきりデシタ。(猿野後日談)
そして、わたわたと青くなったり赤くなったりを繰り返す猿野と青くなって硬直したままの犬飼を残し、皆はぞろぞろと帰ってしまう。
待って、行かないで、と慌てている間に、はっと猿野が気付いた時は既に日もとっぷりと暮れた部室に犬飼と二人きりで取り残されていた。
どうしよう、どうしようと一生懸命思考を巡らせても、残念ながら答えは出てこない。
猿野が、ずっと前から意識的に見ないようにしている、その答え以外は。
ふたりっきり。
前にもなかったわけじゃない。
だけど、けれど。
前とは決定的に、何かが違う。あの時足りなかったピースが、今ここにあるからだ。
一言。そう一言言うだけでいいんだ。
それは転ぶにせよ飛ぶにせよ、先に進む為に必要な鍵だ。
息を吸い込む。目の前がちかちかするほど鼓動が早い。
未だ硬直したままの、犬飼の見開かれた夕焼け色の瞳を真っ直ぐ見据えて、はあと息を吐き出した。
「あの、な。その、犬飼、俺な…」
ぎゅっと手のひらを握る。部活で流れるのとは違った汗が背中と手のひらにじわりと湿っている。
その一言が、ずっと、言いたかったのかも知れない。
「…で?それからどーしたの兄ちゃん?」
興味津々、と言った様子で何時もの調子で腰に絡みつく兎丸は、問うてはみたものの別に痛みを訴えられるでもそのまま崩れ落ちるでもない猿野の様子に、あの状況で何やってたのさあのヘタレ、とココロの中で犬飼を罵った。
けれどそんなブラック比乃に気付くでもなく、妙に嬉しそうな猿野はぼそぼそと珍しく小さな声で答えた。
「な、どーしたって…その、まあ、一緒に帰ったけど…」
「…だけ?」
きろ、と横目で今日も孤独を謳歌する犬飼を見遣りながら、そうだけどなんだという猿野の答えに溜息を落とした。
あそこまでやったのに。
何で進展がこの程度なんだろう。
僕だったらとっくに美味しく頂いちゃってるんだけどなぁ…まあ司馬君いるからやらないけどネ!
真剣な顔して猿野の顔を見据え、ぎょっとした猿野の腕を掴んで熱っぽく囁く。
「…兄ちゃん」
「な、なんだよスバガキ、改まって」
「あのヘタレから誰かに乗り換える気があったらいつでも言ってね…!
大丈夫僕等は兄ちゃんの味方だよっ」
「は?」
意味不明、という顔で首を傾げる猿野にわかんなかったらいいけど覚えといて、と笑って別れ、兎丸は、辰羅川と子津の元へと走った。
そして、暗黒オーラを滲ませながら、犬飼を睨みつつ押し殺したような声で、呟く。
「…どうする?」
「どうするも何も…」
困ったように笑う子津と、きらりと眼鏡を光らせながら押し上げる辰羅川。
「…躾のなっていない駄犬には、お仕置きしかないでしょう?」
それに気付いていないのは、昨日よりほんの少し幸せそうな猿野と無表情の犬飼だけで。
その日、部活終了後の十二支高校グラウンドには血の雨が降ったという。
みう様の「意地っ張りな猿とヘタレな犬で犬猿、第三者視点」でした。
でも玖珂さん、第三者視点って苦手なんだ…同じ話でもころころ変わるから、話し手。
一応兎と馬と辰と子+その他一年部員にしてみました。
牛キャプとか蛇神様とかも出したかったけど、そしたら犬猿にならない予感が(笑)
キャプは…ヘタレを見逃してはくれんだろーしなあ…
相変わらず司馬君はホモとは無縁のところで大好きです。
そんな玖珂さんが馬猿書ける日は来るんかな…?(苦笑)
2002.08.04. Erika Kuga