触れる理由
長い長い関係の不確定な時間を経て、どうやら俺と東海道は『恋人同士』というものになったらしい。
らしい、という曖昧な認識なのは、俺とアイツがあまりにもそれ以前と以後で変わらなすぎるからだ。長過ぎた臆病な時間の弊害か、それとも互いを知り過ぎるが故の成熟なのか。どちらにせよ『恋人』なのだと他人に胸を張って言えるような関係ではない、というのが現実だった。
その言葉を東海道から告げたのは、器に少しずつ溜まった水があふれるようなものだったのだと思う。アイツの言葉があともう少し遅かったなら、それを告げていたのは自分だったかも知れない。それくらいに言葉が無いだけで互いの間にはそれに類する空気が横たわっていて、言葉という形にすることで壊れてしまうものを恐れていた。
けれども結局言葉は何も壊す事無く、ただ信じられないくらい甘ったるい何かを心の中に注ぎ込んだ。触れる事を禁忌としていた時間はなんだったんだと思うほどに、繋ぐ指先も重ねる唇も、互いの中の何かを急き立てることしかしなかったのだから。
けれども、熱に浮かされたような夜が明けて朝が来て、背中を預けて走る自分たちはまったくの何時もどおりだった。何一つ変わらない事を安堵し、裏腹に落胆もしていたかも知れない。
あれから、共に過ごす夜は増えもしないが減りもしない。
ただ触れず語らず共にあった時間を、互いに縋るように熱を共有するものに変えただけだ。
てのひらにぼんやりと残る熱を思う。
この指先は、昨夜東海道に触れた指先。東海道が触れた指先。
何時もは生真面目に前を見据え、どこか不機嫌そうな黒い双眸。それが夜の間だけはゆるりと潤んで、濡れた瞳がただ自分だけを見る現実は、いっそ夢かも知れないと思ったくらいには幸福だった。
何もかも預けたような顔で笑う東海道に、心に満ちる何かがある。
かつて山形の胸に縋るように泣いていた東海道を見た時、しくりと痛んだものと同じそれが、暖かいもので満たされてゆく。慣れたと思っていたその光景を確かにつらいと感じていたのだと、温もりにふれることでようやく認識できたと言うべきか。
おまえがいい、と告げた東海道の言葉があるから、曖昧なようなこの関係はそれでも自分の中では真実だ。疑うつもりは微塵も無いし、自ら壊すような真似はもっとしたくない。
ただ、それでも。
少しだけ、もう少しだけ甘ったるいことをしてみたい、と思うのも、偽らざる山陽新幹線の本音だった。
「――あー、いい天気」
梅雨もそろそろ終盤となり、晴れ間が覗く期間も随分と長くなった。
雨量計と風速計に随分と泣かされた東海道も、台風の季節まではとりあえず平穏でいられるだろう。……とはいえ、今年の夏は妙に張り切った東海道が未曾有の「のぞみ」大増発ダイヤを組んでいるので、互いにへばっているヒマなど何処にも無いのが現実なのだが。
乗客を安全に、確実に、そして快適に目的地に送り届けること。
自分たち旅客鉄道が常に念頭に置くその理念を、東海道新幹線は誰よりも誇りに思っている。だからこそ突発事象によってそれが阻害される事が、どうしても我慢ならない潔癖さに繋がるのだと思う。
泣き続ける彼を宥めるのは、正直自分でも鬱陶しい。彼の凛とした背中を誰よりも長く見続けた己だからこそ、余計にそう思うのかも知れなかった。
博多から下関、岡山を通り過ぎて新大阪へ。何度も何度も辿ったレール、通り過ぎる駅の全ては己のホームグラウンドだ。
けれども端である筈の新大阪で「帰ってきた」と思ってしまうのは、己の片割れと積み重ねた歴史故のものだろうか。
日常になるほどに彼と過ごした時間は長くて、けれども重ねるそれはひとつたりとも無駄なものではなかったと信じている。言えなかった言葉を秘めたまま、彼と走った時間は今振り返っても得難いものだったと思えるからだ。
滑り込んだ新大阪のホームに東海道の姿は無い。東京に詰めているか、或いは名古屋か。若しくはその半ばで仲が良いのか悪いのかわからない似た者同士の弟と何やらやりあっているのかも知れない。
何回か見かけた事があるが、あれはあれで壮絶で遠慮の位置が見当違いで微笑ましくて大変よろしい。東海道は自分よりもすくすくと育ってしまった弟にちょっぴり拗ねているのと兄としていいところを見せたいと空回りしているし、ジュニアはジュニアでいつまでも弟として庇護される事が気に食わないのに基本的に兄が大好きでもっと頼って欲しいと思っている。周りから見れば一目瞭然な彼らの互いへの思いは思い切り食い違っていて、気の利いた誰かが止めない限り、似た者同士のツンデレ兄弟は勝手に悪い方向へ解釈して凹み続けるスパイラル。素直に大好きだと認めてしまえばいいのに、奇妙な矜持と遠慮でそれが出来ないので結局喧嘩のような言い争いになるわけだが。
かつて同じような理由で頻発していた俺と東海道の喧嘩なんて、それでもアレに比べれば大した事はないよなあ、と知らずほころんだ口元を手で覆い隠して、山陽は止めた足を再び東に向けて走りだした。
曲がりなりにも『恋人同士』という大義名分を得て良かったと思えるのは、会いたいと思った時に理由が要らないことだ。
我慢に我慢を重ねて、耐えられなくなった時に空間だけを共有していた頃と違って、今は素直に会いたいと、触れたいと告げる事が出来る。それを東海道は拒否しないし、自分も東海道のそんな小さな我が儘を嬉しいと思いこそすれ退けることは決してないだろう。互いにもう少しばかり恋人らしい甘さがあっても良いとは思うが、それは東海道が東海道で自分が自分である限りは無理な相談かも知れない、と自嘲を零した。
あの日重ねた想いは、けれどずっと自分たちの中にあった。
けれど触れる理由は確かにあの夜、東海道の言葉の中から生まれた。熱の意味を見つけるのは、今度は自分の役目だろうか。
「言ってみっかな……ダメ元で」
照れ屋で天邪鬼で意地っ張りで、けれども己の自慢の相棒。
真っ赤になりながら、それでも伸ばされた手を撥ね退けないだろう彼の泣きそうな顔が容易に想像できて、山陽は知らず唇に笑みを刻む。
ああ、どうしようか。今こんなにもアイツに会いたい。
大気を裂いて、東へと走る。
流れる風は熱を孕んで、訪れかけた盛夏の兆しは確かに此処にある。そうして、またひとつ自分たちが季節を重ねようとしている事をひそやかに知らせていた。
2008.08.25.
拍手小噺再録その2。