ordinary day's

04.

「んで、コレ寄こしたって?」
 律儀だなあおまえさんとこの部下って。
「方々に迷惑をかけたのは事実だからな」
 世話になったのなら相応の礼は必要だろう。

 あれから数日、御殿場名義で東京駅の上官執務室にのし紙付きで届けられた物体を目の前にして、山陽は呆れたように呟き、東海道は大した感慨もない様子でそれを一瞥した。

 結局あの後東海道と山陽が詰所に戻るのとほぼ時を同じくして御殿場が報告に訪れ、床に額を擦りつけんばかりの勢いで謝り倒してひよこたちを連れて去って行った。
余りに平身低頭に謝罪を告げる御殿場に、何もそこまで、と正直山陽は、否、東海道以外の高速鉄道たちは引いたのだが、かの東海を統べる王様だけは当然至極の事であるかのように彼の謝罪をじっと聞き入り、見つめていた。
 やがて彼が頭を下げたまま此処に至る経緯を報告し終わったのを見計らったかのように、東海道はぽつり、と彼の名を呼ぶ。
『御殿場』
『Yes、上官!』
 下げた頭を上げ背筋をぴんと伸ばし、御殿場の双眸が東海道のそれを真っ直ぐに見返す。大きくも小さくもない、しかし良く通る声で彼は東海道の声に応えた。あまりに四角四面な、今となっては旧態然としたマニュアルの中にしか存在しないような受け答え。
 けれども彼等はまるで当然のようにそれを発し受け止め、呆然とする此方を置き去りに東海道の双眸がすう、と細められた。
『――今回の事態、弁明はあるか』
『Yes、上官。いいえ、全ては私の不徳です』
 上官の問いにはすべて肯定を以て応えよ。
 国鉄時代に頭にではない、身体に叩き込まれた基礎の基礎、根本とも言える職務規定。その紛れもない純血を守る存在を目の前に、知らず山陽の背筋が震える。
 見れば複雑な表情を浮かべているのは自分だけではない。東北に上越、山形。流石にその開業が民営化後だった秋田と長野は状況を掴みかねているのだろう、心底不思議そうな表情で東海道と部下とのやりとりを見ている。
『ならば二度目は無いな、御殿場』
『Yes、上官。JRの名にかけて』
 JR。民営化された旧国鉄。国の歯車からひとの営む組織へと変わった、変わらざるを得なかったもの。
 ならば何故そんなやり取りを続けるのだ、と叫びだしそうな己を拳を握り締める事でやり過ごし、山陽は御殿場が深く一礼してその場を去るのを呆然と見詰めることしか出来なかった。
 ふう、とひとつ息を吐き出して自分たちを振り返った東海道はもう何時もの彼で、様子のおかしい自分たちを不審げに一瞥する表情も常と変らない。……だからこそ、あれが彼らの日常なのだと悟らざるを得なかった。

 その後、部下と上司に何があったのか山陽は知らない。
 ただ、東海道の部下が処分されたという話は聞かないし、東海道が不機嫌になるような事も無かった。それはつまりは何も無かったという事なのかも知れないし、山陽には触れ得ない場所で何かがあったということなのかも知れない。
その触れ得ざる過去の断片はこうして届けられた畏まった品物にしか見て取る事は出来ず、またそれを山陽も望まない。ただ、互いに片側通行の思慕しか知らなかったこの王様と部下の歯痒い関係に、ようやく深く納得を覚えた事は確かだった。
 けれども、それを思い起こすには東海道と二人きり、という状況は非常に有り難く無い。出来れば茶化して終わりにしてしまいたいのに、こんな時に限ってこの場に居るのは自分たちだけで、他の面々がいつ戻るのかも分からない。
 ぐしゃぐしゃと長めの茶けた髪をかき混ぜると、ひとつ吐息を零して、東海道が見つめたままの箱を指して肩を竦めた。
「にしても、迷惑かけたのが長野だってんなら、此処じゃなくてあっちに送るべきじゃねーの?」
 暗に東日本、それも長野支社にこそ何かを贈るべきではないのか、と提示する山陽に、東海道はふるりと頭をひとつ振った。
「それはまた別に見繕って送ったようだぞ。あちらの連中がちいさな子には何がいいかと騒いでいたからな」
 何気ない風に言いながらも、東海道の言葉には僅かに寂しさが滲んでいる。まあ確かに、常の東海道と部下とのやりとりがあんな風だったのならば、気軽にそんな相談など出来よう筈もない。
 愛されてるのは間違いないんだろうけどなあ、と外側から見るからこそわかる齟齬に苦笑を刻む。此処が東京で無かったら、今が執務中でなかったらその頭を撫でて背を掻き抱いてやりたい衝動に駆られたが、残念ながらその条件はどちらも当てはまらず、努めて軽く受け流すことしか出来ない。
「んで?中身何よ」
「まあこの季節だしウチの連中だからな、予想は付くが」
 呟きながら思い切りよく包装紙をびりびりと破りかねない東海道をそっと制して、山陽はのしと包装紙を丁寧に外す。やっぱり高そうな和紙を張った箱の蓋をぱかりと開ければ、鈍い光沢を放つ銅製の円筒形の缶がひとつと、明らかに高級そうな和紙貼りの緑茶のパックがひとつ。
「うへえ、また高価そうな」
 一見しただけで値の張りそうな物品だとわかる装いに、山陽は思わず眼を見開く。自分の給料でも相当に痛いレベルのものだろうに、在来の薄給で果たして大丈夫なのだろうか、と他人事ながら心配になりさえする。
 けれどもその場にいたもう一人は大した危機感も持つ事無く、良いものを選んだものだ、と少し誇らしげに表情を和らげた。この顔を見たならば、これを送って寄こした御殿場とやらも報われるだろうという表情を独り占めした罪悪感と独占欲にもやもやする心中をフラットに宥めることしばし、大事そうに箱を抱えたまま微動だにしない東海道に、山陽はぽつりと呟いた。
「みんなが戻ったらさ、お茶にしようぜとーかいどー」
「山陽……?」
 手の中の箱と山陽の顔を数度見比べて、ぱちぱちと瞬きをする表情はどこか無防備で稚い。周囲が思うよりはずっと単純でわかりやすいこの王様の心を、全て察する事は出来ないけれど。
「たまには緑茶に和菓子も悪くねーだろ。俺、グランスタでなんか見繕ってくるからさ」
 ポケットの中の財布の存在をそれとなく確かめて、ぽかんと自分を見上げる東海道に裏表のない表情で笑いかける。もうすぐ皆も戻る時間だろう、と時計を示せば、確かにそろそろミーティングの時間に近づいているのは明らかだった。
 日常の一部に埋没する感情、それを察せられるほど東海道が聡くない事も、今は有り難く同時に歯痒い。誰も介在させたくないのだと叫ぶ感情の裏側で、高速鉄道御一同様、と墨で書かれた文字の裏にあるのは東海道ただ一人だと知っている。
恐らくはこの送り主が思い浮かべたのはただ一人、山陽と似ているようで異なる、けれどやはり相似の感情を抱いてのことだと。
 秋田にでもコレはお願いしようぜ、と東海道が手にしたままの箱を示す山陽の指先を、箱の中身をじっと見つめていた東海道だったが、静かにふるりと頭を振った。予想していた諾以外の返答に僅かに驚きを刷いてまじまじと見据えたその先で、困ったような、けれども喜びをも滲ませた表情で東海道が笑う。
「いい。……俺が入れる」
 ぎゅっと大事そうに箱を抱き締めて、東海道はその足を給湯室へと向ける。
「この時期なら新茶だ、それにあれの選んだものなら俺の腕でもマシな味が出るだろう」
「とーかいどー……」
何事にも不器用な彼の事、完全に任せるのは不安でもあったけれど、その背中が手出し無用だと告げている。それは今までに覚えのあるような硬質な拒絶ではなく、やんわりとした決意に満ちていたものだから、山陽は諦めたように吐息を零し東海道が向けたのとは逆方向へと足を向けた。
彼が彼の望みと共に歩む先を邪魔しない、むしろその手助けをするのが自分の役目なのだから。
「じゃー、俺、茶菓子買ってくるわ。何がいい?」
 とーかいどーちゃんの好きなのでいいよ?と少し茶化した声で告げれば、給湯室の入口をくぐりかけていた背中が振り返る。
「そうだな、甘いものがいい」
 苦笑を刻みつつも少し楽しそうな表情は、この瞬間こそを彼の部下に見せてやりたいと願うようなもので、こういう時にこそなんで上越はいねーかなあ、と見当外れの愚痴をこっそりと零した。
 部屋から出て、慣れた廊下を歩いてゆけば前からやってくる緑色の制服の一団が見える。ああ、戻ったかと先ほどから緩みがちな表情筋を更に綻ばせ、心持ちその足を速めた。
「よう、お疲れ!」
「さんようせんぱい!おつかれさまです」
 ぱあ、と顔を輝かせて駆け寄る長野の両手には、何故か見覚えのある黄色いひよこのぬいぐるみが抱えられている。それは何か、と山陽が問いかける前に、満面の笑みを浮かべた長野が『せんじつのおれいだとごてんばがくれました!』ときらきらした眼差しで種明かしをしてくれた。ふかふかですよ!と嬉しそうに長野が見せてくれたぬいぐるみは、撫でてみれば確かに手触りが実物に良く似ている。
 しかしこんなサイズ市販してたかな、まさかこの為に作ったりしてないよな、と疑念を覚えないでもなかったが、まあ長野が嬉しそうならば彼も満足だろう。
とりあえず疑念は頭の中に留めたまま、よかったなあ、と少し屈んで長野の頭を撫でてやれば、ちっとも良くないよ、と少し憮然とした上越の声が降ってくる。
「ナニ不機嫌な声出してんだよ……ってうお、大荷物だな」
「ホントにね!しかもこの袋重いったらないんだよ?」
 ああ手が痺れる、と悪態をつきながらも、上越の手が保温機能付きの袋から離れる事はないし扱いが乱暴になってもいない。東海道とは別の意味で素直じゃない同僚に苦笑を零しつつ中身を尋ねれば、どうやらこれもまた御殿場の御礼の一環らしい。ぶつぶつと文句を言う上越から袋を受け取ってみれば、確かに重く揺らせばがちゃがちゃと音がする。
「びんいりプリンとチーズケーキだと言ってました!みなさんでどうぞ、と」
「瓶入り……ああ、そりゃ重いわけだ」
 しかもご丁寧に一つや二つではない数量は、相当に持ってくるのも難儀だったろうに。そして流石にこれほど重いものを貰った当人に持たせるのが躊躇われたのだろう上越へと視線を向ければ、ふい、と視線が逸らされる。本当に素直じゃない。
一番世話になったのは確かに長野であるからして、彼は自ら御礼を告げに慣れない場所に出向いたのだろう。先ほど見た高価そうな緑茶と茶缶と相俟って、山陽の中に『御殿場=律儀』という図式が形成されるのはもはや自然なことだったと言える。
 しかしまあ、この中身がそう言うことならわざわざグランスタまで足を伸ばす必要が無い、ということだ。表情のすべてでプリンとチーズケーキが楽しみだ、と告げている長野と秋田の様子に他の四人は顔を見合せて苦笑を零し、誰ともなしにかの王様の待つ部屋へと足を向ける。

 きっと今頃ポットと急須を相手に孤軍奮闘しているだろう愛すべき不器用な王様の待つ部屋へは、もうあと数歩。
 やはりこんな優しい時間が得られるなら、俺はアイツを独占しなくてもいいや、と微妙な天秤にかけられていた選択肢を放り投げる。
 山陽にとっての東海道は、黄色いひよこを可愛がっていて、部下との関係に不器用で、好意に鈍感で、仕事中毒で、なんだかんだと言いつつ身内に甘くて。そういったもの全てをひっくるめた『東海道新幹線』である彼が好きなのだから仕方ない。

 少しだけ何時もと違えた、けれど大事なものは何も変わらない日常を前に、山陽はどこか満たされた気持ちで目の前のドアを押し開けた。



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2010.05.25.(再録)

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